
長野県の最北、人口1,500人足らずの小さな村で、独自の学校作りが進んでいる……。栄村が今、村をあげて取り組んでいるのが、文字通り「村の存亡」を賭けた新しい学校作りだ。
都市部では国立・私立学校の後を追う形で始まった小中、中高一貫校の取り組みも、過疎地ではまったく異なる装いを見せる。人口流出、とりわけ子育て世代が流出した結果、子どもの数が減り、学校存続のために統合を余儀なくされるケースが出てきているのだ。
栄村もまた、例外ではなかった。行政主導のもと、トップダウンで小中の学校統合が進められようとするまさにそのとき、栄村教育委員会教育長、
第1回
長野県栄村の挑戦①
更新日:2025/12/24

- 長野県の最北端、新潟県と群馬県の県境に位置する栄村で今、全国どこでも行われたことのない画期的な試みが進行中だ。明治期以来150年、連綿と変わりなく続いてきたこの国の学校教育を根幹から揺さぶる、新たな学校が、この村から生まれようとしているのだ。
- 栄村はトマトの名産地として知られ、豪雪地帯としても名高い。村の北部を流れる日本一の大河・「千曲川」は栄村を過ぎれば、その名を「信濃川」に変え、日本海へと注ぐ。

県境を跨ぐと、千曲川は信濃川に名を変える-
栄村という名を記憶するとしたら、多くの人は東日本大震災直後に起きた地震によるものではないだろうか。2011年3月12日未明、栄村を最大震度6強という激震が襲った。この「長野県北部地震」により、栄村は甚大な被害を受け、多くの人が避難を余儀なくされた。
地震を契機に、村の人口は減少の一途を辿り、2010年には2,348人だった人口が、今や、1,516人。しかも、65歳以上の高齢化率が55%という、超高齢化社会だ。
もちろん、村に住む子どもの数も減り続け、2010年に145人だった児童・生徒数は、2024年には65人となり、その減少率は−55%。これは県内77市町村中、2位の数値だ。現在、未就学児を入れると、90名の子どもが栄村で暮らしている。 
震災復興祈念館「絆」には、当時の記録が残されている-
栄村の子どもは現在、北信保育園に23名、栄小学校に47名、栄中学校に19名が在籍している。義務教育である中学を卒業すれば、村の子どもたちは電車で1時間かかる飯山市か、隣の新潟県十日町市にある高校へと進学せざるを得ない。そして村外の高校に進学した子どもたちはほぼ、村へは戻ってこない。優秀な人材を都市部へ送るという機能を、村は長年、担ってきたわけだ。
これは栄村に限らず、過疎化に悩む地域には共通の現象だろう。このまま、人材を排出し続け、小さな村は日本から消滅するのか。栄村は村民あげて、NO!を貫く。この“崖っぷち”の小さな村の存亡をかけたものこそが、教育だった。
その教育は、私たちが「当たり前」だと考えている学校教育を根底から見つめ直し、大胆にもひっくり返すというものだ。
この壮大な野望の立役者こそ、2022年4月、教育長として村に赴任した下育郎さん(63歳)に他ならない。下さんはかつて栄小学校の校長として、村民から慕われていた人物でもあった。
- 下教育長、就任
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栄村に赴任してすぐ、下さんが職員から聞かされたのは、学校統合の話だった。子どもの数が減り続け、何度も小学校、中学校同士の統廃合を繰り返してきた栄村にとっては、学校間の距離などを考えて実現可能な、おそらく最後の学校統合だった。職員はこう教えてくれた。
「教育長、実は役所では小中の学校統合の話が進んでいて、校長と前任の教育長の間で話は進んでいるようなのですが、村民にあまり知らされておらず、実際のところ詳しく分からないんです」
「え? なんで、村民が知らないの?」
下さんはいろいろな職員に聞いて回った。
「全然、村民は知りません、校舎の場所まで話は進んでいます。このままだと、村民の多くが知らないまま進んでしまうかも……」 
下育郎教育長。背景の木々は秋になれば真っ赤に色づく-
そこで下さんは、村長に直談判した。
「村長、俺は一から作りたいんです。既に決まっていることを覆すのは誰にとっても怖いけど、ここでゼロベースに戻しましょうよ。統合どうのこうのってことより、村民がどういう子どもを育てたいか、どういう教育をこの村でさせたいの? という、そこからのスタートじゃなければとダメだと思うんです」
下さんは数合わせのためだけの統合を、散々見てきた。行政主導で進み、首長と教育長が地区に出向いて、結果を説明して住民の合意を得るトップダウン方式だ。
下さんは、この慣例に異を唱えた。絶対に、行政主導というスタイルは採らないと。
「村の皆さんの考えを聞いて、最終的に、この村での教育は無理だって考えているのだったら、隣の津南町と一緒になる案が出てきてもおかしくない。その時は、腹を括ろうと思っていました。栄村から学校を無くすという選択だって、あり得たわけです」
下さんは、何度も自分に問いかけた。
「この村で、どういう子どもを育てたいのか。この村で、どういう教育をしたいのか。この村における、教育の役割とは何なのか」
統合より大事なのは、ここなのだ。統合は、その結果でしかない。
「やろう。始めよう、新しい学校づくりを」
下さんは、腹を括った。
「教育委員会という行政主導ではなく、委員会を作って一部の村民が決めることもしたくはない。村民主体で、みんなで決めていく。主導権を、官から民っていう、ニュアンスです。会合には村民誰でも自由に参加してもらって、いろんな話をしてもらいたい。小さな村の利点である、お互いが顔見知りであったり、話しやすい関係だったりといった、村の良さを生かすような進め方をしていきたい」
- みんなで学校を創ろう!
