Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

江の島の裏側

更新日:2018/01/24

 最近鎌倉の話ばかりで恐縮だが、今回も鎌倉シリーズ。
 何しろ引っ越してきてから執筆で忙しく、どこにも出かけられない。山にも行けないし、子供を遊びにも連れていけないので妻にも文句を言われる。とにかく書かなくてはならないので内容は二の次になって原稿も面白くなくなる。忙しくていいことなど何一つない。先日は中央アルプスに登りに行く予定だったのに、多忙の疲れか、急に発熱して中止になった。もともと私は虚弱体質で小学校低学年まで学校を休みがちだったタイプの人間で、今でもこうした生活系の疲れには滅法弱くて免疫力が落ちてしまうのだ。黴菌(かびきん)のいない極地が恋しい。
 いきなり愚痴になったが、さて鎌倉。鎌倉でカヤックといえば葉山あたりがメジャーらしい。たしかに家から一番ちかい由比ヶ浜の海岸でカヤックをしている人間はほとんど見ない。というか自分以外に見たことがない。ほとんどがサーフィンかサップ、あとはウインドサーフィンである。葉山―横須賀近辺のほうが海はきれいだし、岩礁や磯が発達しているのでカヤックに適したフィールドなのは間違いないが、しかし由比ヶ浜から西にむかって江の島をぐるっと回るのも決して悪くないと思う。
 特に冬は気持ちがいい。前回も少し触れたが稲村ヶ崎をまわりこんで、江の島越しに冬富士がバーンと目に飛び込んでくるところが、まず素晴らしい。海の水は砂で濁っているが、そこには目をやらず、視線を前方に向けて雄大な富士山を眺めながらのんびり潮風にあたってパドルを漕ぐ。すると気分は爽快だ。
 そして、これは一般に知られていることなのかどうかよく知らないが、観光地江の島の裏側が、じつは断崖が切り立ち、岩礁が張り出していて素晴らしい。江の島大橋の下をくぐって島の海岸線を左にまわりこむと島の海岸は海蝕地形に変わり磯が発達する。潮にのって気持ちよく漕ぎ南側に出ると、急崖が島を取り囲んでいて荒々しさが増す。沖から入りこむうねりが海面下の見えない岩場にぶち当たり、返し波となってどぷんどぷんと不連続な波形を発生させる。そのなかに艇を漕ぎ入れて微妙にバランスをとりながらパドルを漕いでいると、地球のダイナミックな動きを感じることができるのだ。
 人工物があると雰囲気が台無しになる山とちがい、水のダイナミズムは人工物のあるなしにかかわらず発生する。観光地江の島といえども大洋のはるかな蠢きを直に体感できるのが海の面白いところである。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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