私の愛する古典の魅力 能になった源氏物語 林望

第3回

すべて夢の中 『半蔀(はじとみ)』

更新日:2024/07/24

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 源氏物語のなかでも、夕顔の巻は親しみやすいのか、人気の高い物語です。当時の京都では場末にあたる五条というごみごみとした町の中に、ひっそりと隠れ暮らしている若い女性。源氏との最初の接点は夕顔の花。そして、二人は出逢い、瞬く間に恋が芽生え、秘めたる逢瀬のさなかに早すぎる死を迎える…。大変わかりやすく演劇的なストーリーで、能の材としても使いやすかったのでしょう。

 夕顔が隠れていたのには理由があります。かつての愛人だった頭の中将の本妻から呪いをかけられたと恐れていたからです。本妻は、右大臣の娘でプライドも高く、夫に自分以外に愛する人がいるのが気に入らない。その意を汲んだお付きの女房が親切ごかしに、夕顔に、「お気をつけください、あちらの奥様が呪っておられますよ」とご注進に及んだのでしょう。当時の人にとっては、呪いをかけられるほど恐ろしいことはありません。すっかりおびえてしまった夕顔は、頭の中将の前から姿を消しました。
 ですから、源氏との最初の接点で、扇に乗せて夕顔の花を差し出した真意は決して誘惑ではなく、夕顔なりのプライドでした。場末のあばら家に住んではいても、身分のある男から愛されたことがあるという誇り。安く見られるような女ではないという自負がありました。
 ところが、源氏が通ってくると、いともやすやすと身を許してしまいます。このあたりが夕顔の女としての軽さなのですが、源氏はそれを類まれなやさしさだととらえます。しかも、大変な床上手。夜を重ねるごとに、愛しさが募ります。それが、あるとき突然亡くなってしまうのですから、源氏にとって夕顔は生涯忘れられない女性となりました。

 能の『半蔀』には、前シテ(シテが作品の前半に演じる役)に夕顔の花を手向けに来る里女が、後シテ(後半の役。前シテと同じ能楽師が演じる)には夕顔らしき霊が現れますが、意味不明な言葉が大変多く、いったい何が言いたいのかよくわからない。実は、『半蔀』は宝生流のみに伝わり、他の流派が上演するようになったのは江戸時代後半になってからです。口承で伝えられる中で、言葉がなまったり入れ替わったりしてしまったのでしょう。だから、内容をしっかり理解することはできないのですが、それよりも、五条あたりの源氏物語・夕顔の帖の雰囲気を味わい、夢のような風情を感じておけばよい。
 夕顔らしき霊は、やがて夜明け、「そのまま夢とぞなりにける」――すべてが夢の中の出来事だったという幕切れが、はかなげな余韻を残します。


『半蔀』シテ:二十六世観世宗家  観世清和
写真提供:観世宗家

能の作品の根底にある歴史、そして、“祈り”
 宇治十帖から材を取った『浮舟』という作品は、曲自体にはあまり深みを感じませんが、浮舟の苦悩をテーマにしたものです。そもそも、浮舟という女性は、非常に矛盾に満ち満ちている。薫が通ってくれば、薫と関係を持ち、匂宮が通ってくると、匂宮とも関係を持ってしまう。現代の言葉で言えば、二股をかけ、そのくせ、そのことに懊悩する。こういう人物造形は、実に現実的です。「そういう人、いるよね」と今でも十分に通じる話です。
 大変長い小説である『源氏物語』は、本編と宇治十帖ではかなりテイストが変わります。宇治十帖の方は露骨な描写も多く、浮舟と匂宮のいわゆるベッドシーンでは、かなりきわどい表現が見られます。まるでコスプレのようなことをさせて、朝から晩まで抱いている。絵が上手な匂宮は、会えなくて寂しい時にはこれを見て慰めるようにと、男と女が抱き合っている春画のごとき絵を浮舟に渡したりもしています。ここには、日本人の性愛意識がよく現れています。日本では、古来、性愛はすべての生命の根源だと考えられてきました。いやらしいとは全く思っていません。そう理解すると、源氏物語は単なる色恋の話ではなく、一種の信仰としてのエロスが根底に流れていることに気づきます。
 翻って、能を真の意味で鑑賞するには、ただその曲だけを見るのでは、何か足りない。長い歴史や、その中で培われてきた信仰、そして祈り。一つの作品の根底にあるものにまで思いを馳せることで、目に映る以上の価値が生まれます。そういう意味では、見る者にも、それなりの努力が求められる芸能だと言えるでしょう。だからこそ、深く知れば知るほど面白さが深まっていくのです。


『浮舟』シテ:二十六世観世宗家 観世清和
写真提供:観世宗家

 源氏物語関連の能の作品としては番外編的な存在の『源氏供養』があります。作者である紫式部は小説というフィクション(虚構)を作った、つまり、ありもしない話を書いたわけなので、それは、嘘をついてひとをだますのに等しい。その罪で、死後、地獄に堕ちたという伝説がまことしやかに囁かれてきました。この伝説に依拠して、光源氏の供養をして、紫式部が成仏するというテーマで作られたのが『源氏供養』です。源氏物語の内容には深入りしません。
 前シテは紫式部の亡霊が里の女の姿で現れ、ワキである安居院(あごい)法印に式部の供養を願います。後シテは、供養に対する報謝の舞を舞うというだけの筋書きです。正直なところ、演劇的な面白さはありません。この能では、 “桐壺空蝉夕顔……”と、延々と源氏物語の「巻」の名前が並び謡われるのですが、それこそが、この作品の意義だったのでしょう。巻の名前を連ねながら、紫式部の成仏を祈願します。

著者プロフィール

林望(はやし のぞむ)

1949年生。作家・国文学者。慶應義塾大学文学部・同大学博士課程満期退学(国文学)。東横学園女子短大助教授、ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。『イギリスはおいしい』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。『謹訳源氏物語』で毎日出版文化賞特別賞受賞。若い頃から能楽の実技を学び、能作品の解説を多数執筆。声楽実技も学び、バリトン歌手としても各地で活躍。『謹訳平家物語』『謹訳徒然草』など古典の現代訳にも精力的に取り組む。

取材・文/白鳥美子
撮影(林さん)/山下みどり

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