読み物
霧の百名山②
更新日:2021/10/13
日高山脈での地図無し登山のあとは、妻子と合流して知床登山にむかった。どうせ北海道に行くなら、家族旅行もセットにしたほうが効率がいいとの魂胆からはじまった話だが、もうひとつ目的があって、それが何かというと、小学二年になる娘の夏休みの自由研究の取材だ。知床は羆(ひぐま)がたくさんいる、という話をすると、娘は「野生の羆を見てみたい」と興味をもったようで、じゃあそれをまとめて自由研究で発表すればいいじゃないか、との話になったわけである。
現地に行くと天気が悪かった。列島を西から横断してきた台風は熱帯低気圧にかわったが、麓の山小屋では、まだしとしと雨が降っている。当日、午後になったら晴れ間が出るという予報だったので登山道をあるきはじめたが、千メートル少々のぼって頂上下のテント場に着くと、風雨がつよく、夏とはいえ凍えそうなほど寒い。娘はわりと平気だが、妻のほうは変温動物みたいに動きをとめてしまった。見るからに活動量が低下している。家族登山を楽しむ、といった状況でもなく、その日は行動をやめにしてテントを張った。
翌朝も風雨はやまず、下の山小屋で一緒だった年配カップルが「ちょっとひどいので下山します」と言いのこして濃霧のなかを下りていった。わたしたちも硫黄山(いおうざん)まで縦走するつもりだったが、無理してもしょうがないので、知床の看板である羅臼岳(らうすだけ)に登頂し、反対の羅臼町側に下りることにした。
テントからのぼりはじめるとすこし霧が晴れたが、山頂付近はやはりひどい霧で何も見えない。太平洋とオホーツク海にはさまれた雄大な山の連なりを眺望するつもりで来たが、徹底的に視界ゼロだ。羆の気配もなし。よしんば姿はなくとも、足跡や糞ならいくらでも見つかる、と娘に約束したのに、なにひとつ発見できず、残念。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。