読み物
謎の回廊
更新日:2020/10/28
三年前におこなった日高山脈地図無し登山のつづきをこの夏におこなった。
なぜ二年間もの中断期間をへて今年やったかといえば、前回の日高地図無しが精神的にきつすぎて、下山後にこんなことは二度とやらない、地図をもたずに山を登っても全然面白くない、と思ったのだが、二年のうちにこの傷も風化し、つらかった記憶も曖昧になって、せっかくの稀有な試みをあの一回で終わらせるのは勿体なすぎる、もう一度行くべきだ、と気持ちが前向きになってきたからである。
地図無し登山とは、要するにはじめてその地を訪れた原始人と同じ山を見る、完全に未知の自然環境に突入して山を見たとき、その山はどのように見えるのか、それを知るのが目的であるから、一度でも地図を見て山域の概念が頭にはいるとその時点で企画はオジャンとなる。幸いにも聡明な私は、もしかしたらこんなこともあるかもしれないと、前回の地図無し登山が終わった後も一度として日高山脈の地図は確認しなかったので、極私的な空白地帯としての日高は温存されたままだった。
しかし今回は別のしんどさがあった。それは明確な目的地がなかったことである。
前回はとにかく日高主稜線に登り一番目立つピークをふむ、という目的があり、その目的を見事にはたした。しかし日高の谷は主稜線近くが深く抉れて、滝も多く、遡行はきつく、それが二年間の中断を引き起こすトラウマとなった。なので今回は、すでにピークは踏んだことだし、地形的に厳しい主稜線にはなるべく近づかずに、魚がいっぱいいて釣りを楽しめる中流域の探査を中心に考えていたのである。だが実際に漫遊してみると、地図がないだけに、どこに行けばいいのか山行の途中でわからなくなり、行動全体に張りがなくなってしまった。
そんなふうに漫然と深い山中を歩いていたとき、衝撃的な光景が目にはいった。前方に連なるうねるような尾根のスカイラインが左のほうにむかって急激に下がり、顕著な鞍部(あんぶ)を形成している。私の歩いている沢はどうやらその鞍部から流れ出しており、そのままたどれば山の向こうの今とは違う水系に出られそうなのだ。
つまりその鞍部は、今の水系から別の水系に飛び出る秘密の回廊なのである。
秘密といっても、それは私が地図を持っていないから秘密に感じるだけであって、もし地図を持っていたらそれは秘密ではなく公然。事前に地図でそうした鞍部があることはわかっていたであろうから、実際に見ても興奮も何もなかったはずだ。しかし地図無しなので目の前にあらわれた風景はすべて初見となる。予期せざる風景があらわれたときの驚きは想像を絶するものがあるのだ。
あの鞍部を越えれば別の川に出られる。そこにはどんな川が、どんな谷が、そしてどんな山がそびえているというのか――。
猛烈に興奮した私はその鞍部を目指したが、しかし今回はここまで。すでに一週間近くが経過し、別の水系に向かう食料の余裕はなかったし、今回は中流部のダムにレンタカーを駐車したままで、取りにもどれなくなるからだ。
課題は来年に持ち越し。今年で完結しようと思っていた地図無し登山であるが、思わぬかたちで新たな探検の対象が出現し、来年以降も継続となったのだった。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。