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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

追悼山崎さん

更新日:2024/03/27

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 今年もシオラパルクに無事到着した。到着したのは例年通りでも、雰囲気はいつもとちがった。村の高台にあるヘリポートにはたくさんの村人が出迎え、握手をしたあと、皆、肩をぐっと強く抱き寄せ、「ヤマサキ、ナーガヨ」としみじみと嘆きの言葉をかけてくる。なかにはこらえきれず涙を流す人もいた。
 極地探検家の山崎哲秀さんが昨年11月末に、村の脇の海氷上で行方を絶った。山崎さんは30年以上前からシオラパルクに通い続け、そして犬橇や狩猟技術を学び、気象観測調査をつづけてきた人だ。何事にも丁寧な性格で、気配りを忘れず、誰よりも実直な人柄から、村の皆に親しまれ、家を訪れるとかならず誰かが雑談に立ち寄っているぐらい、村に溶け込んでいた。そんな大事な仲間が目の前でいなくなったのだから、村はまだ山崎さんの死をひきずっていたのである。
 私にとっても兄貴分のような存在で、奥さんからの電話で事故の一報をうけたときは、まさか……と言葉を失った。シオラパルクに来るきっかけを作ってくれたのも山崎さんだったし、犬橇をはじめたのも彼の影響がないとはいえなかった。お互い、冬の半年間をこの村で過ごし、毎日顔を合わせる仲だった。私にとっては家族以外でもっとも親密な人が山崎さんだったのだ。悲報を受けてから一カ月ぐらいは、どうしてこんなことになったのか……とひっきりなしに事故のことが脳裏に浮かび、どうしてもやる気が出てこなかった。
 ほかに誰もいない状況下での事故なのでもちろん原因は定かではないが、村人の話では海氷上で海象(セイウチ)に襲われたのではないかという。まだシーズン初頭で気温が高く、海の結氷は不完全だったようだ。犬橇と観測の準備のために海氷に下り、薄い氷の近くを歩いていたところを、海象が氷を突き破り襲いかかった――。現場にのこされた足跡やトウ(氷を突くための鉄の棒)が落ちていた場所などから、それしか考えられないと村人たちは断言していた。そんなことがあるのか、とも思うが、海象は気が荒く、カヤックで鯨猟をする猟師が襲われることがしばしばあるのも事実だ。
 村に到着した直後は、まだ借家が暖まっていないので、山崎さんの家に一泊させてもらうのが慣例になっていた。時間ができたら家を訪ね、犬の話や村人の愚痴を互いに言いあってストレスを発散させたものだが、それもできない。一緒に犬橇で旅することもできない。アドバイスを受けたり、装備の相談にのってもらったり、いなくなってはじめて、物心両面でどれほど頼りにしていたのか気づかされた。
 現場の海氷は事故のあと、一度流出してしまったので痕跡は何ものこっていない。生前の名残をのこすのは、村の中央の浜辺にある彼の借家だけとなってしまった。追悼のため、家の前でしばらく手を合わせた。ふと、玄関の扉が開き、「よお、カクちゃん」といつものように笑顔で出迎えてくれるのではないかとそんな気がした。でもそれは幻想にすぎない。現実は扉は開かず、目の前には極夜の暗闇にしずむ赤く古びた家があるだけだった。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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