村の存亡を賭けて、学校を作る 黒川祥子

長野県の最北、人口1,500人足らずの小さな村で、独自の学校作りが進んでいる……。栄村が今、村をあげて取り組んでいるのが、文字通り「村の存亡」を賭けた新しい学校作りだ。
都市部では国立・私立学校の後を追う形で始まった小中、中高一貫校の取り組みも、過疎地ではまったく異なる装いを見せる。人口流出、とりわけ子育て世代が流出した結果、子どもの数が減り、学校存続のために統合を余儀なくされるのだ。
栄村もまた、例外ではなかった。行政主導のもと、トップダウンで学校統合が進められようとするまさにそのとき、栄村教育委員会教育長、下育郎は一計を案じた。全村民参加の学校を作り、子どもを村に引き留めよう。パブリックコメントのような形だけの「参加」とは異なり、校舎の設計から制服、果ては授業まで、文字通り村民の合議で決めていく、まったく新しい「義務教育学校」。その取り組みに迫る。

第2回

長野県栄村の挑戦②

更新日:2026/02/04

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飯山線の鉄路と千曲川

栄村の教育長として日々、既成の教育に大鉈を振るう、下育郎さん(63歳)。それは長年、教員として積み上げてきた実績を否定することにはならないのだろうか。
下さんは、おおらかに笑う。誰をも受け入れるあたたかな包容力、フランクで気さくな人柄を会った時から味わっていた。
「実は教員になったのに、自分らしい教育ができているのか、それは一体、何なのかという、忸怩たる思いがずっとありました」


「こらっせ」で再現された昔の教室を案内してくれる下育郎教育長

 生まれは長野県北東部に位置する、山ノ内町。栄村の南部に隣接し、観光地として名高い志賀高原を有する町だ。
 下さんが教員を目指したのは、ある学園ドラマの影響だった。
「それが、『ゆうひが丘の総理大臣』です。私はこのドラマを観て、教員になりたいと思ったんです。中村雅俊がやっていた、あの先生。子どもたちと心の中で本当につながっていて、だけど自由に、勝手にやらせてっていう。ちょっと、はちゃめちゃな先生で、服装も自由なんだけど、子どもたちとはいつも、しっかりとつながっている。そういう教員像に憧れて、教員になったのに、そうじゃない自分というのが、ずっとあったんです。それこそ、30年ぐらい」
 憧れがあったとはいえ、一教員が、周りの評価から逃れることはどうしても難しい。
「『下さんのクラスは、やっぱりきちっとしているね』と、いい評価をされたいので、形を整えるわけです。自分が作りたいのはそうじゃないよな、もっと、自由なクラスを作りたいんだよなって思うけど、自由なクラスって、教員の評価だと、『あのクラス、何やってんだ』とか、『1クラスだけ、勝手にやって』と思われる。周りの目があるし、だから、やっぱり他のクラスと揃えるわけです。周りと揃えなきゃいけないっていう思いが、自分の中にはずっとありました」
 年齢が上がれば、欲も出てきた。
「教科の同好会などでは力をつけ責任あるポジションにつきたいという欲も出てきましたし、学校の管理職からは、校内における様々な分野で結果を出すことも期待されるし、仕事の目標が子どもからどんどん離れて、違うものになっていました」
 40代前半、がんじがらめになっている自分をリセットしないといけないという思いから、文科省が募集していた「日本人学校」の教師に手を挙げた。
「研究主任や事務局やらの役職が重なって、もう、自分でも手が回らない。一回、全部をゼロに戻したいと思いました。そうしないといけないと強く思って、日本人学校だったら、唯一、それをゼロに戻せると思った。だから日本人学校を希望し、赴任先に決まった台湾の台北に行きました。このまま長野県にいたら自分は教員を続けられないのでは、といった不安と共に、学校現場以外で仕事をするようなことにでもなったら、益々、自分のやりたいことができなくなったり、自分が思っていることと違うものにがんじがらめになったりするようで、教員でありながらも今までの歩みとは違う歩みをしたいとか、違う世界も見てみたいというように、このころは強く思っていました」
地域住民と一緒に、ワークショップを
 台北の日本人学校の小学校で、2年間、担任を持った。
「台湾でしか、できないことをやろうと思いました。台湾が日本の植民地になっていた時代に、霧社事件や八田與一が造った嘉南大圳など日本人が、台湾で何をしてきたかということを、いいところも悪いところも全部現地で見せて、子どもたちに判断してもらおうという修学旅行をやりましたね。ここで教員を目指した初心に帰ることができ、エネルギーをようやく蓄えられたと思います」
 帰国後は県立歴史館の主事を務めた後、教頭、校長職を歴任した。栄村に赴任し、栄小学校の校長を務めたのは2018年。
「栄小はコロナの2年前から、リモートで授業をしているんです。私が校長の時に分校と本校を、オンラインで繋いで同時に授業ができるようにしました。小さな村ですが、長野県では最先端だったと思います。ICT教育では、時事通信社の表彰も受けました。これも、長野県初です。子どもたちみんな、コロナ前から、タブレットを使いこなせるようになっていて、リモートの授業も当たり前に行っていましたね」


