Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

一神教と多神教

更新日:2016/06/22

 ここ数年、毎年のように冬や春になると北極圏で長期の橇(そり)旅行をくりかえしてきた。雪と氷しかない、猥雑なものや不純物の一切が漂白された無垢な世界に身をおいていると、自分と外部の自然とのあいだに仲介物がほとんどなくなり、世界との対峙感が深まるので、ダイレクトに自分の命を取り扱っている感覚があって、面白い。しかし、面白いことは面白いのだが、その一方で日本の緑の山が恋しくなって、無性に沢登りに行きたくなる。
 北極の氷原と日本の沢登りは非常に対照的である。雪氷の荒野がつづく北極の旅は変化にとぼしく、どこまでも過酷な寒さと厳しさにつつまれており、厳格で、隙がない。一神教的であり父性によって象徴される世界だ。一方で、日本の沢は草いきれにムンムンと覆われ、藪だらけ、泥だらけ。蝶がひらめき、カエルが跳びはね、岩魚が回遊し、害虫がはびこる、有象無象の生き物たちが跋扈する濃密でエロチックな自然である。川の流れは数十メートル単位で屈曲するため、その先には淵があるやら瀞(とろ)があるやらさっぱりわからず、曲がってみると青い釜をもった荘厳な美滝が現れたりして、そのたびにポカンと口をあけて、ついつい両手で拝みたくなる。まさに日本の沢はそこかしこに精霊の宿る多神教的世界であり、すべてがつつみこまれていて、母性的なのだ。
 北極のような父なる神に支配された世界にいると、どうしても母なる温もりをもとめて沢に飛びこみたくなる。ということで、今年の夏は日本にフルで滞在することになったので、思う存分、日本が誇る原始境で沢を渡り歩きたいと思っている。その手はじめに、先日、南アルプス深南部を一週間ほどかけて釣り歩いてきた。いやいや、まったく南アの深南部はいつ行ってもヒルがうじゃうじゃ蠢いていて、脛(すね)のまわりを血だらけにされるし、青く陰惨な雰囲気をたたえた深い淵に行きあたっては、ぐちゃぐちゃの泥壁を這いつくばって、悪い斜面を越えなければならず、ダイナミックで濃密な自然を満喫できた。
 ある意味、久しぶりに実家に帰ってきた気分である。母の愛はいつも過剰だ。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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