読み物
ウサギの海
更新日:2016/03/23
人跡未踏。そんな言葉を思い浮かべてしまいそうなほど自然の奥深くを旅していても、目をむくほどの光景とは、それほど頻繁には出会わない。もしかすると、その要因は、外部の風景世界そのものにあるのではなく、その風景世界を感知する私という人間の認知機能にあるのかもしれない。何度も探検旅行をするうちに、自分はいつの間にか、いわゆる自然のスペクタクルといったものに慣れきってしまい、感受性が鈍磨して擦り切れてしまったのではないか。通常の感覚だと驚異にあたいする光景でも、どうにも感興をそそられなくなっているのではないか。そんなことを思うことが時々ある。
とはいえ、まったく感動が失われたわけではない。最近でいえば昨年夏、グリーンランド北西部にひろがるイングルフィールドランドという草地と岩石帯と湖沼がモザイク模様に入り混じった大地を、日本から私の旅に同行してくれた若いカヤッカーと二人で歩いているときに、ある規格外の光景と出くわした。
どこまでもつづく草地の真っただなかを歩きながら、私たちは、それがそれであると判明するだいぶ前から、その存在に気づいていた。一キロほど前方に見える白い綿帽子のような広がり。最初、というか気づいてから間近に接近するまで、ずっと私たちはそれをタンポポの群生だと思いこんでいた。実際、それまで何度か海岸から内陸に入りこんで歩きまわった際、私たちはタンポポの綿帽子のような種子をつける高山植物をいたるところで見てきたのである。
しかし、接近するうちに、どうもおかしいなぁとも感じていた。その白い塊は絨毯のようにふわふわとどこまでも広がっており高山植物の群生にしては規模が大きすぎるように思える。白夜の太陽が大地を焦がし、陽炎(かげろう)のように地平線上の風景をぼやかすのでどうも判然としないが、よく見ると、白い絨毯のなかでは個別の物体がしばしば動いているようにも見えた。
「あれ、ウサギだったら笑えますね」と同行者が言った。
「まさか」と私は笑い飛ばした。
しかし、さらに近づくうちに、その「まさか」が現実の風景だということが分かってきた。目の前に広がる白い絨毯はすべてウサギだったのだ。夥しいまでのウサギ、ウサギ、ウサギ……。とても百や二百ではきかない。ざっと見た感じ、千は確実に超えている。おそらく千五百羽から二千羽といったところだろうか。もちろんそれまでもウサギは毎日のように目にしてきたし、彼らが時折群れを作って移動しているのも見たことがあったが、しかしその数はたいてい五羽から十羽、多くてもせいぜい二十羽という数にとどまっていた。目の前の群れはそんな規模の数ではない。とにかく唖然とするほどの数のホッキョクウサギが一カ所にかたまって、皆、一心不乱に草をもさもさ食んでいるのだ。
「ちょっと近づいてみようぜ」
群れのど真ん中に入りこみ、膨大な数の野生哺乳動物に囲まれて、しかも警戒されないという奇跡の瞬間が訪れることを夢想しながら、私たちは彼らを刺激しないよう忍び足で近づいた。だが、当然その夢想がかなうことはなかった。三十メートルぐらいまで近づくと、かならず小心で敏感な一羽がキョロキョロ警戒をはじめてゆっくりと逃げ出し、他のウサギもそれに引きずられて波が引くように群れ全体が一気に動き出すのだ。それは一点の小さな破裂からエネルギーが伝わって斜面全体に亀裂が入り、最後は一気に広大な雪面の全面的崩壊をもたらす表層雪崩(なだれ)の運動に近いものがあった。
逃げた群れは百メートルぐらい先で止まり、また草を食みはじめる。何度か接近を試みたが、最後はウサギたちも留まるのをやめて本格的な大移動をはじめた。ドドドーという音を巻きたてながら、まさに雪崩の発生を思わせる迫力で群れは小さな丘の向こうに姿を消し、やがて地平線の手前にもりあがる丘の斜面を白い帯となって駆けあがっていくのが見えた。それは大地から天に昇りあがる一頭の巨大な白い龍のようであった。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。