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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

旅の思考

更新日:2016/07/13

〈事実〉という概念を正確に定義するとどういう言葉で言いあらわすことができるのだろうか?
〈真実〉という概念なら、なんとなく定義できそうだ。たとえば〈絶対不変の真理〉だとか、あるいは〈世の中の森羅万象を構成する恒久的な原理〉だとか、今、パッと思いついたこれらの適当な文章でも、なんとなく真実という言葉の定義にあてはまりそうなかんじがする。それにくらべて事実とは何なのだろう。この概念はよく考えてみると、わかったようでじつはよくわからない奇妙な概念なのだ。無理やり説明を施すなら、〈時間軸上と空間上に確実に場をしめる、ある一点〉というようなことになるのかもしれないが、こんな物理学のテキストみたいな言葉で説明をされても誰にも納得してもらえそうにない。
 事実の定義が難しいのは、立場によって事実が異なるからだ。たとえばQという人について知りたいと思って周辺の人に話を聞いたところ、ある人が「Qは嫌なやつだった」と言ったとする。この場合、事実として認定できるのは、あくまで「この人が『Qは嫌なやつだった』と言った」という〈言った事実〉までであり、Qが本当に嫌なやつだったかどうかは事実としてはわからない。たとえ百人に話を聞いて九十九人が「嫌なやつだった」と証言しても、最後の一人であるQの親友中の親友が「あいつは実はいいやつだった」と証言したとき、私のなかで事実として形成されつつあった〈Qは嫌なやつだ〉という心象はひっくりかえるだろう。
 だとすると、私たちが事実としてとらえている概念は、じつは表象にすぎないのではないかという気がする。この世の中で発生した事象は、すべて、その事象と遭遇した私自身の主観の反映である表象として存在しているのではないか。
 同じことが、私が探検する北極という場所についてもいえる。北極の氷点下四十度という超低温環境は、それ自体が独立してそこに存在しているのではなく、私が旅をして、私の足の親指の感覚がなくなり、頰の皮が凍傷で剥けて潰瘍となったときにはじめて、具体的な事象となって表面化する。と同時に私はこのような北極みたいな環境で旅することを恐ろしいと感じる。北極は客観的にそこに冷然と存在するのではなく、私の皮膚が北極の超低温を知覚して実際に凍傷というかたちで肉体上の変質が発生し、そして心理面においても恐怖や不安といった感情のブレを起こすという、私との間のトータルな接触をつうじて明らかとなる。そしてこのとき明らかとなった北極の〈北極性〉は、北極という土地をしめす客観的な事実というより、むしろ私の主観が北極の大地から引っぱり出した表象だといえる。
 というようなことを、私は探検の行動中につらつらと考えており、何か考えたら忘れないようにその日にテントでノートにつけておく。こういうふうにグダグダと思考して書き綴った観念が、後になってエッセイや書評などをかくときに生きたりするからバカにできない。先日、集英社から『旅人の表現術』という本が発売されたが、この本のなかにはこうした探検や表現にまつわるエッセイや書評や対談がまとめられている。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
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