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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

カイコマ

更新日:2018/04/25

 東京から近くて良い山というのは一般的には谷川岳のことを言うが、私にとっては甲斐駒ヶ岳がそれにあたる。甲斐駒ヶ岳は南アルプスの最北部に位置する二九六七メートルの高峰で、古くから修験道の対象となってきた岩山である。岩場の多い山なので、登山者にとって甲斐駒ヶ岳は昔からクライミングの対象としてカイコマの愛称で親しまれてきた。南アルプスは三千メートル峰が連なり、大きくて奥深いが、樹木が高所まで生い茂り、岩登りや氷登りの対象となる山はほとんどない。その南アルプスにおける数少ない例外がカイコマなのである。
 私はもう夏の岩登りはあまりやらないので、カイコマに行くのはもっぱら冬である。標高が高く乾燥しているカイコマは、八ヶ岳とならび日本でもっとも氷瀑の発達するエリアとして知られる。しかも八ヶ岳とちがってカイコマはアプローチに時間がかかる場所が多いため、多くの氷瀑は人に知られることなく眠っている。無論、先日報告した黄蓮谷(おうれんだに)のような人気ルートもあることはあるが、それはカイコマの氷瀑のごく一部なのだ……と思う。
 じつは私もよく知らないのだ。アイスクライミングの資料の巻末付録や日本登山大系というマニアックなルート集には、ほとんど登った人のいない謎めいたルートが紹介されているが、検索してもネット上に登攀(とうはん)記録は見当たらないし、昨今の風潮としてはネットに存在しないものは世の中に存在しないみたいな感じになっているので、私もその風潮に毒されて、そのルートが外れルートだったら時間の無駄で嫌なので、ついつい人気ルートを選ぶことが多い。でも時々、未知性の高いルートを登りたくなり、時間を見つけてそれらのマニアックな謎めいたルートに向かったりするが、深雪に敗退して登れないということが続き、結局、今でも人気ルート以外はあまり登れていないのだ。でもルート図集を見たり地形図を眺めたりしていると、きっとここらあたりにはほとんど誰も知らない素晴らしいルートが潜んでいるのではないかと夢想され、そんな夢のあるところもカイコマの魅力だと感じる。
 年明け、妻子が長期で実家に帰省したのを機に、以前から気になっていたカイコマの不人気・未知エリアの一角を探検してみた。単独なのであまり困難な登攀はできないが、いい感じの凍ったルンゼ(岩の凹角部、岩溝)があれば登ってみようと思ったのだった。
 残念ながら不人気・未知エリアに突入したときに低気圧が直撃、雪がどかどか降り始め、ちょっと雪崩が怖くなってきたので急いで尾根上に駆け上がり、ルンゼ登攀はできなかった。私が駆け上がった谷の左岸側の支流はことごとく凍っていて、面白そうな氷瀑もいくつかあった。
 でも、わざわざもう一回行ってみるほどの氷瀑はなかったなぁという気もする。うん、なかった。たぶん、もう今回行った不人気・未知エリアに行くことは二度とないだろう。次は他の不人気・未知エリアを探すことにしよう。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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