Nonfiction

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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

霧の百名山

更新日:2021/09/22

 今年の夏も地図をもたずに北海道の日高山脈を登った。今回で三回目。最初は春別川(しゅんべつがわ)の峡谷をこえて日高主稜線に達し、そこで一番目立つ立派な山に登るだけで手いっぱいだった。二回目の昨年は春別川の支流を探検し、別の水系に無理なく出られそうな、おだやかな沢を見つけて時間切れとなった。今回の目標は春別川をはなれて別の水系に出ることだ。
 四日かけて釣りを楽しみながら春別川を遡行する。釣った岩魚(いわな)、虹鱒(にじます)は燻製にして水系越えのさいの食料にする。去年見つけた穏やかな沢(勝手口沢と勝手に命名)をこえると、おどろいたことに巨大ダム湖があらわれた。人里から離れた原始境を探検しているつもりだったのに、想定外のひと言だ。ただ、どうやら春別川とは別の水系に出ることはできたようだ。
 ダム湖のまわりでもっとも大きな沢をまた遡行しはじめる。情報がまったくないため、一日ついやして上部を偵察するなど、完全に百年前の地理的探検とやり方が同じだ。
 里では晴れても、日高の山には雲がかかっていることが多い。朝から降っていた雨はまもなくあがったが、谷は濃霧につつまれたままだ。霧のなかを、ライトグリーンに輝く美しい沢をのぼり、源流が近づくと北のほうに巨大な三角錐が見えた。なんという山なのかわからないが、とにかくその山をめざして高度をあげる。ふたたび視界は濃霧に閉ざされ、ただ高みにつうじる斜面をひたすら登った。
 やがて登山道に出て、道を西にたどる。ピークに到達すると、予想外なことに標識がたっており、それを見て思わず声をあげた。
 日本百名山・幌尻岳(ぽろしりだけ)。
 まったく地域概念のない山中で、霧にまかれ、何も視界がない状態でただひたすら一番高い場所を目指したら、そこは私が唯一名前を知っている日高の最高峰だったのだ。不思議な感動につつまれたのは、言うまでもあるまい。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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