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読むダイエット 高橋源一郎

最終回 世界の果てで食べる

更新日:2023/08/30

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2 刑務所の食事

「天皇の食事」が、我が国を代表する食事とするなら、それに匹敵するのは「刑務所の食事」ということになるだろう。それは、前者が「最高」の位置にある人間に供されるのに、後者は(ほぼ)「最低」の位置に置かれてしまった人間に供されるから、というわけではない。
「天皇」も「囚人」も、ほとんどの場合、自由に自分の「食」を選ぶことはできない。それが高級なものであろうと、そうでなかろうと。彼らは、どちらも、「国家」が選択するものを食べることしかできないのである。
 だから、ここで見ることができるのは「国家」が与える「食事」ということになる。

 この連載中に書いたことがあるかもしれないが、わたしにも「刑務所の食事」の経験がある(重複した部分があれば、そこは読みとばしてください)。
 一つは、「留置所の食事」、もう一つは「刑務所(あるいは拘置所)の食事」だ。どちらにも、大きな特徴がある。実際、その中間に「少年鑑別所の食事」というものがあって、なぜかわたしはそちらも経験させていただいたのだが、残念なことに、ほとんど記憶がない。おそらく「刑務所の食事」と似たものではなかったかと思う。覚えていないのは、ほんとうに残念だ。

2・1 留置所の食事

 わたしがお邪魔したのは、大井警察署、大森警察署、蒲田警察署の3カ所の留置所である。勾留期間は、最初の大井町が23日、2度目の大森が(3泊)4日、3度目の蒲田が23日+約1カ月(23日勾留のあと、少年鑑別所に送致され、家裁で悪質と審判を下され、元の留置所へ戻された)である。逮捕された理由は、よくある学生運動なので詳細は省くことにする。
 最初に留置所の中に入れられた瞬間、これはまずい、と思った。とにかく待遇が最悪だった。留置所は狭い。窓がない。することがない。時間が過ぎない。冬は寒い。夏は暑い。看守による恣意的なイジメがある。たとえば「留置所の壁にもたれてはいけない」という規則がある。なぜなのかはわからない。「就寝時間以外に寝てはいけない」という規則もある。その結果、留置所の中にいる間ずっと、どこにももたれずに座っていることになる。これがきつい。横になることもできない。人間、自由に横になれないのがいちばんきつい。ちなみに、これは刑務所でもそう。だが、刑務所(独房)には椅子があるので、腰かけることはできる。椅子には最低限の背もたれがついている。最高だ。
 とにかく、室内にいるだけで気が滅入る、その留置所で最悪なのは「食事」だった。思い出すだけでうんざりする。これは3カ所の留置所を回り観察した結果なのだが、どこも、出入りの弁当業者に発注していた。予算はすべて決まっているのだろう。どの留置所でも、おそろしいほどに量が少ない(留置所に何年も出入りしている先輩諸氏は、弁当業者と警察は癒着していて、利益の「中抜き」が行われていると断言していた)。
 先輩諸氏が、配られた弁当に対して行う最初の儀式は、その弁当箱を90度傾けて(横を下にして)、トントンと地面に打ち当てることだ。その後、蓋を開けてみる。すると、米は半分以下の容量におしこめられている。先輩はこういう。
「一見、ぎっしり詰まっているように見えて、実はスカスカなんだよね」
 これが3食続く。すると食事のこと以外考えられなくなる。なぜ、そんなことをするのか。実は、この後がある。取り調べである。取り調べでは、「脅し」と「甘言」の両方が使われる。たとえば、「脅し」は「お前は見すてられた」とか「黙っていると、未来はなくなる」といったことだ。「甘言」の方は、「カツ丼でも食べるか?」である。
 刑事ドラマで、よく刑事が、取り調べ中の犯人に出前をとるシーンがあるでしょう。あれ、ほんとなんですよ。
 一方に、極端に少ない弁当、もう一方に「出前」。つまり、留置所の食事は「取り調べ」の一環にすぎないのである。
 そういうわけで、留置所にいる間中ずっと、釈放されたら何を食べようか、そればかり考えることになる。1回目の留置場生活の後、わたしは、ラーメン屋に直行し、「味噌ラーメン+餃子」を食べた。もちろん、生涯でいちばん美味しい「味噌ラーメン+餃子」であった。
 あなたが美味しいものを食べたいと心の底から願うなら、絶対確実な方法は、逮捕されることだ。3泊4日で十分(1泊ではちょっと難しいかも)。留置所からダッシュで、あなたの好きな料理が食べられるところへ行けば、生涯でいちばん美味しいものを食べることになるだろう。ただし、健康にいいかどうかは、保証の限りではないのだが。

