私の愛する古典の魅力 能になった平家物語 林望

第1回

室町時代の人々にとっておなじみの『平家物語』をどうエンターテインメントに仕立てるか。能作者の心意気を考える。

更新日:2024/12/04

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“祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ”――あまりに有名な冒頭の一節を持つ『平家物語』。平家の栄華と没落の様子を描いたこの物語は、成立以来、いつの時代にも人々に愛されてきた。室町時代に成立した能の作品の中にも、平家物語を題材としたものは数も多く、幅広い層から人気を集めてきた。『謹訳 平家物語』の著者であり、能にも造詣の深い作家・林望さんに「能になった平家物語」の魅力をご案内いただく。

歴史的事実を変えずに、能ならではの驚きを
 室町時代に多くの能楽を完成させた能作者であり能役者でもある世阿弥は、著書である『能作書』のなかで、平家物語を題材とした能作品をつくるにあたって、「殊に殊に平家の物語のままに書くべし」と、語り継がれてきた内容から外れてはいけないと強く戒めています。

 これは、平家物語は、当時の人達にとって「少し前に起こった歴史的事実」を記したものだという共通認識があったからです。実際には、語られる中でおおいに脚色もされたでしょうが、それでも、実際に起こった出来事を基にしているのは確かなことで、ここが、まったくのフィクションであり想像の産物である源氏物語との大きな違いです。
『平家物語』は、また、大変人気のある物語でもありました。貴族や武士階級だけではなく、一般庶民にも広く知れ渡っていたため、誰もが知っている筋書きを変えると、「それは嘘だろう」と人々は思ったに違いないのです。
 とはいえ、平家物語で語られるシーンをそのまま表現するだけでは、能作品としての面白みに欠けます。能のような芸能においては、「珍しさ」が大きな魅力となります。世阿弥をはじめ、当時の能作者たちは、大筋から外れることなしに、別の視点を加えることによって、観る人に驚きや新たな発見を与える作品作りに挑みました。
『平家物語』の数々の名場面は、ほとんどが能になっています。日本人は、判官びいきで滅んでいったものに対する同情心を持ちやすく、それが、これほどまでに『平家』が愛される大きな理由でしょう。戦の物語ではありますが、勇ましい合戦の話だけではなく、怪談・奇談もあれば優美な女性の話や切々と心情を語るものなどもあります。能作者たちは、誰もが知る『平家』の登場人物たちを複数の視点でとらえ直し、様々な切り口で再構築し、観る人に驚きと面白さを、今も尚、与え続けています。
息子を失った母親の恨みを描いた『藤戸』
『平家物語』の中に、藤戸(現・岡山県南部に存在した海峡)の戦いを描いた小さなエピソードがあります。藤戸は、現在は陸地になっていますが、当時は浅瀬の海峡でした。この海を挟んで、平氏と源氏が向かい合っていました。
 藤戸海峡には、引き潮になると歩いて向こう岸に渡ることが出来る場所が一部にあったといいます。源氏方の武将、佐々木三郎盛綱はその場所を地元の漁師に尋ね、答えを得るやいなや漁師を殺します。なぜなら、その道を敵に知られては困るからです。機先を制した源氏方は、この戦いに勝利します。
 能の『藤戸』は、この後日談を描いています。前シテとして現れるのは、殺された漁師の老母です。もちろん、この母親は、平家物語には一切出て来ません。ワキに佐々木盛綱、後シテはその殺された漁師の亡霊です。
 この母親をメインに据えたのが、この作品の面白いところで、作者である世阿弥のドラマ作家としての非凡さが際立ちます。原典では光の当たっていない人物に光を当てて、誰もが知らなったドラマを見せつつ、本筋は平家物語から外れない。これが、まさに、本格的な能の作り方と言えるでしょう。
 戦いに勝ち、その地の領主となった盛綱は、のどかな春の日に、藤戸の海辺に意気揚々と凱旋してきます。そこに、突如、一人の老女が現れて、涙ながらに訴えるのです。

“亡き子と同じ道になして賜ばせ給へと、人目も知らず伏し転び、我が子返させ給へやと、現なき有様……”(「死んだ息子と同じように殺してくれ」と人目をはばからず泣き伏し悶えて「息子を返してください」と取り乱している様子……)


