
第1回
右岸の宿、左岸のレストラン
更新日:2026/06/24
左岸ーsaganだなんて、パリみたい?
いや、パリのお話ではなく、日本の東北の盛岡のお話です。
セーヌ川ではなく、盛岡の街の中を流れる中津川、その右岸にあるホテルと、左岸にあるレストランのことを書こうとしています。
パリを持ち出したのは、盛岡にはちょっと〝その気(け)〟があるから。気配。雰囲気。スピリット。芸術の街、花の都と呼ばれたパリ的なエッセンスが盛岡にはある……気がする。

春の中津川を「中の橋」から見た風景。右岸に岩手公園(盛岡城跡公園)が広がっている。
私は東京在住で、去年(2025年)1月に初めて盛岡へ行った。秋田の鶴の湯温泉の帰りに、たまたま寄ったのが盛岡だった。たった1泊ですっかりとりこになってしまい、気がつけば去年1年で8回も盛岡に通っている。
仕事があるわけでもなく、親戚や友人ましてや愛人がいるわけでもない。8回とも単なる観光だ。友人とも行ったし、家族とも行ったが、おおかたはひとりで盛岡やその周辺を彷徨(さまよ)い歩いている。
ひょんなことで出会って、いきなり始まってしまった恋みたい。東京にいても盛岡のことが気になってしかたがなくて、エイッと新幹線に乗ってしまう遠距離恋愛のような盛岡への旅。どうしてそこまで惹かれてしまったのか。自分でもよくわからない熱情が、真夏の入道雲みたいにグングン膨れ上がるとき、私はとりあえず文章にして心を落ち着かせることにしている。去年はnoteというwebのメディアプラットホームに、数回にわたって盛岡のことを書き綴った。
で、2年目の盛岡である。恋も2年目なら、一歩踏み込んだ姿勢で臨むべきではないだろうか。謎解きめいたものが必要じゃないの? 〈なぜ、それほどまでに惹かれてしまったのか〉の謎解き。これをしなければ、私と盛岡は次へ(どこへ?)進めないのではないかと思った。
最初の旅から、自分の中に引っかかっている〝盛岡の謎ポイント〟がいくつかある。2026年はそれらの〝答え〟を探しがてら、引き続き盛岡をふらりふらりと旅することにしよう。
盛岡を好きになったのは、入り口がよかったせいだと思っている。最初の旅で、宿泊を北ホテルにしたこと。

北ホテルのファサード。看板にもなっているロゴは、盛岡ゆかりの画家・書道家である高橋忠弥によるもの。
北ホテル〈HOTEL du NORD〉は、盛岡駅から徒歩25分ほど。一般的には「ちょっと遠い」と言われてしまう場所だ。
利便性を考えれば駅近くの大型ホテルを選び、駅より徒歩5分ほどの北上川にかかる開運橋から、雪帽子をかぶった岩手山の美しい風景に見入るのが盛岡観光の王道である。
だが、盛岡という街の面白さは、もうちょっと奥まで来ないとわからない。北ホテル、岩手公園(盛岡城跡公園)、岩手県公会堂(1927年築のネオゴシック建築!)、旧岩手銀行赤レンガ館(1911年築の盛岡を代表する美建築)などなど、駅から徒歩20分ほどのエリアにこそ、歴史と文化が色濃く残る街並みがあるのだから。

1927年築の岩手県公会堂は今も現役で、県民市民のサークル活動などにも使われている。
このエリアには、中津川が流れている。駅近くを流れる北上川の支流である。
北上川は古くは木材などの物資を運ぶ大事な水路で、幅が広く水量も豊かな東北地方最大の一級河川だ。一方、中津川は幅もほどほどで、水流も穏やか。数年前まで鮭が遡上した清流であり、川の両端に遊歩道もある野原が続き、市民ののどかな憩いの場となっている。
