Nonfiction

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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

交配の風景

更新日:2020/09/09

 以前、紹介した雌犬のカコットであるが、旅の途中でどうも流産してしまったらしい。
 三月十九日に村を出発して次の日にアッコダッウィ氷河の上部に達したが、その晩、カコットの甲高い鳴き声が聞こえた。翌朝、外を確認したところ、この犬の繋留地周辺の雪面のいたるところに、血のまじったピンク色の体液が滲(し)みついている。この犬は小さいながらも、非常に、もう狂っているんじゃないかというほどの頑張り娘なので、どうやら氷河の登りでも頑張りすぎて子供が流れてしまったらしい。胎児の遺体はなかった。カコット本人か一緒に繋留していた雄二頭のいずれかが食してしまったものと思われる。何しろ連中は常に腹を空かせているから。
 ということで、もう発情期は来ないかなと、今年の繁殖はあきらめていたのだが、でもやはり若い娘だけはある。村にもどっていくばくもない五月下旬、カコットはまたしても発情し、股間の敏感な部分が見事につやつやと赤く腫れあがったのだった。
 子供は来シーズン以降の戦力になるので、交配相手は当然、強力な犬をあてがう必要がある。お相手はボス犬で、かつ私の長年の相棒犬であるウヤミリック。そして最強の犬で一番力のつよいナノックという片目の犬の二頭である。二頭の犬と交尾させたのは、犬は卵子の数が複数あるため、発情期に複数の雄犬とつながると、父親が別の子犬が同時に生まれるという話を聞いたからである。優柔不断な私はどちらか片方に絞り切ることができなかった。
 ちなみに犬の交尾は、雄犬が射精してことが終わった後、しばらく双方の性器が離れない交尾結合という状態が十分ほどつづく。犬にとってこれはけっこう苦しい時間のようで、お互い必死に離れようとするが、全然離れない。別れたくても別れられない、男女の普遍的真理を表現するようにも思え、その様子は何とも滑稽で、交尾結合となると私は家から飛び出して、パパラッチよろしくバシャバシャと写真を撮影した。すると、撮られるのが恥ずかしいのか、犬は動きを止めて下をうつむく。この気まずそうな表情がまた、たまらなく面白かったりするのである。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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