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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

娘と狩猟

更新日:2024/02/28

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 今年のクリスマスは娘とはじめて狩猟に行く約束をしていた。スリップ事故で車を壊した直後は、やっぱりやめようかと思ったが、せっかくの機会なのでレンタカーを借りて山にむかった。
 猟場は実家のある芦別の某山域である。鹿は季節によって移動する。秋の時期の鹿の居場所はわかるが、冬ははじめてで要領を得ない。林野庁のウェブサイトで鹿の越冬地を探し、アプローチしやすそうな林道を歩きはじめた。
 しかしここ一週間ほどは雪が続き、予想以上に積雪が深かった。私が先頭でラッセルして、娘が後ろをついてくるが、二番手でも小学四年の女児には少々きつい状態だ。ちょっと好奇心がある程度で、そんなにモチベーションが高いわけでもない。数百メートル進んだところで、娘は「もう帰りたい」と音を上げた。
 この雪では仕方がない。狩りどころか、スキーかスノーシューがなければ移動すらおぼつかない。夕方、ひとりでまた来ることにして、ひとまず実家にもどることにした。……が、どうやら猟運は悪くなかったらしい。
 帰りの国道沿いでやけに鹿の新しい足跡がついているところがあった。注意しながら運転していると(運転的には不注意そのものだが)、道のすぐ脇に立派な雄鹿を発見。いた! と叫び、すぐに停車し、可猟区域かどうか調べる。
「お父さん、鹿、逃げちゃったよ」と声を張り上げる娘。
 可猟区域であることを確認すると、娘に「ちょっと待ってろ」と指示し、雪原に飛び出した。
 雄鹿二頭が数十メートル先を逃げる。積雪は先ほどの林道を上回り、膝上までくるラッセルでなかなか進まないが、鹿の様子を見ると、むこうも脚をとられて速度が出ない。むしろあの様子では私のほうが速そうなぐらいで、じっくり追いかければそのうち追いつくと判断した。
 深雪に苦しむ鹿は斜面を下ってしまい、小さな沢に入りこんで雪を踏み抜き余計苦労しているようだ。数百メートルほど追いかけたところで沢から斜面をよじ登ろうともがく鹿を発見、三十メートルぐらいのところから確実に首の付け根を撃ちぬいた。
 娘を呼びにもどり、解体をはじめる。鼻孔から吹き出す泡となった血を指さし、「これ何?」なんて素朴なことを訊ねるが、最近は平素から鹿肉や心臓や舌など見ているせいか、そこまで大きな衝撃は受けていないようだ。しばらく無言で私の作業を見ていたが、そのうち飽きたのか、寒くなったのか、一心不乱に雪穴をほりはじめた。
 しかし生きた獣を殺生する現場を見て、何も感じないわけがない。
 帰りの車でどうだったと感想を訊くと「ゴールデンカムイのことを思い出した」とのこと。翌日突然、アイヌの本が欲しいと言いだし、旭川の本屋でアイヌの文化や歴史を網羅した辞書的な本を、お小遣いをはたいて購入した。そして「家に持って帰って友達に自慢する」と言って、切断した角を二十センチ程度に切りそろえ、丁寧に松脂(まつやに)を落としていた。
 意外と彼女の人生を変える経験になるのかもしれない。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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