Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

ボス犬

更新日:2019/06/12

 村人に声をかけて犬を売ってもらい寄せ集めの犬橇チームを編成しはじめてから三カ月がたった。
 犬の行動は見ているだけでも面白い。最初の一カ月間、彼らはお互い気兼ねし、よそよそしい感じで付きあい、生の感情をあまりぶつけあうこともしないため、犬同士の関係はわりと平穏なものにたもたれていた。だが、そのうち慣れてくると喧嘩やいじめがはじまり、二カ月目に入るとことあるごとに取っ組みあいをおっぱじめ、大混乱の様相を呈するようになった。つまり政治の季節である。強い犬同士の間で激しい権力闘争が開始され、その闘争の余波がいじめというかたちで弱い犬にまで波及し、怪我犬の絶えない状態となったのだ。
 地元の人に訊くと、喧嘩が絶えないのはボス犬が決まっていないからだという。ボス犬さえ決まり犬同士の力関係が安定すれば、政治的な基盤も安定し、比較的おだやかな状態になるという。そしてたしかにいわれたとおり、三カ月目にはいる頃、急に一頭の犬がめきめきと頭角を現し、ボス犬の座に君臨することになった。
 その名はカコウトン。二月頭にカナックの猟師から売ってもらったまるまる太った三歳の若い犬である。白内障を患っているのか、片目を失明しているのでカコウトンという名前にした。チーム角幡にはエンジン役としてがんがん橇を引いてくれる犬が三頭いるが、そのうちの一頭であり、リーダー犬不在のときは代理で先頭にたってもらうこともある欠かすことのできない主力犬である。
 チームに加わったときから喧嘩っ早いところのある犬だったが、三月の後半から急速に他の犬に絡むようになり、その傾向にいっそう拍車がかかった。
 チーム内には気性が荒く、喧嘩ばかりする犬が四頭ばかりいて、それらの間でボス犬争いは展開された。私の見たところ、まず七歳の最長老で身体も大きいベコが、番長犬として他の犬を次々と病院送りにしていたウヤミリックに痛めつけられ失脚した。
 そのウヤミリックは体格の良さから最強と目され、ボス犬に最も近い存在だと考えられていたが、ある日の晩、どうやらリーダー犬のウンマとその舎弟であるキッヒのリンチにあったようで、その日を境に急速に政治的求心力を失った。それまで威張り散らしていたぶん他の犬から目の敵にされていたようで、チーム内で喧嘩がはじまり大混乱の状態となるたびに、ウヤミリックは身体中を噛みつかれ血まみれとなった。そして最終的にはカコウトンとの一対一の決闘において完全に力負けし、組み伏せられ、権力闘争から脱落してしまった。
 最終的にのこったのはリーダー犬ウンマ(+舎弟キッヒ)とカコウトンの二頭だった。二頭は常にいがみ合い、にらみ合っては唸り声をあげ、威嚇し、しばらく一触即発の状態がつづいた。もはや衝突は避けられない。いつやるか、いつやるかと私は常に二頭の動向を注視していた。そして四月上旬、キャンプ中の餌やりの混乱の際に最終闘争が発生し、カコウトンがウンマを圧倒してボス犬の座につくこととなったのだった。
 もともとウンマはキッヒと二頭でにらみをきかせる、その意味では政治的なうごきをみせる犬であり、身体もそれほど大きくないので実際に一対一の喧嘩となればカコウトンの敵ではないだろうと予想されてはいた。だが、権力をうしなったリーダー犬ウンマのその後は憐れだった。カコウトンと目が合うたびに噛みつかれて組み伏せられリンチをうける。橇を引くときもリーダー犬なのにカコウトンが怖くて前に出られない。ようやく先頭で走り出しても、カコウトンに後ろからあおられ、急に立ち止まって腹を見せて横たわり服従の姿勢を示す。カコウトンだけではなく、二歳の、まだ子供といってもよい〈チーム角幡のヤンキー〉ことプールギにまで噛みつかれ、いじめられる。ウンマは前日まで全頭を威嚇していた姿からは想像もつかないほどみじめな姿をさらけ出し、政治的求心力をうしなった権力者の悲哀をこれ以上ないほど体現していた。若い二頭におびえるウンマの姿をみるたびに、私は文化大革命で権力の座から失墜し、少年のような年頃の紅衛兵に小突かれる劉少奇の姿を思い浮かべた。
 いうまでもないことだが、中国史的にはカコウトンすなわち夏侯惇は、勇名を馳せたとはいえ、曹操配下の魏の一武将にすぎなかった。それから千八百年ほどたった北極の地でついに最高権力者の座にのしあがったというわけである。とても小さな世界の最高権力者ではあるが。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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