
第3回
魅惑のスタンプラリー(後編)
更新日:2026/09/02
前編のあらまし:5月の盛岡では、中津川周辺の広いエリアで「もりおか中津川まち歩きスタンプラリー」が行われる。2026年(4月18日~5月31日まで開催)の参加店&参加施設は84ヶ所。35ページもある充実のスタンプ帳を手に街を歩き、店それぞれのユニークな図柄のスタンプをぺたんと押す。こうした催しとは無縁に生きてきた私が、盛岡ではついハマってしまった。そしてスタンプラリーのおかげで、これまでは素通りしていた渋いギャラリーに足を踏み入れ、思いがけない世界や物語と出会った。「いずこも恐れずに足を踏み入れてみるべし」の思いを強くし、もうひとつの未知なるギャラリーへ向かった私。そこはラリーの参加店ではないが、まぎれもなくスタンプラリーに背中を押されたのだ。
中津川の左岸にあるギャラリー彩園子(さいえんす)も、何度となく通りかかって気になっていた場所だ。イタリア料理のDue Mani(ドゥエ マーニ)の斜め向かいにある、白壁と黒い瓦屋根の大きな土蔵。江戸中期の天明2(1782)年に建てられた豪商の呉服問屋の建物だそうで、現在は土蔵の奥にギャラリー彩園子があり、二階が一茶寮(いっさりょう)という喫茶スペースになっている。
ということは知っていたのだけれど、入ってみるのには、なんだか二の足を踏んでいた。
去年初めて盛岡を訪れてから、私がSNSにたびたび盛岡旅の風景などを上げているものだから、地元の方たちから街の情報が寄せられるようになっていた。今回も〈盛岡にいらっしゃっているんですね。今、彩園子というギャラリーで開催中の写真展がとてもよかったですよ〉とコメントをくださった方がいた。
青いトタン壁の家の雪景色の風景がカバーになった中村千鶴子写真集『冬のスケッチ』(PURPLE/2026年5月4日刊行)のことは、やはりSNSに流れてくる画像や情報で知っていた。雪の日の盛岡の街の景色を集めた本だということも。その本に収められた写真の展示が、ちょうど行われている時期だったのだ。

古めかしい土蔵の中のギャラリーで、盛岡の街の雪景色を集めた写真展が開かれていた。
ギャラリー彩園子は、気軽に近づくのがためらわれるほどに古めかしい白壁の土蔵。敷居をまたいで入ると、蔵の中は薄暗くてひんやりとしている。ショートカットのすっきりとした女性が立っていて「こんにちは。どうぞ、ご覧になってください」と声をかけてくれた。この方が、中村千鶴子さんなのだと思った。
私はすぐに、壁にかかっている写真に惹きつけられた。見たことがある、と感じる家の壁や屋根や塀や樹木や電線。盛岡を歩いていて実際に目にした風景でもあるだろうし、記憶の底に沈んでいた故郷かどこかのなつかしい景色でもあるような。音が雪に包み込まれて、サクサクという自分の足音しか聞こえない雪の日のしんとした空気。寒いような、ぬくもりがあるような不思議な感覚で歩く街。まるで自分の目で見ている風景みたいだな、と写真の一枚一枚に見入っていると、「雪の日って、いつもの景色が少し違って見えるんですよね」と背後から中村さんの声がした。
「この古い壁の色も、雪の反射で、元の色が蘇ったかのように鮮やかになる。見慣れているトタンの壁も、ああ、こんなにきれいな色だったか、と思わされる。それで、このシリーズを撮るようになったんです」
私は尋ねた。
「好きな風景があって、雪が降ると、そこを目がけて写真を撮りに行くのですか?」
「いいえ。雪が降るとあてもなく、カメラを持って街へ出ていくんです。そうすると、いつもの街で思わぬ風景に出会える。そこを撮るわけです。雪の降りはじめがいいんです。降ってから時間が経つと、人や車の往来で雪が汚れるから。たぶん私が一番最初に見るのであろう、景色がいいんです」
作家紹介の略歴を見ると、中村千鶴子さんは岩手県久慈市生まれ。北海道大学卒業後、岩手県公立学校やモスクワ日本人学校に勤務し、定年退職後に東京綜合写真専門学校に入学している。60代になってから、写真を本格的に始めた人なのだ。

