読み物
北極激やせ記
更新日:2018/09/26
今年春の北極(グリーンランド)の旅は過去に経験がないほど積雪量が多く、道中、かなり飢えた。一番きつかったのは村を出発してから二カ月近く経った頃だろうか。深雪のなか、重たい橇(そり)を引いて歩きつづけた疲労がボディブローのようにじわじわときいてきて、日本を出る前に身体に貯めこんだ脂肪はもとより、筋肉もみるみる減少していき、時折ふらふら眩暈(めまい)を感じながらの行進となった。
学生時代から探検活動をはじめて二十年。これまで一番きつかった飢えは二〇〇九年チベット、ツアンポー峡谷単独探検での飢えで、このときは倒木をまたぐのに手で脚を持ち上げなければ越えられないほどだったが、今回の旅はそのときに匹敵する飢えだった。最後は麝香牛(ジャコウウシ)の死体を発見し、その後は兎も獲れて飢えも解消され、肉を豊富に携えて七十五日目に村にもどった。
村にもどるとすぐに親しくしているヌカッピアングアという中年男の家に行き、村の伝統食であるキビア(海鳥を海豹〔アザラシ〕の皮に詰め込み、三カ月ほど石の下に寝かせて発酵させたもの)や菓子類をたんまりいただいたのだが、その際、体重を計ってびっくり、出発時と比べて十四キロも落ちていた。鏡を見ると身体の線は半分になるほど痩せこけ、脂肪が完全に削げおち、筋肉の上に和紙みたいな薄皮一枚張っているだけだった。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。