2・2 刑務所の食事

 留置所から拘置所、刑務所へ移ったとき、最初に感じたのは、「ここは天国か?」ということだった。
 いや、刑務所なんか絶対に行きたくはないに決まっているのだが、その前に滞在していた留置所があまりにもひどかったので、その落差で錯覚したのである。この点に関しては、留置所→(拘置所→)刑務所というルートをたどった人なら、みんな同意してくれるものと思う。ただし、その「錯覚」が続くのも、それほど長くはないのだが。
「食事」ももちろんだが、刑務所でもっとも素晴らしいのは「本が読める」ことだ。逆にいうと、留置所でいちばんつらいのは「本が読めない」ことかもしれない。本も新聞も雑誌も、とにかくあらゆる活字が厳禁である。これにはまいった。
 ところが、刑務所に行くと、いきなり活字が解禁になる。もちろん、収容者の中には、「活字が嫌い」という人物もいるかもしれないが、それは例外だろう。いや、シャバにいたときには、本なんか読まなかったのに、刑務所に行ってから読書家になったという囚人ならいくらでもいる。
 独房の場合と雑居房の場合、また拘置所の未決囚(判決がおりておらず被告の状態の収容者)と刑務所の既決囚(判決が確定した囚人)では、規則が異なることもあるが、おおむね読書は自由である。その様態は二つあって、一つは、官本(拘置所あるいは刑務所が保持している本)を借りて読むこと。もう一つは、外から差し入れてもらった本を読むことである。
 少年鑑別所にいたときには、残念ながら差し入れは禁止だったので、官本を読んだ。いったいどういう基準で選んだのか、それとも選んだのではなく、適宜、寄贈されたものを置いてあるだけなのかはわからなかった。わたしが初めて司馬遼太郎を読んだのは、少年鑑別所の官本でだった。やはり自分で選んだ本ではなくては、読むかいがないと思った。
 拘置所に移ってからは読み放題だったが、房内に一度に持ち込めるのは3冊で、残りは保管してもらった。ただし、本に関しては監視も緩やかで、ときには10冊近く、手元に置いてあることもあった。なので、わたしは朝から晩まで一日中読書にはげんでいた。
 本を読みたいが、どうしても集中できないという方は、なにかしら犯罪をおかし、刑務所に入ることをお勧めしたい。軽犯罪では、留置所止まりなので、ほとんど意味がない。また、逆にあまりに重罪では、長く入りすぎることになるだけではなく、精神的ダメージも甚だしい(っていうか、そんなことをしてはいけませんね)。その中間ぐらいがいいのでないか。長編小説を書き上げたい作家なら、未決囚で1年、懲役2年半、執行猶予2年あたりが最高だと思う。それにはどんな犯罪が適当か、アドヴァイスが欲しい方は編集部を通じて連絡していただきたい(あくまで作家の方、限定である)。ただし、ちょっとやり方を間違えると、悲惨なことになってしまうので、そのあたりは自己責任でお願いしたいところだ。

 忘れていた。「食事」である。
 いま書いたように、留置所では「食事」も「読書」もアウト、刑務所に行くと、「食事」も「読書」も(考えようによっては)「極上」のものとなる。それも、「国家」の意思によって、である。そこには考えるべき重要ななにかがあるようにも思えるが、それは、最後にとっておくとしよう。

『刑務所の中』(講談社漫画文庫)は、銃刀法等の違反容疑で逮捕・拘置され、最終的に懲役3年の実刑判決を下された漫画家・花輪和一によって描かれた獄中記だ。作者が漫画家なので、この獄中記もまたマンガ(絵)である。最初は拘置所においての(裁判の被告として)、続いては、刑務所においての(判決が確定した囚人として)、それぞれの生活を描いたものだ。一読して、感じるのは、わたしがご厄介になったときと、ほとんど変わらないな、ということである。
 通常の読者は、ずいぶん食事の描写が多いなと思われるかもしれない。それは無理のないことだ。というのも、刑務所という空間に置かれた人間にとって、「食事」は数少ない「娯楽」の一つであるからだ。
 外の世界にいれば、退屈をまぎらわす手段はたくさんある。もちろん、実際にはその手段を手にいれることができなくともだが。だが、刑務所の中には何もない。強いていうなら読書、テレビ(これは刑務所でのみ可能。しかも、時間は限られている)、ラジオ(拘置所はこれだけ。もちろん重要な娯楽であった。わたしが現在、ラジオのパーソナリティをやっているのはこのときの経験のせいなのかも)、そして食事。他にはなにもない。
 まさか、「食事」が娯楽になるとは、刑務所(あるいは拘置所)に入るまでは、想像もできなかったのである。

花輪和一『刑務所の中』
講談社漫画文庫

『刑務所の中』、冒頭のエピソードは、拘置所(独房)の朝食から始まっている。

「ここ北海道のS拘置支所では朝食は午前七時二五分だ
 米七麦三の割合いのご飯に
 けさは納豆に赤い色の梅漬け二個と番茶
 みそ汁はじゃがいもとわかめ
 しょう油にはきざみねぎも入ってからしもついている
 悪事を働き社会に害をおよぼした人間にこうして毎日温かい食事をあたえる国というものはありがたいことである。
 朝食がこんなにうまいものとは知らなかったな……
 ふう~ごちそうさまでした」

