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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

海上を歩く人々

更新日:2017/12/13

 住み慣れた都心部をはなれて九月末に鎌倉に引っ越してきた。移住先は鎌倉駅から江ノ電に乗って四つ目の極楽寺という駅から徒歩十分ほどの一軒家である。低山里山にかこまれた地域で、家のすぐ裏には竹林の急傾斜地が切り立ち、土砂災害警戒区域に指定されている。虫類も非常に多く、とりわけ引っ越してから一か月ほどはオオカマキリが繁殖期を迎え、家の壁のあちこちにへばりついていた。梅雨のむしむしした時期になるとムカデが大量発生するらしい。ことのほか虫類を苦手とする妻は今から戦々恐々と震え、ありとあらゆる殺虫剤をホームセンターから買い込んできた。
 現在、わが家には推定三十本ほどの殺虫剤類が備蓄されている。
 家は山の際に立っているが、遊びに行くときは海が多い。自宅から海までは徒歩で約十分。三歳の娘と行くときは、歩くとたぶん三十分ぐらいかかるので自転車を使うことが多い。行きは山からの下りなので五分も漕げば由比ヶ浜の海岸、冬でも晴れた日は子供と貝殻を拾ったり砂遊びをして過ごすことができる。子供と遊ぶだけではなく、海況のおだやかな日はシーカヤックで葉山や横須賀あたりまで往復して、それから仕事にとりかかるなどという、じつに優雅な一日を過ごすことも可能だ。やはり鎌倉の魅力は海と山がほとんど地続きにつらなっているところである。
 その鎌倉の海だが、サップに乗っている人がべらぼうに多い。サップとはSUP、すなわちStand Up Paddleboardの略である。ボードの上に立ってシングルパドルを漕ぎながら水面を軽やかに移動しつつ、ときに通常のサーフィンのように波に乗ることも可能で、旅的な移動行為とスリリングなスポーツ要素がひとつになったところが人気を呼び、近年、めざましい勢いで競技人口を増やしているマリンスポーツである。私も鎌倉の友人から「角幡さんも九月になったらサップやりましょう。ちょっとクラゲが多いですけど、気持ちいいですよ」と誘われたのだが、山とカヤックだけでも手一杯なのにこのうえサップまで手を出したらすべてがおざなりになると思い、「サップはやりません」と断った。しかし、多い、多いとは聞いてはいたが、これほどとは正直、思わなかった。
 はじめてサップに乗っている人を海上で見たときはかなり驚かされた。なにしろ完全に水上を歩行しているように見える。しかもその移動速度はかなり速い。もしかしたら、俺のカヤックより速いんじゃないか、カヤックじゃなくてサップに切り替えたほうがいいんじゃないかと悩んでしまうほど速く見えるのだ。
 先日、晴れた日に横須賀港までカヤックで往復したとき、小坪港の近くでサップに乗る人たちを見かけた。はげしい逆光に照らされまばゆくぼやける海上を、沖にむかってゆっくりと前進する人々の群れ。その姿はまるであやかし、彼岸へと向かう亡霊のように見えた。
 妖しくも不可思議な光景が鎌倉の海では展開されている。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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