知と創意のエンタテイメント 集英社 学芸編集部

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Nonfiction

読み物

読むダイエット 高橋源一郎

第1回 食べなくっても大丈夫

更新日:2020/01/29

ジーンズがはけなくなった日

 二年ほど前のある日のことだ。ジーンズをはこうと思った。いつものように。そしたら、はけないのである。ん? もしかしたら、これ、洗濯して縮んだのだろうか。そう思った。自分にとって都合のいい方向で考えたのである。でも、このジーンズ、少なくとも五十回は洗濯している。今回に限って、縮むとは考えられない。いや、正確にいうなら、はくことはできた。チャックが閉まらないだけなのだ……って、それ、かなりヤバいんじゃないでしょうか。
 わたしは確認のために、そのジーンズを脱いで、長男にはいてもらうことにした。ちなみに、その頃、我が家では、中一の長男、小六の次男とわたしの三人は、同じ服を着ていたのである(「デカい!」んですよ、我が息子たちは)。ジーンズを試着すると、長男はあっさりこういった。
「ふつうにはけるけど、パパ。どうしたの?」

 わかった。わたし以外の全世界が縮んでしまった……わけがない。どう考えても、わたしが巨大化したのである。そこで、わたしは久しぶりに体重計というものに乗ってみることにした。風呂上がりに、タニタの体重計に……なぜこんなものを買っていたのだろう、予感でもあったのだろうか……。
 そして、体重計の、デジタルで表示される数字を見たのである。

69.5

 えっ? なに、それ……。おかしいよね、その数字。わたしくし、三十年以上にわたって、63キロをキープしていたのだから。きっと、このタニタくん、ずっと使っていなかったので誤作動を起こしたのではあるまいか。だから、わたしは、もう一度、タニタくんに乗った。

69.5

 OH、NO!
 ここに来て、わたしも認めざるを得なかった。「太った」のである。正直にいいたい。わたし、高校一年のとき、170センチで50キロだったんですよ、ほんとに。これ、オードリー・ヘプバーンと同じ身長、同じ体重なのである。どうして、そんなことを覚えているかというと、わたし、彼女と結婚するのが夢だったからだ。いや、自分でもびっくりするが。無謀すぎて。
 確かに、そこからは増量したものの、思春期を過ぎ、十年にわたってわたしは肉体労働者であった。トレーニングマシンではなく、労働によって鍛え上げたからだは、自分でも惚れ惚れするほどだったのだ(テヘヘ、自慢です)。そのときの体重が63キロ。三十歳を過ぎて、わたしは作家になり、不規則な生活が始まった。深夜から明け方へと原稿を書き、起きるのは昼過ぎ。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む。じゃんがらラーメンだって「全部載せ」だ。けれども、体重に変化なし! だから、健康には絶大な自信を持っていた。きっと、死ぬまで、体重も変わらないにちがいない。そのまま可愛いおじいさんになり、孫たちに囲まれて安らかに死んでゆくにちがいない。体重はもちろん63キロのままで。ところが、である。

69.5

 マジで? いかんいかん、妻や子どもたちの視線が冷たい。パパ、太ったね。そういっている。このジーンズはけないの? じゃあ、ぼくたちがはくから、パパは別の買ったら、ユニクロのLLサイズ。うー……。
 その日、わたしは「パパ、晩御飯は食べないから」と宣言して、書斎に閉じこもった。どうやら、妻や子どもたちは「パパ、ショックがひどすぎて自殺しちゃうんじゃないの?」とか「意外とあっさり受け入れるかも」とか話していたらしい。では、その頃、わたしはなにをしていたのか。考えていたのである。こんなふうに。

「確かに、わたしは太った。太ったよ。だから、どうだっていうの? いや、その言い方はよくないよね。作家になって三十有余年、同じような暮らし方をしてきた。同じような体重で、同じような原稿を書き、同じように馬券をはずしてきた。まあ、妻は同じじゃないんだが。とにかく、気がつけば、わたしも六十代。いままでと同じ状態のわけがない。こうやって太ったのも、『からだに気をつけろ!』という、天の声ではないか。思えば、最近、歩いていてもすぐに息が上がるし、ちょっと膝も痛いし、腰痛は悪化するし、左腕が四十肩になって……六十だけど……治ったと思ったら、今度は、右腕が四十肩……なんで、四十肩というんだろう、不思議……になった。どう考えても、わたしのからだは、右肩下がりになっている。このまま太りつづけ、80キロになり90キロになって、おまけに糖尿病に痛風まで併発したら、どうなるのか。養育費だってまだ払い終わってないというのに」
 そして、わたしは目を閉じた。眠かったからではない。もっと深く考えたかったからである。
 どれだけの時間、考えていたであろうか。目を開けたとき、わたしは生まれ変わっていた。新しいわたしになっていたのである。わたしは、書斎のドアを開けると、リビングでマツコ・デラックスの番組を見ながら、ゲラゲラ笑っている妻と子どもたちに、こう宣言した。