どの児童も、デスクにタブレットを置いて授業を受ける

「ICT教育」は、教育にデジタルやITを導入するもので、GIGAスクール構想もあり、文科省も力を入れて推進している。
「児童一人一人の“オーダーメイド・シート”という試みも、私が校長の時にやりました。子ども一人一人について、将来の育ちに願う姿を教員が書いて、こういう指導をしようという思いを共有し、それぞれの教科に生かしていく。例えば、この子は『困難を乗り越えさせる体験をさせたいが、ちょっとサポートが必要』とシートに書いたら、先生たちはその子の様子をよく見て、必要だったら手を入れてほしいということです。一人一人の子どもの育ちに応じた個別指導を、きめ細やかに行えるようにシートで具体化しました。畑仕事をして、収穫したものを調理することを通して、“ふるさと学習”に繋げることもしましたね。栄村という、ふるさとを知る学習は、大事なことだからです」
 2020年、下さんは栄小から長野市長沼小学校の校長へ異動になった。長沼小は前年の台風19号による千曲川決壊により、被災した土地でもあった。
「当時、子どもたちはほとんど仮設住宅から通っていて、先生たちも疲れ切っていました。そこで長沼地区の災害復旧のために、地域の方々とワークショップを試みたんです。災害前は小学校も児童センターも保育園も違う場所にあったのですが、私の考えとしては、これらを小学校の敷地内に作り、ここを子育て支援の拠点にしようと思ったのです。当時、長沼地区は切実でした。どんどん人口が減っていて、学校統合を心配する声も上がり始めたので、住民から、思うところを出してもらいました」
 忌憚のない意見を、住民と交わし合った。
「校長先生、小学校の敷地に児童センターなんか、作っちゃっていいんですか?」
「だって、空いているもん。ここを使えばいいでしょう? 子どもが少なくなって、そんなに広い校庭はもう要らないんだし」
 ワークショップを経て、小学校の玄関横に児童センター、校庭の角に保育園を作った。
「まず保育園と小学校の連携が取れるから、小学校入学時のギャップがなくなるんです。学校の敷地内に児童センターがあるので、学童保育にも目が届くし、子どもたちも通いやすい。児童センターは午前中や午後の早い時間は空いているので、地域の方に使って貰えばいい。もし、再び水害があったとしても、校舎を使えば垂直避難ができるんです。3階まで上がれば、大丈夫。防災は、学校も地域と連携する必要があります。その足掛かりを、作れたかなとは思います」
満を持して、教育長として栄村へ
 校長を務めたことで、つくづくわかった。
「校長であっても、できないことって思った以上にたくさんあるんです。校舎の建て替え、増築なんかできないし、その地域らしい学校を作りたいと思っていましたが、好きなように学校を作ることが校長であってもできないわけです。校長の限界がわかりました。ところが、教育長になると、権限も限界もだいぶ違ってきます。あくまで、自分で予算が握れる範囲内ではありますが、ようやくここ栄村で、地域の方と一緒に、その地域らしい学校が作れるんだと思いました。今までできなかった学校を作りたいと思ったのが、“新しい学校創り”の発端です。自分がこれまでそういう教育をしてこなかった、できなかったという、自戒の上に立ってのことですが」


かつての栄小学校が今、新しい学校に生まれ変わろうとしている

 教育長赴任前に水面下で進んでいた学校統合をゼロベースに戻し、全村民にオープンで進めることを決定。ここから“新しい学校創り”のワークショップが始まるのだ。前例がないことをすることに、反対はなかったのだろうか。
「村の教育委員会の中で、反対は一切ありませんでした。職員は、私が栄小に校長で来ていた時、お付き合いしていた人たちがほとんどでした。だから、みんな、『お帰りなさい』って、温かく私を迎えてくれました。村民も、『お帰り』って言ってくれた人が、ものすごく多く、涙が出るほど嬉しかったんです」
 むしろ、“壁”は自分の中にあった。
「今までのシステムが、いちばんの壁だったように思います。今までの自分の中で作り上げていた教員のありよう、学校のシステムなどですね。要は、学校はこうあるものという、長年の教員生活の中で蓄積され、自分の中で当たり前になっていたもの。学校の“当たり前”が、なかなか崩せなかったように思います」
深化を続ける、新しい学校創り
 2022年8月、3回のワークショップを経て「自学共育」というスローガンが決定した。そして、この目指すべき目標に向けた、具体的な授業の姿も、村民から自由に出してもらった。
「個別最適な学び、自由進度学習、異年齢集団の学びというのが出されました。要は効率化しない、教え込まないということです。それがいろいろな言葉で、村民から語られました。今までの教育って、『何々でなければならない』っていうものがあって、そのためにきちっと揃えるとか、中学は制服を着ないといけないとか。でももう、そういうのを全部捨てましょうという声が、村民たちから出されたのです。こんな小さな栄村だからこそ、その子なりの歩みと育ち、学びを大切にしたいというのが村民のご意見でした」
 こうして、柱と授業の具体像は決まった。次は、どのような学校の形態がいいのか。それが4回から9回のミッションだった。
「村民の皆さんからはスッと、小学校と中学校の統合という案が出てきました。実は、統合には2種類あるんです。小中一貫校か、義務教育学校か」
 小中一貫校は同じ敷地内にあっても、小学校と中学校はそれぞれ校長がいて、今までと同じように小中は別々のカリキュラムで授業を行う。義務教育学校は小中の壁を取っ払って、9年間の課程を一体化させるので、カリキュラムは柔軟に組める。
「小中一貫校は一貫した学びはできるけれど、カリキュラムは今まで通り、小中は別物ですし、小中の先生達の行き来もできない。義務教育学校は先生たちの行き来はできるし、文字通り、義務教育の過程を一貫して行うものです」
 村民からは、「実際に、見てみないとわからない」ということでバスを仕立てて、小中一貫校や義務教育学校など、長野県内のいろいろな学校への視察を行なった。
「その結果、『義務教育学校で、施設一体型がいいね』となりました。次は、そのために、今の小学校の校舎の改修工事をしましょうということで、業者の入札も村民にやっていただきました」
 ワークショップの10~16回は、「学校の設計について考えよう!」。村民の評価で業者を決定し、業者を交えたワークショップ方式で、設計にも村民が参加した。