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2022年6月、下さんは全村民にチラシを作って呼びかけた。タイトルは、「あなたの参加で 創ろう 学校!」。
下さんは、村民にアツく呼びかけた。
「栄村教育委員会では昨年度から小中のあり方を検討してきましたが、本年度は全住民参加型のワークショップ(5人で1グループ)で、これからの本村学校教育のあり方を村民一丸となって探っていきたいと思います。あなたの声を、今後の学校や村の教育に反映していくチャンスです。学校に在籍するお子さんが居る・居ないにかかわらず、多くの皆さんの声を聞かせてください!」
第一回の会合は6月9日、18時半から2時間、場所は栄小学校体育館。42名の参加を得た。ここから2024年11月21日まで、2か月に1回のペースで2年半もの間、22回のワークショップを開催することとなる。 
みんなで学校を創ろう! 2年半の軌跡-
多少のばらつきがあるものの毎回、30~40人が参加、10代から80代まで幅広い年齢層が一同に集い、グループを作り、毎回のテーマについて考え、自分の意見を表明した。
「人口1500人の分母から行くと、40人って、なかなかの数字なんです。長野市の36万人で言えば、5000人規模と話しているのと同じ。この規模の話し合いができるのも、小さな村ならではの良さなんです」
下さんがここまで住民参加にこだわったのは、公立校である以上、教員は異動するという宿命があるからだ。どうしようもない制約を持つ公立校において、持続可能な教育はどうやって作ることができるのか。
「先生任せでは、設立の理念がそのうちに廃れていく。村民が学校教育に積極的に参加することで、この村が願う教育を、新たに村に来た先生に伝えていくというのが、新しいコミュニティスクールのやり方だと思うんです。そうすると、持続可能な教育が実現する。教員は移動しますが、村民は残ります。学校の営みの全てに、地域という存在は欠かせないのです」
下さんが強く思うのは、「子どもの人数が少なくなったから……」ではなく、この村にしかできない教育、この村だからこそできる教育があるはずだという視点だ。
学校や教育、子どもの未来を考えていくことは同時に、村の未来を考えていくことに他ならない。村民たちにとって初めて、自分の村への考えを表明し、いろんな人の考えに接することができる“場”が初めて、出現することにもなったのだ。
- みんなで考えていく楽しさ
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ワークショップはまず、「学校作りの柱(コンセプト)を決めよう!」からスタートした。
「まず柱を決めないと、きっと揺れ動くだろうなと思って、『どんな学校、どんな教育を望みますか』っていうことを、いっぱい出してもらいました。こんな子どもになってもらいたい、こんな教育をしてもらいたいと、いろいろな言葉がこんなに……と、驚くほど出てきました」
学齢期の孫がいる樋口正幸さん(66歳)は、長野県北部地震をきっかけに仕事を辞め、破壊されたふるさと「小滝」集落を復旧・復興し、さらに300年後まで続く集落にするためにさまざまな活動を行っている。樋口さんは常に、教育は大事なものだと痛感していた。
「自分は“ふるさと観”をしっかり持って、大人になっても、生まれ育ったところのことを心のどこかに置いてほしい、そういう大人になってほしいという思いがあって、息子たちにもそういう子育てをしてきました」 
樋口正幸さん-
その息子の子どもが今、栄小学校に在籍している。教育に関心があったとはいえ、これまで一住民が、教育に関してできることは何もなかった。教師を選ぶことすら、できやしない。すべてが行政任せでしかないからだ。
「下教育長が来て、行政主導ではなく、みんなで考えていこうって言ってくれた。教育長が最初の会合の時に、今の教育は明治の時からずっと同じシステムなんだと説明してくれて、『確かになー』って思ったよ。でも、『今は、そうじゃない時代になっているんじゃないの?』って。だから、みんなで学校を作るのはすごく良いなーって、思いました」
子育て真っ最中の保護者も、年配の人間も、祖父母世代も「これから何が起こるのか」と、初めての試みに興味津々集まった。