中村千鶴子写真集『冬のスケッチ』(PURPLE)。見ていると、自分も雪の日の盛岡を散歩している気分に。2026年冬には東京でも写真展を開催予定。
これまでに出した写真集も数冊置いてあり、椅子に座ってゆっくりと見ることができた。その中の一冊『断崖に響く』(蒼穹舎/2023年刊)の表紙は、枯れ木に覆われた断崖と、そこに打ち寄せる白い波の海。ページを繰ると、海に降り始めた雪、薄く雪をかぶった寒そうな海辺の町、やがて春の訪れた若草色の野山や、嬉しそうな子どもたち、大人たち。山の中での鹿(しし)踊り、豊漁を祈る船上の儀式、夜の海の男たちの漁、老いも若きもみんなで踊る盆踊り……。
「岩手県の北部に田野畑村というところがあって、『断崖に響く』はその村を撮った写真集です。田野畑村の明戸(あけと)地区は、1981年に原子力発電所の建設候補地として取り上げられました。その動きを、地域の女性たちの反対運動で止めることができた。だから岩手県には原子力発電所ができなかったんですね。そんな女性たちのいる田野畑村へ行ってみようと思って、カメラを持って通いました」
2011年の東日本大震災で、田野畑村の沿岸部は大津波による破壊的な被害を受けている。〈もし、この地区に原発が建設されていたなら〉と中村さんは写真集の前書きで問いかけている。本当に、もしも原発が建設されていたとしたら……。土蔵のギャラリーの中で、私は東北に流れてきた時間のことを思った。
帰りがけに、中村さんが言った。
「初夏の盛岡で、冬の盛岡の景色も見られてよかったですね」
5月の盛岡で私が出会ったのは、民藝建築の守り人であるギャラリーの主人、盛岡在住の東北の写真家、それから……故郷を必死で守った田野畑村の女性たちの存在。鮮やかに生きる女たちの姿を知って、胸の中がどんどん静かになっていくのを感じた。自分の中に、染みわたっていくものの深さを思った。
さて、スタンプラリーに話を戻そう。
最初は紺屋町界隈の商店の催しだったのが、回を重ねるごとに参加店がどんどん増えていき、どの店もおしゃれだったり、ユニークだったり、意味ありげだったりする図柄のスタンプを店先に用意している。そこいらへんで売っている有り合わせのスタンプではなく、テイストの揃った(つまり作り手が同じだと思われる)凝ったスタンプだ。それを押すためのスタンプ帳も、わかりやすく素敵にデザインされた立派な冊子である。
なんだろう、この結束力は……と私は街を歩きながら、スタンプラリーを、またもや〝盛岡の謎ポイント〟としてとらえ始めていた。だって普通はスタンプラリーって、もっと子どもっぽかったり、チャチだったり、あるいは商売がかっていたりするものなんじゃないですか? なのに「もりおか中津川まち歩きスタンプラリー」は、なんだか街ぐるみの本気の遊びの様相だ。
趣向を凝らしたスタンプを置いている店側はもちろん、ラリーに参加する側も結構必死に街を歩いていたりする。ましてや全スタンプを収集しようという猛者(もさ)は、店の営業時間をくまなく調べて、効率よく街を歩こうと計画を立てたりもしているみたい。つまり、おおよそ観光客向けのイベントではないのだ。あくまでも地元の人が、自分たちの街をより楽しむイベントのように感じられてならない。少しは経済効果があるのかなぁ……と余計なお世話だが心配になる。
そんな思いを胸に東京へ帰ったタイミングで、聞き捨てならない情報が私にもたらされた。その頃はまだ、この連載の第1回の原稿の最終チェックをしている段階だった。文中の記述に間違いがないかを尋ねるメールのやり取りをしている中で、〈かつて街のスタンプラリーに福田隆先生のスタンプを使った年があり、「凍(し)み豆腐」の染め絵はそのときに玄関にかけたものです〉ということが、北ホテルの社長さんからのメールにさらりと書かれていたのである。
ふへ~、まじですか!と私は興奮した。スタンプラリーを経験する前ならば、そうなんですね、とおざなりで済んだ話かもしれないが、「もりおか中津川まち歩きスタンプラリー」の洗礼を受けた身にとっては一大事である。〈福田先生のスタンプがスタンプラリーに使われたことがあるのですか!?〉と返信すると、社長さん(お目にかかったことはありませんが、きっといい人)は、〈「ござ九」さんに聞けば詳しいことを教えてくれるはずです〉なんてお返事をくれた。
なんと、なんと! また行かねばならないではないか、盛岡へ。
いや、実は行くのです。すでに6月にも盛岡行きを決めておりました。宮沢賢治も歌に詠んだ伝統的な神事であり、お祭りである「チャグチャグ馬(うまっ)コ」を見るために。
で、行きました。6月の盛岡へ。「チャグチャグ馬コ」は、それはもう素晴らしかった! その素晴らしさ、底知れぬ魅力を言葉にするのは、一回体験しただけでは無理。あだやおろそかに語りたくない、語れない。それほど素晴らしい体験だった、とだけ申し上げておきます。

