読み物
イパガウタ
更新日:2019/04/10
イパガウタとは鞭のことで、橇、犬とならび犬橇をやるうえで必須のアイテムである。犬橇での行動中に鞭をうしなうとことは犬を操れなくなることと同義であり、したがってそれは犬橇においては致命的な事態におちいることを意味する。
本体は顎鬚海豹(アゴヒゲアザラシ)の皮を使用。固いのでまず噛んでなめしたうえ、特殊な道具でごりごりと丹念にしごいて手の動きが先端まで伝わるように柔らかくする。柄(イポという)のほうは木材なら何でもいいが、できることなら頑丈な材質のものが望ましい。というのも犬橇に乗っていると犬が喧嘩をはじめたり、言うことをきかなかったりしてこちらの堪忍袋の緒が切れて、ついつい怒号をあびせかけながら手に持った鞭のイポで犬をばしばしと殴ることがあるからだ。というか、そのような事態は犬橇をやっている以上避けられず、松や杉など弱い材質のイポだと簡単に折れてしまい、怒りの度合いにもよるが粉々になることすらある。
鞭は犬橇を象徴する道具なのでできれば自作したいところである。重要な道具を自分で作ることで、自分の行為に対する自分自身の関与の割合を高めて、より濃密な手応えをうることができるからだ。一月にシオラパルクに来て犬橇訓練を開始した直後は鞭を作るような余裕などなかったので、カガヤという愛称で親しまれる村人に約五千円を払って作ってもらった。その後、皮ではなくロープを使用した予備の鞭やイポは自作したが、皮の鞭は作る機会がないままだった。
三月中旬、台風のようなひどい大風の日がつづき犬橇に出ることができず、有り余る時間を利用して鞭を作ることにした(ちなみにこの原稿もそのときの有り余る時間を利用して書いたものだ)。皮を手に入れようと思い、村人の何人かに訊ねたが、皆、今は生憎(あいにく)持ち合わせがないので村の売店で買ってくれという。私としてはせっかく世界最北の村という辺境の地で犬橇の鞭のための顎鬚海豹の皮を買うのだから、村の猟師から直接手に入れるという旅情を大切にしたい気持ちがあったのだが、村人のほうはそんな私の気持ちを忖度(そんたく)してくれない。それに売店で買うと、こんなとこまで来て俺は結局、資本主義経済に組みこまれているのかよ、というなんだか釈然としない気持ちにもなるので嫌だったのだが、しょうがないので売店に行った。
売店の倉庫には、私が皮が欲しいのだがと声をかけた村人たちの下ろした皮がずらりとならんでいた。その中から私はヌカッピアングアという村人が作った皮を選んで十二メートル分購入した。その皮は処理が甘かったのか表の黒い部分が随分と残っていて、品物としては今一つに見えたが、幅が太くて重量感のある鞭を作れそうだったことと、あとヌカッピアングアは私が一番親しくしている村人で、皮のなめし方や切断方法なども彼に教わろうと考えたことが選択の理由だった。自分が下ろした皮を選んだことを知れば、彼も喜ぶだろうと思ったわけだ。
さっそくヌカッピアングアの家に行き、買ったばかりの皮を見せると、彼は吐き捨てるように言った。
「なんだこの皮は! まだこんなに毛がついているじゃないか。ひどいな。誰から買ったんだ?」
私は唖然としたが、ありのままを素直に話した。
「あんたが作った皮だと聞いたが……。売店で買ったんだよ」
ヌカッピアングアは急に押し黙り、妻のパッドがけたけたと笑い声をあげた。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。