「パパは、今日からダイエットします!」
 すると、次男がこういった。
「パパ、ちょっと静かにして、マツコのいってることが聞こえないから」

 それから二年、わたしの現在の体重は63キロ((^0^*))。気をつけていないと、すぐ62キロそこそこになってしまう。もちろん、体重が減っただけではない。そんなことより、二年前に比べてはるかに体調が良いのである。ちなみに、わたしのはいているジーンズを、さらに大きくなった子どもたちははくことができない。というか、二年前の子どもたちでもちょっときついかも。だって、わたくし、体重が減っただけではなく、すっかり筋肉質になって、細くなってしまったからである。
 いったい、なぜ? みなさんも、そう思われるだろう。その秘密、これからじっくりとみなさんにお教えしていきたいと思っております。では。

戦闘、開始。

 まず、「戦闘、開始。」とわたしは自分にいいきかせた。『斜陽』で、ヒロインが自分に向かって呟くセリフである。一度、いってみたかったのだ。さて、どうするか。
 最初にわたしがどうしたと思いますか? 食事制限をした? 間食をやめた? ジムに通い始めた? いきなり断食をした? 滝にうたれた? 整形外科に行って脂肪を吸引してもらった? 神に祈った? どれもちがいます。正解は、

「本を買った」である。

 どんな場合にも、まず本。これが、わたしのやり方なのである。ほんとうにそれで大丈夫なの? そう心配される読者も多いだろう。けれども、わたしという成功例を見てほしい。「本を買った」から始めて、最終的に「63キロの健康体」にたどり着いたのだ。
 そもそも本は、それだけでもダイエットの役に立つ。わたしの場合、読書中は、なにも食べない。なので、ずっと読書をしていると、やせてしまう。ほんとうは、それだけでも十分にダイエットできるのだが、そうはいかない。いくら本好きだといっても、一日中、読書しているわけではない。それ以外の時間では、ラーメンを食べ、チョコレートを食べ、せんべいをつまみにしながらビールやワインを飲んでいるのである。若い頃、あるいは、二年前までは、それでも体重も体調も維持することができた。だが、寄る年波には勝てなかったのだ。
 だが、他人に指導してもらうダイエット、あるいは、人から教わるダイエットはやりたくなかった。そんなものは長続きしないのである。では、いままでやってきたものの中で、長続きしたものの特徴は?

「楽しいこと」である。

 当り前だ、といわないでほしい。どんなに正しいことでも、どんなに自分のためになるといわれることでも、楽しくなければつづかない。ああ、またやりたいなあ。そう思わなければ、つづかないのである。
 そういうわけで、わたしは、本屋に行った。そもそも本屋に行くのは楽しいからである。えっ、ちょっと無理? 最近、本屋に行ってないし。そもそも、本屋に行くのがそんなに好きじゃない? そういう方も安心していただきたい。わたしが本屋に行って、みなさんの代わりに、本を選びますから。なんのために?
 よく訊いてくださった。みなさんは、「読書」と「ダイエット」の間に、なんの関係があるのか、と思っておられるはずである。
 関係があるのだ。それも、深い、深い関係が。
 これから、わたしは、みなさんとダイエットについて考え、実行し、できれば、みなさんにダイエットを成功させていただきたいと思っている。中には、もう、ダイエットに成功した方もおられるだろう。あるいは、現在、病気療養中の方もおられるだろう。そんな方々のためにも、わたしは書いていきたいと思っている。
 ほんとうのところ、この連載の目的は、ダイエットに留まらないのである。
 わたしたち人間にとって、身心の健康とはなにか、ということを考えた。確かに、人間の価値観は多様である。からだの調子がよくなければ、人生は闇だ、という考え方もある。また、その一方で、からだなんかどうでもいい。ガンガン、覚醒剤をやって人間をヤメても、いい作品さえできれば、という考え方の人だっているだろう(よく知らないが)。
 やはり、からだの調子も、心の調子も、どちらも良好で、家庭円満、経済安定、成績優秀であることがイヤだ、という人はいないんじゃないだろうか。
「戦闘、開始。」と呟いたとき、わたしは、ただダイエットしようと思ったのではない。以前からずっと、自分のからだに無頓着ではないか、と疑っていたのである。いや、それだけではない、仕事が忙しいから、と理由をつけて、身心を含めて、自分のメンテナンスを怠っていたのではないか。そんな気がしたのである。
 いまこそ、自分をケアしてあげるときではないのか? だって、この心もからだも、たったひとつしかないのだから。
 では、どうすれば、この世にたったひとつしかない、大切なあなたの身心をケアし、メンテをほどこすことができるのか。
 からだだけなら、インターネットに山ほど情報がある。
 心だけなら、宗教でも瞑想でも精神科医でも山ほどある趣味にでもはせ参じればいい。わたしが目指すのは、身心を同時に健やかなものにすることだったのだ。しかも、自力で、である。
 そして、わたしは、そのヒントを求めて、書物の山に突入したのである。もちろん、その中には、おびただしい数の健康法やダイエットの本もあった。それらについても、みなさんに情報を提供することをお約束しよう。しかし、一見、健康とは関係のなさそうな本の中に、もしかしたら、小石かと思うものの中に、ダイヤモンドを発見したこともある。わたしたちを、真に健康にしてくれるものたちは、どこに隠れているのかわからないのである。

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』など、多数ある。

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