読み物
娘との沢登り
更新日:2022/11/23
今年の念願のひとつは娘と沢登りに行くことだった。
乳幼児の頃から私は娘を背負子(しょいこ)にのせて山を連れまわしてきた。これまで何度一緒に登ってきたかわからないが、あまりに山に行き過ぎたのか、去年あたりから娘は登山を嫌がりだした。そして今年に入ってからは、ほぼ完全拒否。学校が休みの日は習い事や友達と遊ぶのに忙しく、私と野外で遊ぶことがほとんどなくなってしまった。
このままもう娘と山登りすることもなく一生を終えるのだろうか、と思うと寂しいが、その一方で、山登りなど子供にとってはただきついだけで面白いわけがない、という共感的な感情もあり、私も無理に誘わなくなった。
ところが夏のある日、何となく沢登りに誘ってみると、別にいいよ、と言うではないか。登山道を歩くのはつまらないが、滝を登ったりするのは楽しそうだというのである。すぐに私は情報収集にとりかかり、小学校三年生女児を連れて行っても大丈夫そうな、関東近辺でもっとも易しく、危険性の少ない沢を探した。そして沢足袋や登山用の衣類など装備をそろえた。
八月の暑い時期に丹沢の入門的な沢を一度訪れ、途中の林道まで登った。しかしそれだけは満足できない。日帰りではなく、私は娘と沢中で一泊し、ともに焚き火を囲みたかったのだ。妻も、せっかく装備をそろえたのだから、少なくとも二回は行きなさい(でなければ元がとれない)とハッパをかけ、背中をおした。
九月にはいると習い事の大会や、悪天がつづき、もはや今年は無理か……と断念しかけたが、十月の第一週の土日は高気圧におおわれ、ついに奥秩父の沢をおとずれることができた。日帰りでも十分登れる小さな沢だったが、なかば無理矢理途中で一泊し、念願の焚き火キャンプを実現できた。
途中でシロハツやヌメリスギタケモドキが見つかり、夕食は焼き肉とキノコ汁。焼き肉は焦げてて美味しくない、キノコ汁はお父さんの同定を信用できないのでとてもではないが食べることはできない、と食事については散々な感想だったが、父親としては小さな娘と一緒に山登りすること以上の喜びがこの世にあるはずがない。
来年はもう少し大きな沢に登る約束をして下山。その約束を励みに、来年夏まで頑張ろうと思います。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。