Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

オヒョウ釣り

更新日:2017/06/14

 北極の住人イヌイットといえば毛皮服。犬橇(いぬぞり)でアザラシやシロクマ、カリブーなどを狩り、毛皮をなめしてアノラックなどの防寒着をつくり、創意工夫で厳寒の大地を生き抜いてきた歴史がある。グリーンランド北西部では今もその伝統が生きており、人々は普通に、われわれがジーンズをはくのと同じ感覚でシロクマのズボンをはき、カリブーのコリット(上着)に袖を通して犬橇にのる(ただ、厳密にいうと、毛皮服を着るのは冬から春に犬橇にのるときだけで、街中で若者たちはネット通販で購入したカナディアン・グースの高価なダウンジャケットを着たりしている。その意味でいうと、伝統的毛皮服は、どちらかというとジーンズよりスキーウェアに近いかもしれない)。しかし、この毛皮文化も前回書いたイグルーと同様、グローバルな経済圧力や動物愛護の波をうけて変容を余儀なくされている。大型動物の狩猟頭数が制限されたり、毛皮が売れなくなったりして、なかなか現金化できなくなった。
 そのせいか、近年、グリーンランド北西部の人々は、春になると犬橇でシロクマを狩りにいくのではなく、犬橇で海氷上に小屋をはこびオヒョウ釣りにいそしむことが多くなった。オヒョウはカレイの仲間で二メートルや三メートルにも成長する巨大魚。植村直己が北極圏一万二千キロの旅の途中でイヌの餌を確保するために釣ったのがこの魚で、開高健がベーリング海のセント・ジョージ島で小舟にのって格闘し「野獣」と呼んだのもオヒョウだ。グリーンランド北西部のカナックからケケッタにかけての湾は海底が深く切れ込み、オヒョウの絶好の棲み処(か)となっているのだ。
 カナック滞在中、沖の海氷上に何軒かならぶ木箱のような小さな簡易小屋を散歩がてらたずねてみた。スーフィスは色黒で笑顔の絶えない三十五歳。内縁の妻との二人暮らしで子供はいない。去年までは春になると犬橇で近所の海氷をまわりアザラシ狩り中心の生活をしていたが、今年からオヒョウ釣りに切りかえたという。
 三百メートルぐらいの長さの仕掛けを海中に流し、適当な頃合いを見計らって専用のハンドルをぐるぐる回して回収しはじめる。オヒョウは底魚なので、しばらくはラインが回収されるばかりで一向に姿が見えてこない。私は寒くて途中で簡易小屋に撤退してコーヒーを飲んでいた。三十分ほど経つと、窓の外でスーフィスが手招きしはじめたので現場にもどった。ラインの色が変わったと思ったら、最初の仕掛けでいきなりヒット。海氷にあけた一メートル弱の穴から、六十センチほどのミドルサイズが飛びだした。
「ツーキロ(二キロ)!」
 スーフィスの浅黒い笑顔がはじけとんだ。針を外し、海氷の上へポーンと放り投げると、最初はバチバチと暴れたが、すぐに凍って動かなくなった。その後も数十センチクラスのオヒョウが次々あがり、スーフィスはハラワタをナイフで取り除くと無造作に尾鰭(おひれ)をつかんでは隣のもうひとつの穴に持っていき、じゃぶじゃぶと凍魚を突っこんで血を洗い流し、ビニールシートの上にきれいにならべた。開高健が格闘したような大物はいないが、数が半端ではない。卸値を訊くと1キロ=16・5クローネ、だいたい日本円にして三百円弱。一日やったら百尾ぐらい釣れるらしいので、単純計算で三、四万円の稼ぎになるようだ。毛皮を売るよりよほど効率のいい稼ぎになるのだろう。
 オヒョウの身は脂がのっており、ルイベのように凍ったまま白米にのせて醤油をかけて〈オヒョウ丼〉にしたら最高に旨い。ちなみに彼らが釣ったオヒョウがどこに向かうかといえば、日本の回転寿司屋にはこばれてエンガワの寿司ネタなどになるらしい。カナック周辺のオヒョウは脂がたっぷりで寿司ネタには最高だ。案外、あなたが昨日食べたエンガワはスーフィスが釣ったものだったりするかもしれない。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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