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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

特別編 北極便り ※角幡氏は現在北極探検中です。通信事情により内容はコンパクトですが、不定期で、現地からのお便りをアップします

カイグウ

更新日:2016/12/28

 北極圏では冬になり寒さが本格的になると海岸に定着氷が張る。これは潮の干満作用によってできる氷で、満潮時に岸にかぶった海水が干潮時に凍って、その上に満潮時にまた潮がかぶって、それが干潮時にまた凍って……ということをしばらく繰り返すことでできる氷だ。岬など潮流のぶつかる個所や切り立った懸崖など途切れてしまうところもあるが、基本的には海岸沿いにびっしりと張りつき、しかも表面は道路のように真っ平になるので、昔からイヌイットや極地探検家の冬の道として旅行に利用されてきた。
 定着氷のことを地元のイヌイットはカイグウと呼ぶ。十一月上旬にグリーンランド最北の村シオラパルクに到着した私は、このカイグウを利用してフィヨルドの奥にある氷河に取り付き、内陸氷床に登って北にむかって旅を開始するつもりだった。昨年、村で情報収集したとき、十一月になるとカイグウは概ね良好な状態になるので氷河に行けるだろうと聞いていたし、実際、十月下旬に村を離れたときはすでに沿岸の砂浜はうっすらと凍りつきはじめており、まもなく歩行可能な状態になるように見えたからだ。ところが今年は暖かい。氷点下十度前後をウロウロするばかりでバシッと海氷が張るほど冷え込まない。十一月上旬になっても海は黒々と口を開け、海岸も風に打ち寄せられた浮き氷でボコボコの状態だ。
「カイグウ・アヨッポ(定着氷の状態は良くないね)」
 地元の人たちは口々にそう言った。とはいえ努力すれば歩けないこともないだろう、と思った私は橇(そり)に二カ月分の食料、燃料等を積み込み、イヌとともに氷河目指して歩きはじめた。とりあえずトレーニングも兼ねて一週間ほどの日程で氷河の上まで荷揚げをしようと思ったのだ。だが、村人が言う通りカイグウはアヨッポで、ボコボコと突きだした氷に橇のランナーがつき刺さるわ、横転するわで、超人的な努力にもかかわらず全然進まない。海に氷が張れば氷河まではわずか五時間だが、二日間頑張っても氷河までのわずか半分で、三日目についにカイグウが完全に途切れてしまい、氷河の荷揚げは断念した。
 現在、十一月二十二日。相変わらず海氷も定着氷も十分な状態にならず、私は村で結氷を待っている。計画では二十五日頃に村を出るつもりだったが、とてもそれまでに凍りそうにない。いつになったら旅立つことができるやら……。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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