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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

五島 日本の端っこ

更新日:2017/11/22

 長崎・五島列島といえば隠れキリシタンの歴史で知られる。大学時代、探検部にいたとき、OBの何とかさんという人が五島出身で島には今も隠れキリシタンがいると言い張っていた、という話を聞いて、何で今でも隠れてるの? と笑ったことがある。
 でも、それもあながち冗談じゃないらしいことを後年知った。私が勤めていた新聞社の同期に五島を取材した記者がいたのだが、彼もやっぱり「いや、今も隠れキリシタン、いるんだよね」みたいなことを話していたのだ。酒の席で聞いたことなのでうろ覚えだが、隠れキリシタンといっても今は隠れているわけではなくて、江戸時代の長い潜伏の歴史の中で彼らの信仰は独特の体系をもつにいたり、元来のキリスト教とは少しちがったかたちとなり、それが今も保持されているというような話だったと記憶している。いや正直あまり覚えていない。でも、いずれにせよ、独特の文化と歴史がこの島の地層の深いところで脈々と息づいていることは想像される。
 隠れキリシタンと並んでもう一つ思い出すのが、柳田国男『海上の道』に収録された「根の国の話」に出てくる三井楽のことだ。三井楽は五島列島南西部の福江島の北西に突き出した岬にある地名で、〈みいらく〉と読む。柳田は地名の音を手がかりに、この岬が、日本に昔から伝わっている常世(とこよ)信仰、すなわち海上のはるか彼方には死者たちの住む異界があるとする信仰とつながりがあることを指摘している。
 たとえば万葉集には〈ミミラクの崎〉という地が登場し、『続日本後紀』にも〈旻楽(みんらく)〉という地名が出てくるが、それは三井楽と同じ。源俊頼『散木奇謌集(さんぼくきかしゅう)』に、
  みみらくの我日本(わがひのもと)の島ならばけふも御影(みかげ)にあはましものを
という、この島に行けば亡くなった人の顔を見ることができるそうなという意の歌があることからもわかるとおり、〈三井楽=ミミラク〉は生と死のはざまにある地としてとらえられてきたのである(柳田国男の思考はさらに沖縄の常世思想であるニライカナイや奄美地方のニルヤとの関係性につながっていく)。
 三井楽が古来、人々に生と死の中間地点として認識されてきたのは、この岬が地理的に日本の端っこにあったからだろう。ミミラクという常世の国の名が地名として与えられた裏には、〈日本の西の突端、外国に渡る境の地、ぜひとも船がかりをしなければならぬ御崎(みさき)の名にしたのにも、埋もれたる意味があるのではないか〉と柳田は言う。この地の人々は先史の古(いにしえ)よりずっと、最後にこの地に係留して異国にわたっていく船を見送ってきた。船は海の波間に消えて、その後の消息は決して聞こえてこない。死んでいるかもしれないし生きているかもしれない。そして時折、海からは漂流物が届いたり、難破船が漂着したり、ウミガメがやってきたりする。そうした環境にあれば、海の向こうの見えない領域のどこかに得体の知れない未知の世界があると考えるようになるのも非常に納得がいく。
 と同時に、この島に隠れキリシタンの伝統が生まれたのも偶然ではなく、この国の端っこという地理的位置関係ゆえの必然性があるのかもしれない。弾圧を受けた切支丹は西へ西へと圧迫をうけて、ついにこの先端の地で地下への潜伏を余儀なくされたわけで、それもひとつの常世の国のかたちだともいえる。私はずっとこの五島列島という地に、なにか理由不明の言いしれない吸引力みたいなものを感じていたが、それももしかしたらこの島が国の端っこにあり、そのせいで歴史という長い時間のなかで消化しきれなかった矛盾や不合理な何かが溜まる澱(よど)みが形成され、それが強力な磁場となって力を発揮しているからではないか、という気もしてくる。
 というわけで、先日カヤックツアーで訪れた五島列島という地に、私はずっと引っかかる何かを感じていた。わずか数日間の海の旅でその何かは解消しなかったが、島々の間や複雑な海岸線を渦を巻くように流れる強烈な潮を経験できただけで、この地の魔力のようなものは感じられた。この潮に巻き込まれて日本の文化の澱みはかたちづくられたのか。いつかもっとどっぷりとこの地に浸かれるような旅をしてみたいという気持ちがつのった。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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