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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

海氷の崩壊 その4

更新日:2021/07/28

 ところでカヨは毛がふさふさしており毛皮として十分に活用できそうだったので、凍結して使い物にならなくなる前に、村一番の毛皮制作の名人である大島育雄さんのところにはこんだ。個人的な感想だが、グリーンランド北部で手に入る数ある動物毛皮のなかで一番汎用性が高いのは、じつは犬の毛皮なのではないかという気がする。白熊は暖かいが高価、カリブーは毛が抜けやすい。兎は生地が弱くてすぐ破ける。海豹(アザラシ)は鞭や靴や手袋等には絶対必要だが、それ以外にはあまり使えない。それにくらべて犬の毛皮は暖かいうえ、生地が丈夫で靴にもアノラックにもつかえる。
 大島さんに死体を引き渡した後、また私は定着氷の現場にもどりその日のうちに開削作業をおえた。翌日は休憩し、翌々日、いよいよ湾奥の生きのこった海氷をめざし、久しぶりに犬を動かすことにした。
 ところが村人の様子が何やらおかしい。定着氷のうえで犬を誘導してゆくと、何人かの村の猟師たちにこれ以上先に行くなと止められた。話をきくと、私が開削した現場の近くに海象(セイウチ)が屯(たむろ)しており、これから狩りをはじめるという。定着氷の上で橇をガタガタやられると逃げられるのでやめて欲しいという。
 海豹とちがって海象は基本的には氷の開いた海に生息する生き物である。氷が薄いうちは牙で穴をあけて呼吸をするが、厚くなると穴をあけられなくなるので氷の張っていない海に移動する。今回は風で海氷がきれいに流されたため、村の近くまでやって来たというわけである。
 もちろん一介の外国人にすぎない私が地元の人の猟を邪魔するわけにいかない。その日はボートを出すのを手伝って、さわやかな笑顔で見送った。猟師たちは首尾よく四頭の海象を仕留めた。秋の海象狩りが不猟だったせいか皆、機嫌がよくなった。
 翌日、海象狩りも無事終わったのでこっちは犬橇と行くか、と思ったが、ところがまだダメだという。まだ海象が近くに残っているかもしれないので、ボートが出せるうちはやめて欲しいというのだ。次の日には新氷がうっすら張りはじめてボートを出せる状態ではなくなったが、今度は歩いて呼吸孔猟をするかもしれないので、まだ待ってくれという。
 仕方がないので時々犬を裏の山に連れていき、谷筋を何度か往復させているが、犬一頭の犠牲を出してまで開削したのは何だったのかと正直やるせない気持ちである。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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