「チャグチャグ馬コ」は毎年6月第2土曜日に開催される、神事。美しく着飾った馬コたちが、岩手県滝沢市の鬼越蒼前神社に詣でたのち、盛岡八幡宮まで約14kmの道のりをパレードする。
今ここで書きたいのは、〝スタンプラリーの謎〟の続報であります。
スタンプラリーから約ひと月後の6月、またしても盛岡を訪れた私は、たまたま「ござ九」の前を通りかかった。そして「あ、そうだ。うちのたわしがダメになったんだっけ。買い物ついでに話を聞かせてもらおう」なんていう軽い気持ちで、店に入っていった。良さげなたわしをゲット。「包みますか」と店の女性が朗らかに聞いてくれたので、お願いした。包んでくれるのですよ、たわしを、お店の包装紙で。こういうところも好き。ビニール袋は有料になります、とか言わないのよ。紙はいいですよね。

「ござ九」は大きなたわしが看板がわり。

棕櫚たわしを購入いたしました。シンプルな包装紙もいい感じ。
おもむろに「あの、スタンプラリーのことをちょっとお聞きしたいんですけれど」と切り出すと、「あ、ちょっと待っていてください」と女性は、急いで奥へと引っ込んでいった。しばし待つ。店の奥から、ご主人が口をもぐもぐさせながら出てきた。お昼ごはん中でしたか、すみません、と心の中で詫びる。
「あの、突然なんですけれど。福田隆さん、福田先生の作ったスタンプで、スタンプラリーをやったことがあると聞いたんですが、どういう経緯なのでしょうか」
我ながらアヤシイ。一介の旅行者が、出し抜けに聞くようなことじゃない。しかし、「ござ九」ご主人の森理彦(まさひこ)さんは「ああ、それはですね」と平然と受けて、静かな口調で話し始めた。
「そもそもは、このあたりを河南(かなん)地区というんですが、河南地区の老舗商店が集まって、昭和55年に『南部もりおか暖簾の会』が発足したんです。多いときで26軒ぐらいだったでしょうか。暖簾の会で催事をしたり、瓦版を発行したり、さまざまな活動をしていました」
この「南部もりおか暖簾の会」の発足は、当時の盛岡の街の変化と大いに関係があったようだ。河南地区のバスセンターの向かい、現在はmonaka(モナカ)という複合総合施設になっている場所に、かつては盛岡唯一の老舗百貨店である川徳(カワトク)百貨店(1866年創業)があった。その川徳百貨店が現在の場所、岩手公園西側の菜園(さいえん)に移転したのが1980年(昭和55年)。菜園は中津川から離れ、より盛岡駅に近づいた町である。
さらに1982年に東北新幹線の大宮~盛岡間が開業し、盛岡駅に近いエリアがいよいよ賑やかになりそうな気配を見せてきた。それで河南地区の老舗商店の人たちが「こうしちゃいられない」と奮起し、昔からの繁華街だった中津川界隈の街を盛り上げんがために生まれたのが「南部もりおか暖簾の会」なのである。
こうした商店の会がやりそうなことって、道路に花飾りや提灯をつけたり、福引のガラガラをやったり、そんな感じだと思うのだが、
「『南部もりおか暖簾の会』では、各会員店にスタンプを設置したんです。これがとても好評でした。はい、福田先生が作ったスタンプです。スタンプラリーも当時から行われていました」
と森さんは言う。スタンプが好評だなんて、なんだか可愛らしいなあ、盛岡の人たち。スタンプの絵の魅力もあったのだろう。福田隆さんという人は、みんなから慕われる学校の美術の先生であり、染め絵作家であると同時に、商店のスタンプやのれんや看板をたくさん残し、道端の記念碑なども手がけたりした、盛岡の街のアートディレクター的な存在でもあったようなのだ。
「あ、見ますか?」
「えっ? スタンプ!? あるんですか!」
森さんは店の奥に引っ込んで、蔵のどこかから、大きな段ボール箱を抱えてきた。
「わあ、これが!」
箱の中には使い込まれたスタンプがたくさん。持ち手も台も木でできていて、図柄を彫ったゴム板が台に貼ってあるスタンプだ。

蔵の中から運ばれてきた段ボール箱に、木製のスタンプがどっさりと。いずれも福田隆作。
「今は各店を象徴する図柄のスタンプになっていますが、福田先生が制作したスタンプの絵柄は盛岡の名所や風景でした。ご覧のようにボロボロですり減ってしまっているので、もう使えないので、こうやって保管しているんですよ」

