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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

キビヤ作り

更新日:2019/07/24

 今年のグリーンランド行は最後に十日以上時間があまったので、その暇な時間を利用してキビヤを作った。

 キビヤというのはグリーンランドの伝統食で、アッパリアス(日本語名でヒメウミスズメ)という海鳥を海豹(アザラシ)の皮につめこみ発酵させたものだ。脂でぬれそぼったそのグロテスクな見た目と強烈な発酵臭で(悪)名をはせる、同地を代表する名物料理といってよい。極地好きの人ならもしかしたら植村直己の本で知っているかもしれない。植村はキビヤが大好物で、キビヤを食べることが過酷な犬橇旅行の道中における楽しみのひとつだった。伝説的な『北極圏一万二千キロ』の旅の途中、彼は、以前に犬橇を教えてもらった第二の故郷ともいえるシオラパルクにたちより、村人からキビヤをもらい、それを毎晩ひとつずつ食していた。

〈アザラシの脂肪で濡れた羽根を一本一本抜いて、赤裸になったところで肛門に口をあて内臓を吸いだす。ついで足をむしり、胴にむしゃぶりつき、最後には頭まで食べてしまう。カマンベール・チーズのような強烈な臭いはするが、それぞれの部分に違った味があり、それぞれに美味しいのだ。〉

 じつにささやかな喜びである。

 どうでもよいが、植村直己は自分でアッパリアスを獲ってキビヤを作ったことはあるのだろうか。

 シオラパルクでの犬橇訓練の様子がつづられた『極北に駆ける』の最後に、彼はアッパリアス猟についての短い記述をのこしている。そのなかに〈一日三時間もタモをふっていれば、初めての人でも四、五百羽は楽にとれる〉との一文があるが、これは明らかに事実誤認(あるいは誤植?)で、アッパリアスを獲るのはそれほど簡単ではなく、どんな名人でも三時間ではせいぜい百羽しか獲れない。こんな間違いを書きのこすということは、おそらく彼は自分でたも網をふるってこの海鳥を捕獲した経験はなく、この本における猟の記述は村の誰かから聞いたか、猟の様子を見て何となく書いたものにちがいない、というのが私の見立てだ。要するに彼は食べるのは好きだったが、キビヤ自製の経験はない。そしてそれが事実であれば日本人でキビヤを作ったことがあるのは、同村に四十年以上にわたってエスキモー猟師として暮らす大島育雄さんただ一人であり(大島さんは一日九百羽という壮絶な捕獲記録をもつ村一番のアッパリアス猟の名人であり、かつキビヤ作りの名人でもある)、そしてもし私がキビヤを作れば、それは日本人二人目という記録となるわけだ。

 何にせよ、日本人二人目というのは栄誉なことだ、うっしっし……などということは別に思わなかったが、原稿を書く気も起きず、暇で仕方がなかった私は、日本に帰国するまでのあいだ、アッパリアスを獲ってキビヤを作ったのだった。

 アッパリアスは村の近くの繁殖地に行き、岩場に身をかくし、四メートルほどの専用のたも網をふるって獲る。先述したが、これはこれでむずかしく、そこそこの修練が必要であるが、まあ一週間ほど獲りつづければコツがわかって一日百羽ぐらいは獲れるようになる。そして獲ったアッパリアスをそのまま、隙間なく輪紋海豹(ワモンアザラシ)の皮の袋に詰めこんでいく。ときどき、上から踏んづけてぎゅうぎゅうと体重をかけて隙間を埋めて、また詰めこむ。それを何度も繰りかえして最後に入口を糸でぬいつける。皮袋の大きさにもよるが、一つの皮袋に二百羽から三百羽はいる。皮袋への詰めこみがおわると、今度はそれを地面に掘った穴に横たえ、その上に石をどんどんのせて、これも隙間がないようにつみあげていく。この状態で三カ月放置したらできあがり。今回は五月に作ったので、できあがりは八月だ。

 八月は私は日本で暑い夏をすごしているので、今回作ったキビヤは、来年一月に村を再訪したときに食べることになる。

 最後に付けくわえると、私はキビヤをそこまで旨いと思ったことはない。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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