読み物
夢
更新日:2016/04/06
ニシローランドゴリラ。アフリカ中西部の森に棲むニシゴリラの亜種。オスは成長すると体長一・八メートル、体重は二百キロにも達する。生後約十三年で背中の毛が鞍状に白くなり、シルバーバックと呼ばれる。そのいかつい容貌から凶暴な性格だと誤解されてきたが、じつは非常に温和で繊細で自分から攻撃をしかけることのない優しい平和主義者で、そのせいか、時折、ヒョウに食い殺される――。
ごく個人的なことをいえば、私には夢や目標というものがない。いや、正確にいえば、目標的なものをもたないようにしているといったらいいか……。なぜなら、目標的なものは、それが達成されると霧消してしまうという儚(はかな)い性格をやどしているからである。あらゆる目標は無常に連鎖するだけだ。ある目標は、別の視点から眺めてみると次の目標の手段になりさがり、その次の目標も、よく考えてみるとそのまた次の目標のための手段にすぎず……というように、目標的なものは永劫回帰的宿命にとじこめられた幻にすぎない。私は夢や目標を「達成」するという概念に懐疑的だ。「達成」という概念こそ近代以来、人類が道をあやまってきた諸悪の根源なのではないか。もちろん私にも次はこういう探検をやりたいという欲求があるが、それは特定の目的地に到達するという「達成」的な目標を前面にかかげたものではなく、なにか、もっとある状態に没入することに根差した行為の意味を追求する活動でありたいと思っている。
とはいえ、夢というものがまったくのゼロであるかというと、それはちがうのかもしれない。さしあたり、私も四十になったし、夢という、口にするだけで何か頬が赤らんでしまうような青臭い願望を自分自身にたいして抱いているわけではない。ただ、私は二歳になる娘に、将来、ゴリラの研究者になってほしいと何となく願っている。
なぜ、ゴリラの研究者なのか。それはよくわからない。ただゴリラの研究者という職種からかもし出される雰囲気が、探検家という肩書で活動している私個人と、その娘である彼女との間の橋渡しになるというか、双方の存在の均衡が保たれるというか、どことなくウィンウィンな関係になれそうな最適な仕事であるというか、そんなイメージが私にはあるのだ。二〇一六年三月時点での私の夢。それは娘にジェーン・グドールみたいな野外で活動する美人霊長類研究者(ゴリラ)になってもらいたいということだ。ただ単に私は娘に、映画『キングコング』でゴリラの化け物に衣服をはがされた金髪美女アンの心象を投影しているのだろうか……。
というわけで、私はたびたび娘にゴリラを見せに行く。
写真はガボン中部のロペ国立公園の森林地帯……ではなく、東京都台東区の上野恩賜公園にて。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。