もうひとつの『ハウス・オブ・ヤマナカ』 東洋の至宝を欧米に売った美術商──山中商会と英国王室コレクション

第3回

山中商会が現代に残したもの。

更新日:2024/05/29

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 英国王室との関係も深まり、英国における日本美術と山中商会の名声は最高潮に達したかに見えた。しかし、第二次世界大戦がその流れを一気に打ち砕く。
 それでも日本美術を海外に紹介した業績が消えるわけではない。特に、美術品の来歴が厳しくチェックされる現代では、欧米での東アジア美術受容において重要な役割を果たした山中商会の役割を改めて見直す動きが出てきている。

『ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商』(新潮社)の著者、朽木ゆり子が描く、もう一つの“ハウス・オブ・ヤマナカ”、山中商会と英国王室コレクション秘話、最終回。

 英国王室御用達と聞いて私達がすぐに思い浮かべるのはフォートナム・アンド・メイソンの紅茶やタンカレーのジン、ターンブル&アッサーのシャツ、ウェッジウッドの食器など英国王室のメンバーが愛用しているいかにも英国らしい品物の数々である。しかし、御用達とは実際には何を意味するのだろう。どんな資格が必要なのだろうか。
 英国王室御用達は、英国王室に対してものやサービスを提供している業者が、王室の特定のメンバーからロイヤル・ワラント(正確にはRoyal Warrant of Appointment)とよばれる認定書を授与されていることを指す。認定を受けた業者は王室の信用を得ていることを公にすることが許され、その証拠としてワラントを授与してくれた王室メンバーの紋章(ロイヤル・アームス)を使うことができる。店の外に紋章を飾っている業者もある。

 ロイヤル・ワラントの歴史は中世にまで遡る。印刷業者ウィリアム・キャクストンはエドワード四世によって1476年に王室の印刷業者となったが、これがもっとも早いロイヤル・ワラントの例のひとつだとされている。

 また、ロイヤル・ワラントは食物、靴、車、絨毯、食器、家具などのメーカーだけでなく、大工、理髪店、写真館、薬局、花屋といったサービスを売る店も対象となる。ただし、銀行、弁護士、パーティ企画者、獣医などのサービスには与えられないし、マスメディアにも授与されない。英国企業である、あるいは英国に本社があるかどうかも関係ない。

 1920年、山中商会はこのロイヤル・ワラントを授与された初めての日本企業となった。しかも国王と王妃の二人から与えられるという稀な栄誉を受けることとなった。
 実際にロイヤル・ワラントを授与していた期間は国王ジョージ五世(1865-1936)からは、1920年から1936年、さらに1938年、1940年の合計19年間(注:ジョージ五世は1936年に逝去した。しかし、ザ・ロンドン・ガゼットによれば、山中商会は1938年と1940年にもジョージ五世とメアリー王妃の紋章を顕示することを許されたと記録されている)。メアリー王妃(1867~1953)の場合は1921年から1936年、そして1938年と1940年だ。


ロイヤル・ワラント受容を示す紋章(木製着色)は店の外に呈示することができた。上がジョージ5世、下がメアリー王妃の紋章。(提供:山中商会)

 ジョージ五世とメアリー王妃は、頻繁に店に姿を見せていたというし、また前述の「Japanese Art and Handicraft」展での活躍がワラントを授与するうえでプラスになったことは想像がつく。ちなみに現在、ロイヤル・ワラントを受けるためには申請書を提出する必要があり、また資格としては王族とその家族に過去7年のうち5年以上、定期的、かつ継続的に製品やサービスを提供していることが必須となるが、山中商会がそれを授与した1920年当時の条件や手続きは不明だ。
 英国政府の公報であるザ・ロンドン・ガゼットによれば、当時、ロイヤル・ワラントを授与された日本企業は山中商会以外にはなかった。山中商会はそれを大いに誇りにし、ジョージ五世とメアリー王妃の大型紋章(木製、着色)を店の外に掛けていた。その紋章はいまでも山中商会に保管されている。

 また山中商会は王室や個人コレクターと並んで、大英博物館やヴィクトリア&アルバート博物館などの美術館や博物館にも多くの東アジア美術品を収めた。しかし1930年代になると、山中のビジネスにも陰りがでてくる。1929年のアメリカの株式暴落からはじまった世界恐慌は、ヨーロッパにも大きな影響を与えたし、中国の政情不安が原因で中国美術品が入ってこなくなった。ロンドン支店は、1933年にニュー・ボンド・ストリート127番地のビルから別の場所に移り、1936年にはさらに別の場所に移動した。

 そして戦争が始まる。1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻し、その2日後にフランスとイギリスがドイツに宣戦して第二次世界大戦が始まった。山中商会ロンドン支店は店員と家族を日本に帰国させ、支店長と英国人店員だけで営業を続けた。1940年になると状況はさらに悪化し、オランダとベルギーが占領され、6月にはパリが陥落した。ロンドン店は閉鎖され、貴重な美術品はアメリカと日本へ送りだされた。こうして山中商会ロンドン支店は姿を消した。それでもロンドン支店の被害はアメリカ支店に比べると、比較できないほど小さかった。アメリカの山中商会は成功していて知名度が高かったので、敵国資産の中でももっとも目立つ企業として、徹底的に解体されたのだ。