最初に書いたように、北ホテルは中津川の右岸に位置する(川の上流から見て右側を右岸と呼ぶそう)。官庁街の中にある7階建て、客数91室の宿だ。
ホームページのトップに、ホテルのいわれが書かれている。〈パリ市民や芸術家に愛され、フランス映画の舞台にもなったHotel du Nord。そのホテルに憧れた彫刻家の菊池政美が、盛岡市民の憩いの場所である中津川にほど近い場所に、1981年7月14日巴里祭の日を選んで開業したのが北ホテルである〉といった内容だ。
大通りから少し奥まった北ホテルの玄関に入ると、すぐに目に留まる一枚の絵がある。藁で縦に一枚ずつ結ばれた「凍(し)み豆腐」を描いた染め絵。盛岡は民藝運動の盛んな土地でもあり、暮らしと結びついた芸術が昔から育まれてきた。その流れを汲む染め絵なのかもしれない、と想像する一方で、それにしても「凍み豆腐」という地味なものを絵の題材に選ぶなんて、ましてやホテルの玄関の顔にするなんて、盛岡の人はちょっと変わっている、と思う。

北ホテルの玄関にかかっている福田隆作「凍み豆腐」。
染め絵の前を通り、ロビーへ進むと、私たちはホームページの説明がリアルに立ち上がるのをそこに見る。吹き抜けの高い天井、縦長に大きく取った窓、シンプルでシックな椅子やソファやテーブル。それらの脇に立つライトスタンドが、橙色のほのかな明かりを落としている。
ひたすらシックで落ち着いていて、ヨーロッパの旧市街の裏道にひっそりとある、こじんまりとしたホテルみたいな雰囲気。素敵だなあ、好みだなあ、こんなホテルが日本にもあるんだなあ……と私は北ホテルのロビーにすっかりやられてしまった。
荷物を部屋に入れてそそくさと階下へ降り、この素敵なロビーから盛岡の街へ出かけていくときの心持ちと言ったら! もう、街には魔法の粉がふりかけられている。

吹き抜けの天井で、落ち着いた雰囲気の北ホテルのロビー。友人との旅なら、待ち合わせはここで。
背高のっぽに生い茂った街路樹のトチノキは、パリの街路樹であるマロニエの仲間で、どこか異国を感じさせる洒落たルックスだ。ほかにもモミ、ケヤキ、ユリノキ、イタヤカエデ、サトウカエデ、マツ、ヤナギ……。盛岡の街は緑にあふれている。こんもりとした木立のあいだあいだに、煉瓦造りの明治時代の洋風建築や、江戸期に建てられた木造と瓦屋根の美しい日本家屋などが残されている、そんな感じ。そうした古い建物の多くが未だ現役で使われていて、過去と現在が交錯している様子も私の気分を高揚させる。
昨今流行りのライトなコーヒーとは真逆の、濃さと深みを湛えたネルドリップ式コーヒーを飲ませる喫茶店が街には無数にある。濃厚でとびきりおいしいホットチョコレートが飲めるカフェもある。盛岡駄菓子(昔ながらの素朴な味わいのお菓子)や、黄精飴(おうせいあめ:ユリ科のアマドコロの地下茎の煎汁で作る、漢方的にも身体に良い飴菓子)といった、この街にしかない昔ながらのおやつも買える。
歩いてまわれる範囲に、ロマンティックな歴史的建造物も、緑豊かな大きな公園も、遠くの山々まで見渡せる中津川の風景も、趣きのある喫茶店も、南部鉄器や漆器や籠を売る店も、安くておいしい町中華や蕎麦屋や冷麺店も、個性的な本屋さんも、文化的な施設やギャラリーも、気になるところが山ほどあるのだ。なんて魅力的な街なのでしょう!
