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読むダイエット 高橋源一郎

最終回 世界の果てで食べる

更新日:2023/08/30

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 彼らを襲っているものはなんだろう。食欲なのだろうか。いや、人はただ食べたいだけで、こんなにも食事のことばかり考えるようになるのだろうか。
 これほどまでの食欲は、やがて、次のシーンで頂点を迎える。それは、特別に甘味が許された、ある日の食堂での出来事だ。男は目の前の食物を見て震えるほど感動する。そして、食べながら、長い独白を始めるのだ。いうまでもなく、ここに書かれた料理は、すべて、作者によって細かく描かれているのである。

「食堂全体に満ちているサラダ(フルーツカクテル)の甘い香り……フルーツの甘い香りの中から生まれた日本の妖精がギトギト光るマーガリンや小倉小豆の上を華麗に舞っている……今日は16日マーガリンつきのこの日のパン食こそ6回の中で特にまちこがれていた最高のものだった……ああ……マーガリン……ああ……う、うまい……さいの目に切ったリンゴが入ったフルーツ……甘い甘い小倉小豆……あまりにもうまいものを食うと脳が……こんなうまいものを食ったのは生まれて初めてだ……ガキの頃生まれて初めて食った生クリームパンよりも……学校帰りに食った揚げたてコロッケよりも……何百倍も何千倍もうまいのだった……そりゃあもう言葉では言いつくせない ヘロインなんかめじゃないって……マーガリンと小豆をまぜると また味がひとしお増すという者もいる……牛乳も脳みそが真白になるほどだし……しかしなぜこんなものがこれほどうまいんだ???……中には甘いものは胸がやけてだめと言って残す者もいる……すると……宝石店でダイヤを盗むくらい危ない橋をわたる者もいる……例のマーガリンと小豆のグチャグチャなやつを……(図書室の本棚の傍で突っ伏すようにしてむさぼりついている男の絵)……シャバでは妻と子供が父の帰りを一日千秋の思いでまっているっちゅうに……バレたら仮釈放取消しだっちゅうに……どえらいことになるっちゅうに……しかしまあ……その味には大の男も勝てまいて」

 ここで、わたしたちは「食」というものにひそむ謎に遭遇することになる。この描写の中に、いや、『刑務所の中』の食事に、いわゆる「豪勢な料理」は一切出てこない。「珍品」も「懐かしい郷土料理」も「記憶の中の母の味」も出てこない。すべて「ふつうの料理」なのだ。わたしたちが日常で出会う、生きていると日々食べることになる、どこといって特徴のない日常そのものであるような料理。それにもかかわらず、この料理は、食べる者に究極の感銘を与えるのである。
「こんなうまいものを食ったのは生まれて初めてだ」と、「言葉では言いつくせない ヘロインなんかめじゃない」と感じさせるのである。

『刑務所の中』を読みながら、わたしは思い出していた。そう、その通りだ。あの「ふつうの料理」たちが、どれほど美味しいと思えただろう。ほんとうに美味かったのだ。食事のたびに、ほんとうに美味いとわたしは思ったのだ。「外」にいるときには、そんなことは滅多になかったというのに。

 おそらく、彼らが(わたしが)食べていたのは、ただの「食物」ではなかった。彼らが(わたしが)食べていたのは「希望」だったのである。

「刑務所」の中で、人は孤独になる。それは、「刑務所」が過酷な場所だからではない。そこで、拷問があったり、身体的な苦痛を感じるような環境におかれるわけでもない。いや、たとえば、刑務所には、というか囚人たちが入る房には、エアコンが装備されていないので、夏はひどく暑いし、冬はひどく寒い(これほどまでに暑さがひどくなってもエアコンがなくて大丈夫なのだろうか)。しかし、それがどれほど厳しくても、身体的なものなら、かなり過酷なものであっても人は耐えることができる。
 耐えられないのは「孤独」だ。
「刑務所」に入るということは、世界から切り離されることだ。それまで培ってきた、世界との関係をすべて失うことだ。
 最初は、まだいい。留置所よりましな環境にホッとし、食事に満足し、少しだけ気持ちも落ち着く。だが、やがてやって来る単調な日々の中で、囚人たちは気づくのである。
「世界」は、彼らなしでも、まるで関係なく、いつものように動いていることに。
 たまにやって来る家族ですら、交わすことばも少なくなってくる頃、彼らは深い孤独に悩まされることになる。いつ戻れるのかわからない不安、やり直すことができないかもしれない不安、二度と受け入れてもらえぬかもしれない不安、あらゆる不安が彼らを襲い、それに耐えられなくなったとき、彼らは底知れぬ絶望の中にたたき落とされるのだ。
 その絶望に耐える唯一の手段は無感覚になることである。だから、長く収監されている囚人たちは感情のひだをうしなってゆく。それは、彼らがとることができる数少ない自衛手段の一つなのだ。
「世界」と断ち切られ、深い孤独に陥った彼らに、「世界」と再び結ばれる瞬間がやって来る。それが「食事」だ。
 それは「ふつう」だから素晴らしいのだ。すべて食べたことがあるものばかりだから美味しいのだ。「世界」にいたときには、それを食べても何も感じなかったのに、いま激しく彼らを揺すぶるのは、「世界」をきちんと味わおうとしなかった後悔からなのだ。彼らは食べる。かつて食べたものを。彼らは食べる。それは、取り戻すことができない「過去」の味だ。それほど美味しい食事は、この世界には存在しない。それは、どんな料理人の「腕」をもってしても再現できない、どんな優れたソースやスパイスよりも、舌を魅了する、特別な「料理」なのである。