ワークショップでは学校の設計も村民が話し合った

 新しい校舎の1階には平日休日に関わらず、村民誰もが利用できる地域連携スペースを設置、村民の交流の場であると同時に、未就学児の子育て中の親の居場所にもなる。雪に覆われる冬季のために、屋内に巨大遊具も設置したい。2階と3階の間には、大階段と滑り台を作ろう。壁には図書館機能を設けよう。どこにでも、図書館があればいいわけだから。各教室は半分の広さとし、さまざまに利用できるフリースペースを随所に作り、子どもたちの自由な学びの場を保証する……。さまざまな声を反映した模型が、設計事務所の手で作られて役場に飾られているが、それを見れば、ワクワクするような学校が出来上がることがよくわかる。
 ワークショップの後半は制服や校歌、校則など「学校の当たり前」を、どう見直すか。
「揃えない、一律・一斉にしないという“自学共育”の柱があるので、制服も運動着もカバンも上履きも、揃えなくていいんじゃない?と。細かなことは、子どもと先生で相談して決めてもらおう。校歌は子ども達が必要だと思った時に、決めればいいんじゃない?ということで、校歌は決めないで、義務教育学校はスタートします。ランドセルも要りません。ピアスもマニュキュアもオッケーだし、髪の毛も別に染めてもいい。基本は、子どもたちが決めて行くということです」
 だからこそ、大事になってくるのが子どもたちの話し合いの時間だ。
「話し合いは学力じゃないと思われているますが、実は話し合いこそ、大事なコミュニケーションツールであり、力になってくるものです。うちは話し合いを、一つの学力として設定します。特例校でカリキュラムを結構いじれるので、年間35時間は話し合いの時間にしたいと思っています。これを特色として、アピールして行こうと考えています」
 最後は、学校名を決めるというミッションだ。いくつか出された候補を挙げ、村民投票と小中学生の投票により決定することにした。投票の締切りは、2025年1月15日。
 その結果、学校名は「栄村立さかえ小中学校」に決定した。182票中、96票を獲得した名前だった。


校名の次はすかさず校章の募集が始まった

 22回のワークショップを経て、大枠は決まった。もちろん、まだ途上だ。そうであっても下さんにとって、村民と共に2年半に及んだワークショップを通して得た学びは、何ものにも変え難い。「自学共育」に託した村民の切なる思いは下さんの胸に、常にある。
「この村のみんなで、育っていきたい、生活していきたいという思いです。誰一人として、取り残さず。だから、まさに共生です」
 願うことなら、新しい学校により「村を捨てる学力」ではなく、「村を受け継ぐ学力」が培われてほしい。
「たかが、学校の話ではなく、みんなで村の将来について話し合ったんです。今、不登校の生徒数が減ることはないという現状があります。文科省が何をしても、むしろ上昇の一途を辿っている。これはもはや、教育の機能障害です。今まで通りにやっていたら、学校の未来はないでしょう。子どもがどんどん来なくなる。学びは、通信制の高校でいい。じゃあ、学校に来る良さって何? それには学校が、楽しいと思えないとダメでしょう。その決定打が、今の学校ではあまり見当たらない。だからこそ、この小さな村から、学校の当たり前を一つずつ検証したんです。子どもたちが楽しく学校に来るために、今までの“学校の当たり前”をまず捨ててみることにしたんです」
 下さんは今、単身で、栄村にある教員住宅の一室で暮らしている。ようやく地域住民と一緒になって、自分のしたかった教育、創りたかった学校を作ることができることを噛み締め、その責任を一身に負う日々だ。
 文科省も注目する下さんと村民のこの大胆な試みは、今日も現在進行形で、果敢に走り続けている。
著者プロフィール

黒川祥子(くろかわ・しょうこ)

福島県生まれ。ノンフィクション作家。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』で第11回開高健ノンフィクション賞受賞。著書に『県立! 再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『心の除染』『8050問題』(集英社文庫)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)など。

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