そして食べるもの。盛岡の最初の夜に食べた料理が、私には鮮烈だった。
イタリア料理のDue Mani(ドゥエマーニ)は、中津川の左岸にある。カウンターと、テーブル席が2つ3つのこじんまりとした店で、坊主頭に眼鏡の男性がひとりで料理を作っている。
おすすめの白ワインを飲みながら、運ばれてきた前菜の盛り合わせを口に運んだ瞬間、あー、これは、と私は静かに唸った。
お皿に載っているのは「切り干し大根とドライトマトのサラダ」「新生姜とリコッタチーズのヌーディ」「本日のミネストラ(季節野菜のスープ)」の3種。まずはサラダを食べてみた。太めの切り干し大根のコリコリとした歯応えのよさ。噛むほどに滋味が広がる干し大根と、濃厚な旨みのかたまりであるドライトマトを、柑橘のほのかな酸味とオリーブオイルでひとつに合わせている。超好みな味。であるし、こんなサラダは食べたことがない。
「新生姜とリコッタチーズのヌーディ」は、レモン形の白いムースのような見た目。スプーンで口に含むと、清々しくてなめらかなチーズの中で、生姜が爽やかな香りと細かく刻んだ食感で気高く主張している。生姜が大好きなので、これまた私にはたまらぬ美味。
「本日のミネストラ」はこの日は大豆と菊芋のスープだった。お腹にたまる液体のいわゆるスープではなく、野菜がザクザクたっぷり入った汁気の少ない煮込み料理的な。小さめのココットに収まった、格好のお酒のアテである。
すごい。好みの料理ばかり。ナチュラルなワインにドンピシャリの相性だ。誤解を恐れずに書いてしまえば、へんてこな料理とも言える。だってイタリア料理の前菜といえば、生ハムだったり、フリッタータ(卵焼き)だったり、たこのマリネだったり、カルパッチョだったり、普通はそんな感じじゃないですか?
前菜のみならず、ケーパーとオレガノのレモンクリームのニョッキも、クミンと大徳寺納豆のリゾットも、赤身の香ばしい短角牛も、ベルガモットのグラニテなどのドルチェも、Due Maniで出てくるのはこちらの想像とまったく違うお料理ばかり。新鮮かつ刺激的な味わいで、すっきりと後味がよく、不思議なおいしさがくせになる。地元で丁寧に作られた農産物をおいしく食べるために、イタリア料理の手法が使われている、そんな気がした。

前菜3種盛り。左上が「切り干し大根とドライトマトのサラダ」。ワインが進む!
2025年3月の2度目の盛岡旅行では、私は3日続けてDue Maniに通った。この店の料理、この店の有り様が、なんだかすごく気になったから。その後の旅でも幾度となく、Due Maniの椅子に座ってワインを飲んだ。
通ううちにわかったのだが、Due Maniはいつ行っても、料理のラインナップが基本的に不動なのだ。前菜は春夏秋冬通して「切り干し大根とドライトマトのサラダ」「新生姜とリコッタチーズのヌーディ」「本日のミネストラ」の3種のみ。パスタもリゾットもニョッキも、そのときどきにある材料の違いで小さなモデルチェンジがあるぐらいで、大筋は変わらない。私には好みの料理ばかりだから飽きるということはないのだけれど……店としてどうなのかしら?