 最後に、もう一つだけ書いておきたいことがある。
 おそらく、もっとも「美味しい」であろう、この「刑務所の食事」には、常に「半分以上麦が混じった米」が添えられていることである。それは、この国の「象徴」が食べるといわれたものとほぼ同じだ。
「天皇」が食べていたのは「七分づき程度の飯に、麦が半分はいっているもの」だった。そして、「天皇」は、それを「食べつけてみると、味も白米飯よりもよろしい」というのである。ふつうの人たちが「実にまずい」と感じるのに。
 ほんとうに、その味は「よろしい」のだろうか。慣れてしまったからそう感じるのだろうか。あるいは、その人もまた、「世界」と断ち切られた場所にいて、深い孤独に陥り、それ故に、食事においてだけは「美味い」と感じるようになったのだろうか。その人にとって、取り戻すべき「日常」とは何だったのだろう。あるいは、そんなものが存在したことがあったのだろうか。
「天皇の食事」と「刑務所の食事」、その隔絶されたふたつの食事の間にある、不思議な共通性の意味を、いまもわたしは考えつづけているのである。

3 残飯と人肉食

『もの食う人びと』(角川文庫)は、作家の辺見庸さんが1992年から94年にかけて世界を歩き、その場所の人びとの「食べる」様子を描いたノンフィクションだ。
 どのような過酷な場所にいても、人が生きる限り「食べる」からは逃れることができない。「飽食の時代」と呼ばれていた当時のニッポンから、その外へ出て、辺見さんは、真逆な世界の「食べる」を見つめる。そして、最後に「飽食の時代」もいつか「空腹の時代」に転じるのではないかという予感を綴って終わっている。もしかしたら、辺見さんの予感は当たりつつあるのかもしれない。
 世界中で紛争や災害が起こり、そのニュースが伝わってくる。しかし細部はわからない。だから、辺見さんは、ただ「食べる」ことだけを見つめて歩くのである。そこから見えてくるものが何なのかは、ここまで、この連載を読んでくださったみなさんには、感じとれるかもしれない。人間は「食べる」生きものだ。当たり前のことなのではあるけれど。
 辺見さんが最初に訪ねたのはバングラデシュの首都ダッカ駅周辺だった。空腹を感じた辺見さんは駅前広場の屋台に入った。

辺見庸『もの食う人びと』
角川文庫

「直径七十センチほどのブリキの大皿に山盛りになったビラニ(焼き飯)とバット(白いご飯)に食欲をそそられた。いずれの大皿にも骨つきの鶏肉、マトンがたくさん載っている。
 そばで緑色の線香が五、六本煙を上げていた。小鼻に金色の飾りを埋めた娘が、ビラニは四タカ(一タカは約三円)、バットが五タカ、と猫なで声で言った。
 十数円で食事ができると喜び勇んで、高いほうを私は頼んだ。
 バングラデシュでの最初の食事である。
 それにふさわしく、ここでの習慣に従い、右手の指だけ使って食べてみよう。慣れると、舌だけでなく指もまた味を感じるというではないか。
(中略)
 それでもなんとかご飯をほおばった。希少動物の食事でも観察するように、店の娘と野次馬が私の指と口の動きに目を凝らしている。
 インディカ米にしては腰がない。チリリと舌先が酸っぱい。水っぽい。それでも噛むほどに甘くなってきた。
 お米文化はやっぱりいい、とうなずきつつ、二口、三口。次に骨つき肉を口に運ぼうとした。すると突然『ストップ!』という叫び。
『それは、食べ残し、残飯なんだよ』。
 たどたどしい英語が続いた。よく見れば肉はたしかに他人の歯形もある。ご飯もだれかの右手ですでに押ししごかれたものらしい。線香は、腐敗臭消しだったのだ
 うっとうなって、皿を私は放りだした。途端、ビーフジャーキーみたいに細い腕がニュッと横から伸びてきて、皿を奪い取っていった。十歳ほどの少年だ。ふり向いた時には、クワッと開いた口が骨つき肉に噛みついていて、もう脇目もふらないのだった」

 辺見さんが食べていたものが「残飯」であると教えた主は、こういうのである。

「ダッカには金持ちが残した食事の市場がある。残飯市場だ。卸売り、小売りもしている」

 そして、この後、辺見さんが食べた残飯より更に日が進んで安くなった残飯を食べる人びとも現れるのである。

 戦火のアフリカで内戦に介入したアメリカを中心にした各国軍の食堂の豊かな食事、それに対して、難民施設の中で栄養失調で死んでゆく少女はもう食べる気力すらない。
 あるいは、エイズが蔓延する地帯で患者たちが食べる貧しい食事。荒涼とした風景の中で、死が訪れるまで人びとは食べつづける。それがどんな食べものであっても、口に入るものならなんでも食べる。食べなければ死ぬからだ。いや、仮に食べても、もう死は免れないとしても、最後の瞬間まで、人は生きるために、食べるのである。

