Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

オオカマキリ

更新日:2018/10/24

 鎌倉に引っ越してまる一年、私の自宅は極楽寺という地区の小さな谷沿いに開けた住宅地の、さらにもっと小さな谷沿いをどん突きまで詰めたところにある。背後は藪の生い茂る急斜面で、そこを登りきると黒い糞が溜まった野生動物の公衆便所みたいな尾根に出る。要するに山の中、スズメバチがぶんぶん飛び交い、リスが擁壁を駆け上がり、寝室のベッドに十センチはある大きなムカデが忍び込み、車中に足高蜘蛛が平然と居座る自然情緒に満ちあふれた土地である。
 探検家を名乗っているくせに、私は自然の近くで暮らしたことがほとんどない。だからこのような里山の近くで生活するだけで毎日がわりと楽しい。秋のこの時期に私の目を楽しませてくれるのが、夏の間に成長し十センチ近くになったオオカマキリである。去年九月末に引っ越してきたときは、オオカマキリの数に度肝を抜かれた。なにしろオオカマキリは私の郷土、北海道にはほとんど生息しておらず、それに姿形が格好いいので、幼少期の私にとって憧れの昆虫だったのだ。それが家の壁や周囲の地面にうようよしており、オオカマキリの楽園の様相を呈している。私は興奮して娘と一緒にカマキリを何匹も捕まえた。だが、引っ越したばかりのときは、妻がまだ昆虫に慣れておらず、こんなに格好良い虫を「気持ち悪い、うええええ」とゴキブリやムカデと一緒くたにするものだから、私とカマキリとの関係はそれ以上進展することはなかった。
 今は妻も虫類にだいぶ慣れたので、オオカマキリを一匹捕まえて虫かごの中で飼育している。かごの中はオオカマキリ単独ではなく、トノサマバッタも一緒にいる。近所にトノサマバッタが大量に生息する原っぱがあり、そこで八匹捕まえて飼育していたのだが、私もいい加減なので餌や水をやり忘れたりして、どんどん死亡して気づくと八匹が三匹に減ってしまっていた。そこにオオカマキリを放り込んだわけだ。オオカマキリも大きいが、トノサマバッタも殿様との堂々たる冠を戴いた体長五センチほどある昆虫界の雄である。むしろ胴回りはトノサマバッタのほうがはるかに太く、オオカマキリも手が出ないだろうと考え、餌には小さな蜘蛛や無糖ヨーグルトを与えていた。ところがある日、かごをのぞいてみるとカマキリが二本の鎌でバッタをしっかりと固定し、むしゃむしゃ食べている。私が発見したときはすでに頭部は失われていたが、胸部と腹部は残っており、まだ相当な肉の量があった。カマキリはじつに旨そうに貪りつづけ、十数分で一気食いし、最後は羽など一部の食い残しを投げ捨てるように鎌から放し、いやあ食った食ったと言わんばかりの満足げな動きを見せた。それにしても自分と同じか、あるいはそれ以上にでかい虫を丸ごと胃袋に詰め込んだわけだから、カマキリの腹部は膨れ上がり、二倍ぐらいの太さになってないと理屈の上ではおかしいのだが、不思議なことに外見は食べる前と何ら変わらない。食われたトノサマバッタはいったいどこに消えたのか、謎である。
 面白かったのはバッタの腹部の内部にある黒い管のようなものを食い残したことだ。おそらく消化物の詰まった腸のような器官なのだと思う。手あたり次第に何でも食べる貪欲なオオカマキリだが、バッタの糞は食わないらしい。意外と味にこだわるグルメ通である。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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