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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

暗黒の正月

更新日:2018/02/28

 今年の正月は家で家族とのんびり過ごした。大晦日ぐらい贅沢をしようと奮発して鴨肉を買い込んで夜は鴨鍋。しめにそばを食べて、紅白歌合戦を見て、元旦は近くの御霊神社に初詣に行くという年末年始としてはきわめて正統的な過ごし方をした。山に行くわけでもないし、極地を探検しているのでもない。このような平和な正月を過ごして自分が駄目にならないかと、それは不安になるほど穏やかな時間であった。
 去年の正月はグリーンランドにおける極夜探検の真っ只中で迎えた。十二月六日に村を出発してからというもの、太陽が昇らない闇のなかを、地形的な手がかりがほとんどない内陸氷床とツンドラの大地をなんとか迷うことなく彷徨するように前進し、アウンナットと呼ばれる土地にある無人小屋にたどり着いたのが、まさに一月一日の元旦だった。
 極夜なので当然、初日の出は無し。
 初日の出どころか、正月のアウンナットはとにかく暗かった。極地では新月前後の約十日間は月も姿を消す。アウンナットに着いたのはその新月期間にあたっていたので、太陽どころか月も出ない、極夜のなかの極夜とでも呼ぶべき真の暗黒空間が現出していたのである。おまけにアウンナットはイングルフィールド・ランドという陸地の北側に面している。南側なら正午前後にわずかに地平線からしみだしてくるはずの陽光も全然届かないため、余計暗いのである。世界最暗黒の地、それが正月のアウンナットだった。このような地にいたため、まだ二か月以上昇らない太陽など意識のなかにのぼることすらなく、このときの私はとにかく早く月が見たい、月よ早く昇ってくれと、そればかり願っていた。
 月が見えたのが一月五日。それから私はさらに北を目指して出発したが、このように去年は北緯八十度近い暗黒空間でひたすら月が昇るのを待つという正月だった。もちろん正月気分など皆無で、テントのなかでただ寝袋や衣類を乾かして過ごしていた。
 あれから一年が経つのかと思うと感慨深い。たった一年だが、今となってははるか遠い昔のことのように思える。日本で過ごす日常とあまりにも深い断絶があるので、極夜の北極はすでに遠い記憶のようにかすんでしまっている。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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