 太平洋戦争の勃発と同時に、ニューヨーク、ボストン、シカゴにあった山中商会3支店は財務省によって閉鎖された。その後、財務省(後には大統領府緊急管理人局の敵国資産管理局)の管理下で、清算目的で再開店して商品を売り続けた。その状態が約2年続き、残った商品は1944年5月から6月にかけてオークションで在庫一掃された。これらの売上はすべて敵国資産管理人局を通じて財務省に入った。このようにしてアメリカの山中商会も完全に消滅した。


パーク・バーネットでの山中商会清算競売カタログの一冊。(提供:山中商会)

 こうして山中商会は、一部の美術史学者だけが知る存在となったが、それがここ数年、少し変わってきたようだ。
 近年、美術界では作品の来歴、つまり作品が現在の持主に至るまでの所在情報が重視されるようになってきた。この背景にあるのはナチス・ドイツによる美術品略奪だ。主として1930年代にナチスがユダヤ系コレクターから略奪した作品、あるいはユダヤ系コレクターが手放さねばならなかった作品がコレクションに入っている場合、持主や美術館の倫理感は厳しく追求され、その作品の返還や賠償が要求されることが多い。それを避けるために、欧米の美術館は来歴専門の調査員を雇い、来歴を調べてウエブサイトで公表し、それが略奪された作品である場合は返還し、同時に説明責任をアピールするようになった。また欧州では、アフリカの旧植民地から持ち出された美術品の返還もここ数年大きな問題になっている。


 アジア美術品もこういった動きと無関係ではない。たとえばアメリカの有名な美術館に展示されていた美術品がアジアの遺跡から盗み出されたものであったことがわかり返還された、というニュースは最近珍しくないが、この種の発見も厳しい来歴チェックがあってこそ可能となる。そんな来歴リサーチの中から、欧米での東アジア美術受容を果たした山中商会の役割が改めて浮かび上がってきたと言えるだろう。

 また、ベルリン国立アジア美術館では、同館所蔵の中国美術品の来歴を、義和団の乱の八カ国連合軍による略奪にまで遡るプロジェクトを実施している。2024年の2月にはミュンヘンで「美術館コレクション、義和団事変、略奪行為」という国際シンポジウムが行われた。これは作品を返還に結びつけるというより、120年以上前の義和団事変時に北京で喪失した美術品を中心に、略奪という形で国境を越えた美術品を様々な角度から考察する試みと言えるだろう。

北魏青銅弥勒仏像(年期524年)北魏(386−534)銅製鍍金
H 76.8x W40.6x D24.8 cm  Rogers Fund 1938 メトロポリタン美術館所蔵 38.158.1a–n

「烏図」六曲一双 紙本金地墨画 各H156.3xW353.8cm 江戸時代 十七世紀前半
Seattle Art Museum, Eugene Fuller Memorial Collection, 36.21.1-2. Photo: Seiji Shirono, National Research Institute for Cultural Properties, Tokyo

アメリカの美術館には山中商会を通じて多くのアジア美術品が入っている。
これはほんの一例だ。メトロポリタン美術館の金銅弥勒仏像(上)は、もとは1925年にアビー・ロックフェラー(ジョン・D・ロックフェラーJr 夫人)が山中商会から購入した作品。1939年にメトロポリタン美術館が夫人から購入した。シアトル美術館の「烏図」屏風(下)は、1936年に山中商会がボストンで開催した展覧会でリチャード・フラーが購入し、シアトル美術館に寄贈した。

 山中商会関連では、来歴をめぐる別種の動きもあった。シアトル美術館は、同館が1943年に山中商会から購入したアジア美術品の来歴を遡って、実はその作品は山中商会から売られたものではなく、資産を没収したアメリカ政府の敵国資産管理人局によって売られたものであることを探り当てた。代金は山中商会ではなく、アメリカ政府に入った。シアトル美術館はその経緯を作品の展示ラベルで明らかにしている。

 こういった試みは、倫理的な目的だけでなく、作品の背後にある歴史を明らかにしようとするものだ。この種の情報を発信し鑑賞者と共有することで、作品の見方も違ってくるだろう。


©Takashi Ehara

著者プロフィール

朽木ゆり子(くちき ゆりこ)

ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
東京都生まれ。「日本版エスクァイア」誌副編集長を経て1994年よりニューヨーク在住。『東洋の至宝を世界に売った美術商―ハウス・オブ・ヤマナカ―』以外にもフェルメール関連の著書多数。中でも、『フェルメール全点踏破の旅』はフェルメールブームを巻き起こし、14刷12万部のベストセラーとなった。他に『盗まれたフェルメール』『邸宅美術館の誘惑』『ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅』など。

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