「みんな、ワクワクしながら、これからの学校、どうなっていくんだろうねって集まったね。グループでみんなの思いを一人一人書いて、全員の思いを表現したわけだよ。これが発表だったら、勇気のある人しかできなかったと思う。全員の思いを書いていくという、このやり方って素晴らしいなーって思ったし、考えていくのはすごく楽しかった」
JR飯山線「森宮野原」駅前で洋品店を営んでいた、福島博さん(87歳)は、2回目から参加した。 
福島さんの洋品店では長く、栄村の学校に制服を納品していた-
「子どもも孫もいないし、80歳を過ぎているし、俺の行く場所じゃないと思ったけれど、物好きだし、学校に興味があったの。長いこと制服を納品していたし、下校長先生とも付き合いがあったし。村のことや学校のこととか、ここに住んでいるのに、どんな動きがあるのかも知らなかった。出されたテーマは私にもわかる問題だったし、参加したい、また行きたいって思ったね。私が、最年長だった。村のことや学校のことについて、あの場がなければ、話す機会もなかった」
村民の反応が、下さんにはうれしかった。
「みなさん、毎回、村の教育や村の将来について、結構、夢を語るんですよ。『こういう村にしたいんだよ、俺は』とか。正幸さんなんか、特にそうだった。村民同士が語り合う場が欲しかったって、そういう声をたくさん聞きました。毎回、参加者全員が笑顔になる会でした。にこやかに、話し合いをして。だって、村の将来や子どものことを、みんなで考えるわけですから」 
新しい学校のスローガンは、みんなで考えた- 3回のワークショップで、さまざまな思いが表出された。「ふるさと学習」「考える力の育成」「自ら判断する力」「意思を持って生きる」「人との関わり、自然との関わり」「支え合い」「優しさ」……、出された言葉は、栄村にとってまさに宝物ばかりだった。
- 「柱」は、“自学共育”
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村民が自らの言葉で表明した、栄村で望む教育、栄村だからこそ実現したい教育のありようを、下さんは一つの言葉に集約して提案した。
「自ら学ぶ姿と、共に育っていく姿。皆さんから出されたこの2つを、『柱』にしませんか。すなわち、“自学共育”です」
村民の正鵠を得た、スローガンだった。
では、“自学共育”を目指すには、どのような授業像が浮かぶのか。
「探究的学びをしてほしい、人数も少ないので小中で連携してほしい、異年齢集団の学びをしてほしいなど、意見がいっぱい出されました。要は高度経済成長期のように同質の子どもを大量生産する時代ではなく、今は多様性の時代なので、効率化しないで、個別最適な学びをと。そういう教育を、栄村の子どもには受けさせたいということだったのです」
村民のワークショップから生まれた授業の姿は、明治期から150年続いた学校教育とは真逆のものだった。それが、これだ。
「一律・一斉がない。揃えない。教え込まない。効率化しない。『~でなければならない』が無い授業、その子なりの歩みと育ち、そして学びを大切にする」
これが、栄村が掲げる新しい学校の姿だ。そこには黒板に板書する教員の背を、一律・一斉に見つめる子どもの姿はない。
これまでの学校教育が「当たり前」にしてきたことを、全て覆し、新たな授業像を明確に栄村の村民は提示した。人口1500人の小さな村から、文科省の指導要領を軽やかに飛び越える斬新な学校、授業像がここに明示された。間違いなく、栄村の村民たちは新たな“前例”を作り出したのだ。
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- 著者プロフィール
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黒川祥子(くろかわ・しょうこ)
福島県生まれ。ノンフィクション作家。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』で第11回開高健ノンフィクション賞受賞。著書に『県立! 再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『心の除染』『8050問題』(集英社文庫)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)など。
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