昔のスタンプは結構大きいのです。今は民芸品を扱う光原社は、そもそもは宮沢賢治の『注文の多い料理店』を世に送り出した出版社。支店である北の光原社(北ホテル一階にある)のスタンプは、この童話からインスパイアされた山ねこの絵柄。
ちなみに昔の「ござ九」のスタンプの絵柄は岩手山。盛岡の街のどこからでも見えて、盛岡の人たちが愛してやまない美しい山だ。スタンプの元となった福田隆の直筆の絵も店に飾られていた。

「ござ九」の店の中には、福田隆の描いたスタンプの元絵が飾られている。
「『南部もりおか暖簾の会』の流れを汲んで、次世代の私たちが主体となり、『紺屋町かいわいスタンプラリー』を始めたのが2011年。それから毎年続けるうちに、店の数も範囲も広がっていったので、第4回からは『もりおか中津川まち歩きスタンプラリー』の名称をつけました。2020年の第10回の節目には、この町のスタンプラリーの歴史を伝えようと、福田先生と暖簾の会のことを紹介する予定でした。福田隆先生と、『紺屋町かいわいスタンプラリー』の第1回からスタンプの制作を手掛ける『紙町銅版画工房』の岩渕俊彦さん、この二人の存在なくしてはスタンプラリーは考えられなかったわけです。残念ながら、この年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止になりましたが、本格的に再開した2023年には再度、福田先生をテーマにして開催しました。そしてその翌年に、スタンプラリーの12年間を振り返る特別企画『紺スタ大博覧会(紺スタは「紺屋町かいわいスタンプラリー」の略称)』を、観光客も多く訪れる資料館『もりおか啄󠄁木・賢治青春館』で2ヶ月間開催。そのときは岩渕さんのスタンプだけでなく、暖簾の会で使用した福田先生のスタンプもすべて展示して、新旧のスタンプでみなさんに楽しんでもらおうという趣向でした」

「南部もりおか暖簾の会」の会員店のスタンプが勢揃い。今も元気に営業中の店も多く、どこも魅力的です。
2023年のこのときに、大博覧会を記念して北ホテルのロビーに「凍み豆腐」の染め絵がかかり、その2年半後に私がそれに目をとめた。ホテルや店に飾られていたり、スタンプになっていたりして、街の中に何気なく置かれていても、絵というのは時を超えて、こんなふうに力を及ぼすものなのですね。
現在、スタンプの制作を一手に引き受けている『紙町銅版画工房』は、私にとってまだ未知なる存在だ。けれど、この春のスタンプラリーが終わったあとも、同工房はSNSのXで参加店のさまざまなスタンプと、その図柄がどうして選ばれたかの簡単な紹介をしてくれていて、とても楽しませてもらった。盛岡好きとしては、まだ知らない店の紹介をしてもらっているようだった。
森さんによると、スタンプは参加店がそれぞれ自前で発注して、工房と相談して作るそうだ。「今年はこの柄」みたいに、毎年のようにスタンプを新調する店も少なくないとか。やはり、店側もスタンプラリーを楽しんでやっているのだ。
盛岡のスタンプラリーは、単に商店街のPR活動ではないのだと思う。スタンプじたいにものすごく力が入っている。思いが込められていて、温かみがある。だから人々に愛されている。福田隆はじめ、街の先達の感性というか価値観というか、この街の人たちが〝大切にしているもの〟が今も自然に受け継がれているのを感じる。
人の手で絵を描き、彫るスタンプ。それを押す紙の帳面。人々が足で歩き回って楽しむスタンプラリー。時代遅れもなんのその、素晴らしくアナログな方法で、みんなで楽しむ街のイベントが静かに盛大に毎年行われている。盛岡はそんな街なのだ。
協力:伝えたい、残したい、盛岡のふだんを綴る本『てくり』(発行:LLPまちの編集室)
ギャラリー彩園子
通りに面した大きな土蔵で、ちょっと奥に入ったところに入り口あり。二階の喫茶室・一茶寮も素敵な空間で、ふかしパンと具だくさんのスープが人気。盛岡市上ノ橋町1-48
ござ九・森九商店
文化13(1816)年創業の荒物店。江戸時代後期から明治末期にかけて増改築を重ねてきた、瓦屋根と木格子の美しい建物は盛岡の街のシンボルのひとつ。さまざまな展示やイベントも行っている。インスタグラム:@goza.ku
紙町銅版画工房 x:@kamicho88
写真/白江亜古
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- 著者プロフィール
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白江亜古(しらえあこ)
1961年埼玉県生まれ。ライター。著書にインタビュー集『日本女性の底力』(講談社+α文庫)。有元葉子、ウー・ウェン、落合努氏らの書籍の編集構成ライティングを担当。
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X :白江亜古亜古(@acoshigoto)
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