シテ:二十六世観世宗家 観世清和 写真提供:観世宗家

 何のことやらと驚く盛綱に、「あなたが海に沈めた息子の菩提をせめて弔ってくれ」と詰め寄ります。
 観ている人たちは、「ああ、あの場面のことか……」と思いながら、勝者であり英雄の盛綱に恨み言を言わずにはいられない母親の執念が描き出される展開に驚き、固唾をのんで見守ったのではないでしょうか。一方、盛綱は、戦においては仕方のない判断だったと言いながらも、老母の胸の内を慮り、亡き漁師の魂の供養を行います。中入り後に現れる漁師の亡霊(後シテ)は、「殺される理由などなかった」と深い恨みを抱いているのですが、盛綱の弔いにより成仏得脱し、『藤戸』は静かに物語を閉じます。
敦盛の最期からつくられた『敦盛』と『生田敦盛』に見る創作性
 平敦盛(清盛の弟・経盛の末子)の最期は、平家物語の中でも特に人口に膾炙する有名な場面です。わずか16歳の凛とした貴公子、敦盛は一の谷に波打ち際で敵方の武将、熊谷直実に見つかり、「まさなうも敵にうしろをみせさせ給ふものかな。返させたまへ」(卑怯にもかたきに後ろをお見せになるものかな、お返りあれ)

 と呼ばれて引き返します。力の差は歴然で、直実にかなうはずもなく、敦盛は組み伏せられてしまいました。首を斬ろうと兜を押しのけた直実は、自分の息子と同い年くらいであることに驚き「助け参らせん」と、討ち取るのをためらいますが、覚悟を決めた敦盛から「ただ、何さまとうとう、首を取れ」(ただただ、さっさと頚を取るがよい)と促されて泣く泣く首を打ち落としました。
 能の『敦盛』は、この事実を踏まえ、直実の憐憫の情を主題とする後日譚です。出家して蓮生法師となった直実が、敦盛を弔うために一の谷を訪れます。ワキが蓮生。前シテの草刈り男は敦盛の化身です。そして、後シテは、敦盛の亡霊。蓮生の弔いの心に応えて現れて、感謝を伝えます。これもまた、平家物語に準拠はしているが、そのままではなく、世阿弥の脚色の妙を感じられる場面です。やがて敦盛の亡霊は笛を吹きながら舞を舞いますが、これは、平家物語のなかで討死前夜に陣屋にて笛を吹くシーンをふまえたものです。


シテ:観世三郎太 写真提供:観世宗家

 この作品のように武人がシテになる曲を修羅物と呼び、合戦場面を彷彿とさせるような切れの良さで、颯爽とスピーディに謡われます。
 一方、同じ敦盛を主題とする曲であっても、金春禅鳳(こんぱるぜんぽう 室町時代の猿楽師・能作者)による『生田敦盛』は、まったく作風が違います。こちらでは、敦盛には遺児がいたという設定で、その子が「せめて夢でも父に会いたい」と神に願うという思い切った創作ストーリーです。
 このように、平家物語を題材とする能には、様々なものがあります。次回以降も、どのような視点で何をテーマに描かれているのかに注目しながら、能になった平家物語の世界をお楽しみいただきたいと思います。

林さんによる平家物語の現代語訳版。自身が手がけた『謹訳 源氏物語』とは文体を変えて、講談のようにすらすらと語る講釈体というスタイルで訳したそうだ。声に出して朗々と読みながら、物語を味わいたい。
『謹訳 平家物語』全四巻 祥伝社

著者プロフィール

林望(はやし のぞむ)

1949年生。作家・国文学者。慶應義塾大学文学部・同大学博士課程満期退学(国文学)。東横学園女子短大助教授、ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。『イギリスはおいしい』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。『謹訳源氏物語』で毎日出版文化賞特別賞受賞。若い頃から能楽の実技を学び、能作品の解説を多数執筆。声楽実技も学び、バリトン歌手としても各地で活躍。『謹訳平家物語』『謹訳徒然草』『謹訳世阿弥能楽集』など古典の現代訳にも精力的に取り組む。


取材・文/白鳥美子
写真(林さん)/山下みどり

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