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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

海氷の崩壊 その2

更新日:2021/06/23

 犬橇をやりに来たのにそれができないと、私自身、いったい俺は何をしているのだろう、とレゾンデートルの危機をむかえるし、身体がすっかりできあがった犬たちも、私の姿を見るたびに、橇を引かせろと喧(やかま)しく吠えたてる。
 やることもないし(原稿を書くせっかくの機会ではあるのだが)、心身ともに不健全なので、私は、同じくやることがなくなってしまった日本人犬橇探検家の山崎哲秀さんと協力して、定着氷に覆いかぶさった雪をスコップで掘り、道を開削することにした。
 問題の個所は村のゴミ捨て場からさらに数百メートル先のあたりだ。定着氷は地形によって形成の傾向が決まっており、ここはいつも幅がせまい。強風が吹くと雪が吹き溜まるため、例年、通行不能ポイントとなる。
 雪が覆っている部分の距離は約四十メートル。氷点下三十度前後の寒さで風速三十メートル近い風が吹き荒れたわけだから、雪は当然固い。常識的に考えれば重機が必要な現場であるが、そんなもの、あるわけがない。少なくとも四十代と五十代のおっさん二人がやる仕事ではないが、ほかにどうしようもないので、二人でひたすらスコップで雪を崩し、投げ捨てた。これほどスコップを振るったのは、若い頃、西荻の土木会社でアルバイトをしていたとき以来で、腰痛がさらに悪化した。
 一日作業して一応、道はつながったが、橇を引けるほどの幅がないので翌日は一人で掘削をつづけた。ひさしぶりの運動で前日はすっかり疲労したが、一日寝たら復活し、この日は逆に調子がいい。日本からちょうど腰痛ベルトがとどき、それをつけると腰痛も緩和された。俺もまだまだいけるじゃないか、などと中年特有の感慨にふけりながら、気持ちよく作業を進め、あと一時間もあれば終わる、というところまできたときだった。
 村からウーマという青年が店のバギーに乗ってやって来て、叫んだ。
「おーい、カクハタ。犬を見に行ったほうがいいぞ。一頭喧嘩で死んじゃったぞ」
(その3へつづく)

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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