 世界を旅した辺見さんの本の頁をめくりながら、不思議なことに、わたしは気づいた。それらは、どれも初めて見る光景ではないような気がしたことだ。そんなことがあるはずがない。それらは、ほんとうに初めて見る光景だったのだから。

 いや、確かに読んだことがある。あるいは聞いたことがある。わたしには、そう思えた。「あの戦争」のさなかに、この国でも同じようなことがあった。わたしは、それを誰かの本で読んだ。あるいは、誰かから聞いた。そのことばは、まだわたしの中に残っていて、それが蘇ったのだ。
 わたしの父や母、叔父たち、叔母たち、あるいは祖父母たち。彼らの声を聞いた覚えがある。彼らの世代に属する人たちが書いたものの中にその風景を見た覚えがある。
 あの「残飯」は、遠い世界の出来事ではなく、少し前、わたしたちの近親が食べた「残飯」だったのだ。そして、そのことをわたしたちは忘れていたのである。

「食べる」ことは忘れることでもある。なぜなら、食べたものは消化されて、永遠に消え去るからだ。
 この連載がなければ、わたしも、いままでなにを食べていたかを忘れていただろう。なにかを「食べる」ことについて考えたりもしなかったろう。それはあまりに当たり前のことで、考える必要もなかったからだ。
 だが、ひとたび、「それ」を「ことば」にしたとき、「それ」は残る。「過去」になり、「記憶」になる。そして、いつしか「意味」になるのである。わたしたちが、望みさえすれば。

 最後に、辺見さんが、この本の中に記した、わたしたち日本人にとって忘れ得ぬ「食事」について触れておきたい。わたしは食べたことがなく、読者も食べたことがないだろう。おそらく、永遠に食べることはないだろう。わたしはそう願っている。けれども、歴史上、くり返し、この「食事」はつづけられてきた。わたしたちは、遥か昔からずっと、この誘惑と戦ってきたのかもしれない。その記録を、わたしたちは「ことば」として読むことができる。読むことによって、わたしたちの血肉にすることも。「ことば」もまた、食べることができるからである。そうだ。食べよう。わたしたちの血肉にするために。何が食べるのにふさわしいのかを考えながら。身体にとっても精神にとっても素晴らしいものを。


「フィリピン・ミンダナオ島カガヤンデオロ市から南東に約九十キロのキタンラド山中に私はいる。
 先導の老人はアルハンドロ・サレ。七十四歳。いまは農民だが、第二次大戦中の勇猛果敢な戦闘で米政府からシルバー・スター勲章を贈られたこともある元フィリピン軍大尉。
(中略)
 泥だらけの私をしりめに、老人が野の草を引き抜きはじめた。
 アザミみたいな花をつけた草。ドゥヤンドゥヤンというのだそうだ。
『連中(残留日本兵)はこの草とあの肉をいっしょに煮とったよ』
(中略)
『謎なんだな』
 老人が立ち止まって独りごちた。
 残留兵たちが栄養失調状態にあったのは事実だろう。が、四六、七年当時、山には野豚も野鹿も猿もいた。山を少し下ればガビ(里芋)も生えていた。
 残留兵たちには銃も弾薬もあった。タンパク質がほしかったら動物だけを撃てばよかったではないか。動物がだめなら、栄養豊富なガビだけでも相当生きられるのに。あれを、しかも数十人も食ってしまうなんて……。
(中略)
 四七年のはじめに老人の率いる兵が急襲した時、野の草とともに調理されたその肉が、鍋と飯盒に入っていたのだ……。暗い樹海に老人の声がやけに大きく響いた。
 マニラで読んだフィリピン公文書館所蔵の戦争犯罪裁判(四九年)の英文記録を私は思い出していた。揚陸隊兵士のうち十数人の供述がいま、うめき声になって聞こえてくる。
『私は食べました』
『私も食べました』
 私だったらどうしたか。食べずにいられたか。
 この仮定はばかげているだろうか。思いにふけっている時、老人が沈黙を破った。
『私もあれを食べてしまったのだよ』
 わが耳を疑い、私は『えっ?』と問うた。
『私も食べてしまったのだよ』
(中略)
 未明の急襲で、現場は暗かった。日本兵は逃走した。
 小屋近くの鍋にまだなま温かい料理があった。サレは当時二十代の食い盛りだったし、朝食をとらずに出発したので空腹だった。
 鍋の肉を五切れむさぼり食べた。
『まだ若い犬の肉のシチュー』だと思った。ちょっぴり塩辛かった。
 日光が射してきてから、耳、指の形で人だとわかった。木の下に人の頭部もあった。
『胃のなかのものを吐こうとしたんだ。だが手遅れだったな』
 老人はカトリック教徒である。すぐ神父に告白した。まちがって食べたのだから、罪にはならない、と言われたという」

撮影/中野義樹

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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