 続くエピソードにもやはり食事の情景が出てくる。刑務所といえば、なにより「食事」なのである。
「配食~」という声が響く。すると、そこで著者は、こう呟く。
「あら
 もう昼か早いな
 さっき朝めし食ったばかりなのに
 一日が過ぎるのがものすごく早いな
 毎日毎日規則正しく食っちゃ寝食っちゃ寝して食うことが仕事のようなもんだな」

 そして、著者の脳内に日々のメニューが浮かびあがる。

「朝 ミソ汁 ネギ トロロコンブ
   塩漬キュウリ こうなご佃煮
 昼 カレー 豚肉 玉ネギ ニンジン ジャガイモ グリーンピース
   トンカツ 福神漬け
   野菜サラダ キュウリ・人参
 夕 吸い物 トウフ ネギ 人参 ナルトマキ シイタケ
   タラ焼魚 白菜・けずりぶし スダコ

 朝 ミソ汁 ジャガイモ 大根
   塩漬けキャベツ 金時豆 イカ佃煮
 昼 ウマ煮 豚肉 キクラゲ 白菜 ナルトマキ
   サツマアゲ白菜煮 白菜キムチ サバ漬け
 夜 白菜 トウフ 豚肉 糸コンニャク煮
   ハム天ぷら タクワン コンブ巻き

 朝 ミソ汁 キャベツ
   納豆 大根おろし カラシ・ショウ油
 昼 吸い物 ゴボウ ネギ シイタケ ナルトマキ
   ニシン焼あんかけ 根菜煮 キュウリ漬け
 夜 吸い物 タマゴ 玉ネギ ホウレン草
   トンカツ スパゲッティ」

 こうやって、メニューとそれを再現した著者の細密な絵が続いてゆく。もちろん、これはオカズで、その横には、「米七麦三の割合いのご飯」が必ず置かれている。そして、それをむさぼり食いながら、著者は、思わずこう呻くのである。

「ああ……しかしこのうまい麦飯だけは食わずにはいられぬ」

 なぜ、そんなにも、この麦飯がうまいのか。そして、どうして、こんなにも時間は激流のように素早く流れ去るのか。

「昼飯食って一息つけばあっという間に午後4時20分の夕食になっちゃうからな
 外は明るいのに夕食くって さて! と思うと夕点検だからな」

「刑務所」では、なにか不思議なことが起こっている。そのことだけはわかる。けれども、ほんとうになにが起こっているのかはわからないのである。

『刑務所の中』は、やがて独房から雑居房へと舞台を移す。そこでは5人の囚人たちが、出所する日を待ち続けている。

「5ひきは出所日までのカレンダーをノートに書いて毎日一つづつ消してゆく」

 だが、彼らには何よりも切望しているはずの「出所」と同じように熱く期待しているものがあるのだ。「食事のメニュー」である。

「あ~あと四年三か月か」と呟く男に別の男は「おれはあと3年と62日」と答える。だが、突然、話題は「食事のメニュー」へと移るのである。

「明日の朝は何だっけ?」
「納豆じゃなかった」
「玉ネギと切りふのミソ汁に
 金時豆佃煮とまぐろフレーク」
「ラッキ~!」
「あ~甘納豆せんめんき一杯食いたし」

 あるいは、近づく大晦日と正月の料理への期待に胸を震わせる「5ひき」。彼らの脳裏に浮かぶのはそのときの食事だ。

「元旦の朝食 雑煮 豚肉 サヤエンドウ モチ丸型二個
       麦飯 身欠ニシン佃煮 サケ缶 ふりかけ二袋」
「モチも食いでがあってうまかったな
 おせち料理も食って苦しいと思ってたらすぐ昼になってな」
「いいなあ」
「昼食 おふくろ煮 油あげの中に肉野菜  ひじき入り
    すき煮 しらたき とうふ 牛肉 白菜
    奈良漬け 白米 茶わんむし パインジュース」
「ああっ銀シャリだあと思って食ったらぜんぜん味がなくてね
 麦飯の方がうまいね」
「そうとう古い米を使ってるだべや 刑務所だからなあ
 ウハハハッ」
「夕食 白米 シューマイ アジフライ
    うま煮 豚肉 竹の子 人参 鳴門巻き」
「食って食ってもう何も思い残すことはねえと感じるよな」
「二日 朝食 白米 みそ汁 ネギ 玉子
       桜エビ佃煮 こうなご佃煮 サンマ缶」
「こうなごと桜エビは甘くてなあ
 口の中の甘さが消えねえうちもう昼になってまあた甘い袋菓子が出てよう」
「昼食 袋菓子 ようかん
    なます 大根 人参
    玉子とうふ きんとん 白米 牛丼」
「夕食 麦飯 梅漬 オムレツ 牛肉缶
    あべかわもち 丸型二個 きな粉
    フルーツサラダ パイン 黄桃 みかん りんご」
「もう体中が甘くなってね
 これ以上は食えねえと思っても
 死ぬ気で食うんだよね」

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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