盛岡旅行も2年目に突入した2026年のある春の日、思い切って訊いてみることにした。謎を解くために。
どうして、切り干し大根のサラダなんですか? そう尋ねると、Due Maniのシェフ・小澤智範さんは「どこから話せばいいかな」と宙を見つめてから、こう話してくれた。
イタリアには、イタリア料理というものはないんですよね。その地方地方によって料理がまるで違って、イタリア人は地元の料理や母親の料理が絶対的だと思っている。僕が若い頃に働いていた東京のレストランにはローマ人のシェフたちがいたけれど、彼らはイタリア料理ではなく、ローマの料理、もっと言えば〝自分の料理〟を作っていました。自分が子どもの頃から食べてきた、自分が本当においしいと思う味を。だから「〇〇さんの料理が食べたい」と特定のシェフの料理を目指して来店するお客さんがいたくらいです。ローマ人のシェフたちが帰国することになり、彼らから新しいシェフに推薦された僕はそのとき28歳で、その店でまだ3ヶ月しか働いていなかった。調理済みのフライパンがシンクに投げ込まれるのを、洗い場係の僕が必死に止めて、熱いフライパンの中に指をつっこみ、火傷をしながら彼らの料理を味見した。そうやって味を覚えて、賄いで再現してみせたことが認められたのでしょう。でも、いざ自分がシェフとして料理を作る段になると、彼らの真似をしてお客さんに喜んでもらえる料理を作ることはできても、それは僕の料理ではないわけですよ。どうしたらいいんだろうと悩んで、味がまったくわからなくなった時期もありました。それから故郷へ帰って、盛岡のお店で働き始めてから、だんだんと思うようになったんです。僕が食べてきた母の料理や、岩手で食べてきた料理や食材、これを基本に据えるのが、〝僕のイタリア料理〟になるんじゃないかな、と。
初めてイタリアへ行ったとき、帰りの飛行機の中で〝生ハム=新巻鮭〟とノートに書いたことを覚えています。僕の親は三陸の釜石で水産加工をやっていて、新巻鮭も作っていたんですよ。イタリアにしろ三陸にしろ、その土地土地で手に入る食材を風に干して、熟成させて、おいしい食べものを作る。ほんと一緒だな、と思った。切り干し大根も、もしも自分の地元の食材だったら、イタリア人もきっと使うよな、と思って。じゃあ、切り干し大根をどういうふうにしたら、ワインにも合うおいしい料理になるかな、と。そういうことで「切り干し大根とドライトマトのサラダ」を作るようになったんです。
ほかの料理もそんな感じです。岩手には良い食材を作ろうと頑張っている生産者がたくさんいる。彼らの紹介もしたい、っていう思いもあります。でもメニューに長い説明を書いたりするのは嫌だから、そうした素材の良さがシンプルにわかる料理を、前菜などの定番で出したいと思いました。
話を聞いていて、私は思った。お母さんの作った料理や、地元で食べてきた料理をずっと大切に思えるのは、珍しいことではないだろうか。若い頃は、鈍臭い故郷の味よりも、食べたことのないようなおしゃれな料理に憧れるものなのに。そう言うと、小澤シェフは笑いながら言った。
そういう意味では、僕はちょっとイタリア人に近いかもしれないですね。変な話、毎日同じものを食べるのでもいいんです。以前に雇われシェフとして働いていた店では、毎月新しい料理を出したりもしていたんですよ。頭で考えて、試作を何度も繰り返して。でも、なんか違うな、と思った。食材に対しても失礼な気がした。それで2010年12月に自分でこの店を始めることになったときに、僕自身が毎日食べたい料理を出し続けてもいいんじゃないかと思ったんです。それを続けていく間には、きっと新しい定番もいっぱい出てくるはずなんで。
謎が解けた、と思った。〝Due Maniの切り干し大根のサラダの謎〟が。
この日はラッキーデイだったらしく、ちょうど同じ日の朝に、私はもうひとつの〝盛岡の謎ポイント〟の答えも見つけている。北ホテルの玄関になぜ「凍み豆腐」の絵がかかっているか、の謎だ。
去年、盛岡のことを書いたnoteは、思いがけず多くの方に読んでもらえた。「書いてくれてありがとうございます!」「ぜひ、ここにも行ってください」と盛岡出身だったり、盛岡在住の方々から熱いメッセージもたくさんいただいた。盛岡の人って、ほんと盛岡が好きなんだな、と圧倒されるほどに。
noteの第1回の記事の最後に、自分で撮影した北ホテルの「凍み豆腐」の染め絵の写真をのせたところ、〈福田隆の作品で、福田隆は盛岡の大事な画家です〉と教えてくださる人がいた。あの染め絵によくぞ気がついてくれました! といったニュアンスも含むメッセージだった。
