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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

海氷の崩壊 その3

更新日:2021/07/14

 ウーマから犬が死んだと知らされ、私はあわてて荷物をまとめて村へと引きかえした。
 犬は十四頭。こう言ってしまうと何だが、これだけいると絶対に死なれたら困る犬もいるし、諦めのつく犬もいる。死なれて困る犬の筆頭は先導犬でボス犬のナノックである。足跡もトレースもない、真っ新(さら)な無垢の雪原のうえで躊躇なく前進してくれる犬は、あまりいない。大抵の犬はどっちに行ったらいいのかわからず、おじけづき、止まってしまう。今の私の犬のなかで「デイマ(行け)」と指示を出して突き進んでくれるのはじつはナノックだけなので、この犬が死ぬと前進することさえできないのである。あとは今年生まれた子犬五頭だ。子供のときから接していると指示への反応が全然ちがって、子犬たちは今ではほかの成犬より私の指示を聞くし、誘導にも一生懸命ついてくる。
 今年借りている家から犬をつないでいる場所までは百五十メートルほど、まず最初に一番手前につないでいるナノックの元気な姿が見えてホッとした。そしてすぐにカヨという茶色の犬が血まみれになってころがっているのが見えた。
 カヨは二年前に犬橇をはじめたときに集めた最古参メンバーのうちの一頭で、アイドル系の顔立ちで、異様なまでに人懐っこく、非常によく橇を引く犬だった。一方で氷河や乱氷などの悪場では急に逃げ出したり、橇引き中、ひっきりなしに移動して引綱が絡まる要因になったりと、悪癖が多くあつかいにくい面もあった。
 現場を見ると犯人は一緒につないでいたカルガリという犬である。去年、チームにくわわったカルガリは仲のいい犬がいない孤独な犬だ。普段は雌のカコットとつないでいたが、カコットはこのとき家の近くの分娩小屋でお産の準備中。そこでカヨとつないで友達にさせようと思ったのだが、これが裏目に出た。餌やりのときにときどきカヨがカルガリに噛みつくことがあり、どうも相性があまりよくなさそうだと思っていた矢先に事件になってしまった。
 雄犬は集団になると必ず序列争いをするので喧嘩が絶えない。犬橇の最中も何かの拍子で喧嘩がはじまり、全頭がくわわり集団リンチに発展することがよくある。ただ、リンチで犬が死ぬことは時折あるが、一対一の喧嘩で死ぬことはほぼないので、二頭同士でつないでおけば基本的には安全だ。今回、カヨが死んでしまったのは、カルガリとの喧嘩にレモンとウーロンという二頭の子犬がくわわったためだ。おそらく二頭の喧嘩がはじまり、ほかの犬たちが興奮してすごい勢いで突進をくりかえすうち、レモンとウーロンの支点が外れ、カルガリに加勢して三頭でカヨのリンチに発展したらしい。
 これで昨年から今年にかけて四頭もの犬が死んでしまった。昨年秋に病死したウヤミリックにウヤガン、それにウンマという犬が老齢で走れなくなったので成仏させた。そして今回のカヨだ。最古参メンバー五頭のうち四頭がすでに他界し、のこりはキッヒという犬一頭しかいない。
(その4につづく)

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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