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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

六分儀の発見

更新日:2018/08/22

 六分儀とは航法に使用する天体観測器具である。使用方法は次のとおりである。本体についた望遠鏡をのぞくと、視野のなかには望遠鏡をのぞいてそのまま真っ直ぐ見える前方の光景(A)と、本体に二つ設置された鏡を反射して見える上空の光景(B)がかさなっている。上空の光景(B)は本体のつまみを動かすことで角度を変えることができる。たとえば太陽を観測したい場合は、つまみを動かし六分儀の鏡の角度を変えて上空の光景(B)にうつる太陽を望遠鏡の視野のなかに下ろすことができる。六分儀は航海用具であり、使用者は通常、船上にいるので、望遠鏡を通して見える前方の光景(A)には海の水平線が見えている。この(A)に見える水平線に、(B)で見える太陽の上辺か下辺を接するようにつまみを動かせば、水平線と太陽の角度すなわち高度を測ることができる。観測するのは太陽でも恒星でもかまわない(月や惑星は動きが複雑で地球から近すぎて精度が落ちるので、あまり使用しない)。天体を観測して高度を測り、複雑な計算式をこなせば、使用者はその時刻に地球の座標軸のどの点にいるのかを求めることができるわけだ。
 GPSを使わない主義の私はこの六分儀という器具を、グリーンランドに通いはじめてからずっと使用してきた。とりわけ近年最大の目標だった極夜探検においては、六分儀で天測して位置を知ることは、暗黒世界で迷わないために非常に重要な技術だった。そのため私は極寒そして暗黒という特殊環境で六分儀を誤差なく使えるように毎年、現地で訓練してきたし、日本で唯一の六分儀メーカーであるタマヤ計測システム(株)の協力を得て、水平線のない陸上でも天測できるように特殊な気泡管装置を取り付けたスペシャルバージョンを開発してもらった。そして昨冬、いよいよそのスペシャル六分儀を携え、極夜探検に出発したのだが、そのわずか二日後、最初の氷河の麓でキャンプをしていると、過去に経験したことのない猛烈なブリザードに遭遇。前日、歩いてきた海氷はばきばきと崩壊、流出し、橇にくくりつけていた六分儀はなすすべもなく吹き飛ばされ、テントの数メートル脇で口をあけた黒々とした海に呑み込まれてしまったのだった。おかげでその後の探検は位置決定に手間取り、おそろしく不安な日々を過ごすことになった。
 さて、それから一年経った今年春のグリーンランド行。毎年ベースにしているシオラパルクの村で驚くべき話を聞いた。同村に四十年以上暮らす〈エスキモーになった日本人〉こと大島育雄さんに挨拶にいったときのことだ。「あ、そうそう。角幡君が去年、ブリザードで吹き飛ばされた六分儀、あれ海で見つかったよ」。そんなことが起こりうるのか? さすがに私も耳を疑った。なんでも、大島さんの息子のヒロシが夏にボート猟に出たときに、ケースごと海にぷかぷか浮かんでいるのをたまたま発見したという。
 六分儀は大島さんの自宅の毛皮などが保管されている地下の物置にしまわれていた。長期間、海水にさらされていただけに、錆や潮がこびりつき、鏡も取れてしまっている。ケースを開けると黴臭い異臭がぷーんと漂ってくる。さすがにもう使い物にはならないが、探検の記念品として日本に持ち帰った。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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