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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

子犬との旅

更新日:2021/08/11

 今年の犬橇の旅の主役(?)はまぎれもなく小さな三匹の子犬だった。二月二十二日に誕生した三匹は、村を出発した時点で生後一カ月少々の乳飲み子である。ようやく足どりがしっかりしはじめ、村の生活でも、小屋(巣穴)のまわりをよたよた歩きはじめた段階だった。
 ただでさえ大変な犬橇単独旅行に、生まれたばかりの赤子を連れていけば労力とストレスが何倍にもなることは目に見えている。村の友人からも「面倒見ておいてやるから母犬と一緒においてゆけ。飢えた狼に連れていかれるぞ」と威嚇的に説得されたが、結局、子犬を連れて行かないという選択はできなかった。なんとなればすなわち、子犬を育てるという経験を一度してみたかったし、生後一カ月の子犬は別れるにはあまりにも可愛すぎたからだ。
 やってみると、子犬連れの犬橇旅行は思ったほど大変ではなかった。いつもとちがうのは、橇が止まるたびに、子犬を母犬カコットのもとに連れてゆくことぐらいなものである。
 当たり前だが、子犬は走ってついてくることができないので、小型の犬小屋を用意し、走行時はそのなかに入れておかないといけない。橇が走っているあいだは子犬は熟睡しており、しばらくしたら目が覚め、腹もすいてきて、ビエービエーと甲高いなき声の合唱がはじまる。そしたら橇をとめて小屋からひっつかんで母犬のもとに連れてゆき、乳をのませる。その間、私は成犬たちの絡まった引綱をほどき、コーヒーをすすり、カロリーメイトを食す。すでに子犬は乳を飲み終え、雪原をあちらこちら走り回り、総合格闘技のスパーリングのような遊びに興じている。休憩を終えたら走り回る子犬の首根っこをつかみ、「はいはい、おやすみ~」といって犬小屋のなかに入れる。しばらくはビエービエーとなき、外に出して遊ばせろ、とやかましいが、小屋をどんと叩き、「うるさいぞ」と一喝すると、静かになってやがて眠る。犬小屋の重さは二十キロぐらいあり、橇への積み下ろしがひと手間だが、しかしまあ、その程度だった。幸いなことに今年は狼の姿も全然なく、連れ去られることもなかった。
 出発したときはよちよち歩きに毛が生えた程度の乳飲み子だったが、一カ月強の旅のあいだにすっかり悪ガキに成長した。生えたばかりの歯がむず痒いのか、後半になるとロープの端や橇の尖った部分など飛び出たものをすべて噛むようになり、母犬にあげた餌も全部かっさらう。十センチぐらいある肉塊までペロンと丸呑みしてしまうからおったまげた。おかげで橇の細部はボロボロになり、母犬カコットはげっそり痩せこけたが、私にはすっかり懐いてくれて、村にもどった頃には、私の後ろをどこまでもトコトコくっついてくる忠犬に育った。
 今も元気にやってるのだろうか。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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