Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

昆虫採集

更新日:2016/10/12

 九月に入って二歳の娘が突然、虫捕りに行きたいと言いはじめた。理由はわかっている。虫に興味がわいたのではなく、虫を捕る網をホームセンターで見かけたからだ。網はわずか百五十円。欲しい欲しいと店内を走り回って駄々をこねる娘をあやす労力に比べるとはるかに安上がりなので、つい買い与えてしまった。その数日後、今度は娘の肩からいかにも百円ショップで売っていそうな緑色の虫かごがぶら下がっている。どうやら妻が児童館からの帰りに、私とまったく同じ理由で買い与えたものらしい。
 かくして補虫道具一式を手に入れた娘はその日から「虫捕りに行きたい」と喚きはじめた。ホモ・サピエンスには獲得した道具を、その道具の本来の使用目的が自分の関心と関係あるかどうかにかかわらず、使いたくなる本能があるようだ。それまでアザラシを狩ることしか考えてなかったイヌイットがスマホを手に入れた途端、必要のないアプリをいじりはじめるのとまったく同じである。
 といってもわが家は都心の超ど真ん中。虫を捕るといってもどこへ行っていいのやら。娘と二人、昆虫を求めて市ヶ谷、九段下と自転車で彷徨(さまよ)い、田安門をくぐって武道館前を通過し、以前、家族で遊びに行ったことのある北の丸公園の敷地内に流れ着いた。だが蝉の全盛期も過ぎ、見かけるのはトンボぐらい。初日のこの日はトンボを数匹捕獲し、小学生に教えてもらった穴場で二センチぐらいの超ミニバッタを数匹見かけただけで退散した。
 ところが、通えばいるものだ。前回の虫捕りに満足しなかった娘の要求を鎮めるため再び北の丸公園に向かうと、今度は偶然にも本物の穴場を見つけた。草むらに足をふみいれると大きな虫がワサワサと飛んでいく。娘から網をひったくって捕まえると、全長五センチほどのショウリョウバッタだ。すげえっとつい興奮した。さらに草をかきわけると、また大きなバッタが飛んでいく。いたぞっ! 大声をあげて二人で追いかけると、今度は全長四センチのトノサマバッタである。
「ここすごいな! デカいのがわんさかいるぞ!」
「オトウチャン、すごーい。ありがとー」と娘も大喜び。
 昆虫採集とはいえ、生きた獲物を捕らえる行為には原始の狩猟本能をよびさます快感がともなう。気がつくと私は娘から網を取りあげ夢中でバッタを追いかけまわし、十匹ほど捕獲していた。奇跡的に娘も網を適当に振りまわすとなかにバッタが入り、人生ではじめて生きた動物を捕まえることに成功、獲物をかごのなかにしまって大満足で草むらから飛び出した。
 この日、網とかごを手に虫を追いかけ回していたのはわれわれだけ。あとはスマホに目を落として道をブラブラする人ばかりだった。自分の子供にはポケモンより生きた動物を追いかける人間になってもらいたい、と思うのは私がすでに考え方の古い世代の人間に属してしまっていることの証(あかし)だろうか……。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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