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壊れた橇の修理について
更新日:2020/05/27
犬橇に重たい荷物をたんまりと載せて一カ月以上の長期漂泊をする場合、当然、乱氷帯など悪条件の場所も通過しなければならず、その際、橇の損壊がもっとも想定されるリスクである。たとえば村から七百キロ離れた北極海の近くで橇が壊れたら、当然それは生き死にに直結するので、絶対に壊れない橇を作ることが旅の前提条件となる。
橇の損壊で一番ヤバいのがランナー材が真っ二つに折れてしまうことだ。これを避けるため、昨年橇を作ったときは、材を何カ所も鉄板でかしめて万全を期したが、それでも壊れるリスクはゼロではないので、万が一、損壊した場合の対応方法についてはマスターしておきたいところであった。しかし橇の修理方法というのは、なかなかマスターできるものではない。というのもそれをマスターするには、実際に橇の損壊という事態に直面しなければならないからである。
私も橇の直し方は一応、村人から教えこまれていたが、実際にその方法で本当に橇が直せるかというと正直、自信がなかったし、現実に私の橇はかなり頑丈で、昨年の一カ月ほど旅をしたときも相当重い荷物を積んで状態の悪いところを走って大丈夫だったので、たぶんその修理方法を経験する機会は一生おとずれないだろうな、と考えていた。
ところが先日の雪崩事故で、私の橇のランナー材はものの見事に真っ二つに割れてしまったのだった。何十トンというとんでもない圧力を横から受けたのだから、これではどんなに頑丈な橇でもひとたまりもないだろう。
雪崩にあった直後は茫然としたが、しかし考えようによってはこれは橇の修理方法を予行演習する、またとない機会である。村からまだ十数キロしか離れておらず、かりに修理に失敗しても歩いてもどれるので、最悪、死ぬことはない。じつにナイスな場所で橇が壊れてくれた、といえないこともないわけだ。
私は即座に村人から教わった方法で修理にとりかかった。
では、どうやって直すかというと、まず釘や針金など金物類はいっさい使わない。必要なのは穴をあけるための道具(私は修理用に手回しドリルを橇に積んでいるが、村人の話ではライフルをぶっ放して穴をあけてもよいという)と太さ三ミリ程度の三つ編み状のライン、あとは木の棒である。幸運だったのは、このとき私はオヒョウ釣り用のはえ縄につかうために、この三ミリラインを五百メートルももっていたことだ。
まず割れて横倒しになった材を上から踏むなどして真っ直ぐにする(このときは中に補強材として打ちこんでいた長さ十数センチの釘が邪魔だったので金鋸で切断した)。真っ直ぐにした状態で破断面の上下両側に手回しドリルで穴をあけ、そこに少し太めの丈夫なロープをとおして環っかにして、長さ四十センチぐらいの木の棒を通す。そしてその棒を車のハンドルのように何度もぐいぐいまわして、割れた破断面を万力のようにかしめてゆく。この作業を二カ所ほどでおこない、破断面を正確に接合させる。かしめた状態で、また破断面の上下両側の別の個所に穴をあけ、三ミリのラインをとおしてゆき、特殊な縛り方で固定する。
村人は何かと何かをくっつける際にこのラインをつかった固定方法を多用するが、実際にこの紐固定法による接合力は非常に強力で、雪崩の現場から村にもどるまで破断面がふたたび割れるのではないかという不安をほとんど感じなかった。写真は村にもどり結び目と材のあいだに木材をうちこみさらに補強したところで、ここまでやると上に乗っかって体重をかけてもびくともしない。
とはいえ、また壊れたランナー材を新たに作り直さなければならないことに変わりはなく、それはそれで痛手であるが、しかし実地で一度経験したことで、万一、旅の途中で橇が壊れても生きて帰ってこられる、との自信にはなった。じつに得難い経験である。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。