読み物
子犬
更新日:2021/04/14
今年はシオラパルクに着く前にショッキングなことを知らされた。夏の不在の間に犬が二頭病死したというのだ。死んだ二頭のうちの一頭はウヤミリックという、七年前にこの村に来てからずっと一緒に旅をしてきたまさに相棒、もう一頭もウヤガンというまだ三歳の若い先導犬で、犬橇チームの中核二頭がいなくなってしまった。このことについては方々で書いたのでくりかえさないが、とにかくがっくりきた。
二頭死んだので十二頭いた犬が十頭に減った。そのうち一頭は雌犬で、さらに高齢で走れなくなった犬も一頭いる。犬橇で北極海方面へ長期旅行するには雄十二頭はそろえておきたいので、急遽、今年の夏に生まれた子犬のうち五頭を引き取ることにした。前にこのエッセイでも書いたが、昨年五月にウヤミリックとナノックという強い雄犬二頭を発情した雌のカコットと交配させたところ、九月に八頭だか九頭だか生まれたらしく、預け先の村人がこの子犬をすべて残していてくれたのだ。その五頭を引き取ったわけだ。
子犬が五頭もいると、一人前の橇引き犬に育てるだけで手いっぱいだ。どうせコロナ禍で目標であるカナダ・エルズミア島側の探検は無理なので、今年は来年以降の準備と割り切り、子犬五頭を調教することを目標にすることにした。
生後四カ月となり身体がある程度大きくなってきた頃から訓練を開始。まずは母犬と一緒にその辺を散歩して私についてくるようにして、それから成犬が引く橇の隣で走らせる。橇の近くで走ることに慣れさせてから胴バンドをつけて、時々成犬と一緒に橇を引かせるようになった。
それにしても人間と同じで子供は物おぼえが早い。胴バンドをつけて成犬と一緒に走らせると、勝手に大人の真似をして橇を引きはじめてくれる。鞭を振るって伏せの姿勢をとらせるときも、大人と一緒にじっとしている。私が教えることなどほとんどないのである。子犬に橇引きを教え込むのは難しいにちがいないと思いこんでいたのだが、二年前に地元の人からいらない犬を譲ってもらってチームを作りはじめたときより、はるかに楽だ。
ただ子犬なので普段が大変である。胴バンドは噛みちぎるし、橇の上に置いた防寒着はボロボロにするし、出発のときも変な方向に走り出して引綱がむちゃくちゃにこんがらかる。保育園状態である。
身体の発育はまだ十分ではなく人間でいえば中学生ぐらいか。生後半年である程度、身体の大きさが決まるらしい。三月下旬に無理せずのんびりと、たらふく食わせながら、毎年通っている北部無人地区へ一カ月ほど旅をして場数を踏ませるのが今シーズンの最終目標である。そして五頭が二、三歳と力の発揮できる年齢になる来年、再来年あたりが、次の勝負所、そのときにはコロナがおさまっていることを祈るのみだ。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。