webや書籍で調べてみると、福田隆は大正6年(1917)生まれの岩手県出身の美術家。盛岡の高校で美術講師を務めながら、染め絵の制作を続けた。白い立派な髭を蓄えていたことから「おひげさん」の愛称で親しまれ、盛岡の街の商店の看板や暖簾や屋号の図案なども多く制作している。
福田隆と、北ホテルの創設者である彫刻家・菊池政美は学校の同級生で、芸術仲間であったようだ。北ホテルの前身は菊池旅館という日本旅館(菊池政美が経営していた)で、宿の中に「窯(かまど)」という名前の飲食店を構えていた。ここが芸術家たちが酒を酌み交わす溜まり場になっていたらしい。
1981年に菊池旅館が北ホテルとして生まれ変わったとき、ホテル2階に作った「レストラン窯」は今も営業を続けている。ホテルの現在の経営者たちも、北ホテルの成り立ちやここを愛した人たちの記憶を大切に思っている、そのことはホテルが昔と変わらぬ風情であること、玄関に福田隆の「凍み豆腐」の染め絵が飾られていることで、充分に伝わってくる。
2026年の春の朝(Due Maniで小澤さんと話した日だ)、私は北ホテルの部屋で一冊の絵本を開いた。前日に盛岡市大通の「さわや書店本店」で、面出しになっていた『ひき石と24丁のとうふ』(大西暢夫/アリス館)である。
窓際の小さなデスクで、青白い朝の光の中でページを繰る絵本は、写真と文章で構成したノンフィクションの作品だ。
岩手県二戸市浄法寺町の人里離れた山奥で、大豆を育てて豆腐を作り、ひとりで販売している90歳の女性がいる。あまりに山奥なのでお客さんが来ない日もあるけれど、昔ながらの手間ひまかかる手法で、不自由な目で、女性は来る日も来る日もひとりで豆腐を作っている。長年住んだその場所で、長年やってきた「自分にできること」をすることが、生きること――。そんな真っ当な生き方の尊さが、本の中から強く浮かび上がってくる。
この絵本のクライマックスは、〈「今夜、凍みるな!」〉の女性の一言から始まる。〈星の見える天気のいい日は、うんと気温が下がる。〉と文章が続く。森閑とした山奥の暮らしの中で、いったい何が起こるのだろう? ワクワクしながらページをめくると、一面に凍み豆腐が並んでいる。わあ、これか、これなんだ! 胸が熱くなった。
カチカチになって少しゆがんだ長方形の豆腐は、一晩外に置いて凍らせたせいか、霜のような愛らしいシワがたくさん寄っている。宝石のようにきらきらしている。畑の大豆と、山の湧き水と薪と、ひき石(石臼)と人の手と、厳寒の岩手の自然によって生まれる美しい食べもの。
次のページを開くと、できたばかりの凍み豆腐を、女性が見えない目で手際よく、藁で編んで一枚ずつ縦に結んでいる。これよ、これなのよ。今いるこの部屋の下にあるのは。ホテルの玄関にある絵は、まさにこうやって昔から作られてきたこの土地の食べもの。盛岡の、岩手の人たちが大切にし続けているもの……。〝北ホテルの「凍み豆腐」の絵の謎〟が解けた瞬間だった。
盛岡の、岩手の人たちが大切にしているものは、私の大切にしているものとまったく違う。でも、それならば、私の宝物ってなんなのだろう?
こんなことを考えながら、盛岡への旅は続いていきます。
参考図書:福田隆「しゃぼんだま随想」(「しゃぼんだま随想」出版発行人の会)
協力:金野万里(文化地層研究会)
北ホテル
盛岡の旧市街とでも言うべきエリアにあるホテル。シーズンオフはシングルルームが1泊4000円で泊まれたりする。
https://kitahotel.jp
Due Mani(ドゥエマーニ)
岩手の食材を主役に、イタリア料理の手法で作られる料理とワインの店。店内には本と石ころと籠がたくさんある。
インスタグラム:@duemanichef
写真/白江亜古
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- 著者プロフィール
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白江亜古(しらえあこ)
1961年埼玉県生まれ。ライター。著書にインタビュー集『日本女性の底力』(講談社+α文庫)。有元葉子、ウー・ウェン、落合努氏らの書籍の編集構成ライティングを担当。
note:http://note.com/shiraeaco
X :白江亜古亜古(@acoshigoto)
インスタグラム:@acogarerumba
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