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Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

人生四度目の雪崩

更新日:2020/05/13

 犬橇の最大のネックはやはり維持費の捻出である。なにしろグリーンランドの犬は見ていて気持ちがよいほどよく食べる。海豹(アザラシ)や海象(セイウチ)の生肉なら三、四キロはかるく平らげてしまう。
 冬の餌の量としては、ドッグフードであれば行動した日に一キロ、休養日であれば五百グラム程度が目安とされるが、これはあくまで目安にすぎず、それぞれの身体の状態や気温などで与える量を調整しなければならない。たとえば痩せている犬には一日二キロ近く与えて太らせたり、氷点下三十五度の寒さがつづく場合は、餌の量を増やして痩せないようにする、などである。犬を鍛えて春の長期旅行で働いてもらうのが私の目的なので、冬の間は餌を多めにあたえて身体を鍛えておかなければならない。
 とはいえ村の売店で売っているドッグフードは二十キロ入りで七千円近くするので、こればかり与えていると私が破産しかねない。そこで今年は村人に海象肉を安く売ってもらうなどして少しでも節約につとめてきたが、経費削減の一環として、このほど百キロほど離れたケケッタという集落にオヒョウ釣りに出かけることにした。
 ところが村を出発した日に思わぬ事態が出来した。先だっての大風で、村から八キロほど離れたカギャ岬の海氷が流出してしまい、その日は岸沿いの定着氷を走っていた。風のせいで定着氷の上の雪は吹き飛ばされ、つるつるの裸氷がむき出しになっている。せまい定着氷が裸氷になるとスピードがつきすぎて犬も止まれなくなり、時速三十キロ近い速度での暴走がはじまり、危険きわまりない。所々、大きな氷の塊がつき出しており氷の状態は悪く、犬もつるつるで走りにくいので斜面のふもとの雪の付着している部分を走りたがる。ちょうどそうした状態のなかを走っていると、前方に約一メートルほどの氷の塊がつき出していた。そのまま突っ込むと橇に大きな衝撃が加わりダメージとなるため、私は「アイー! アイー!」と止まれの合図を出した。
 そのときだった。気づくと左側の斜面の雪が崩壊して、無数のブロックとなって橇におしよせてきている。やばい、雪崩だ、と即座に認識した私は、この雪の量だと埋まって死ぬ、と判断し、同時に身体が勝手に動いて橇から飛び降りて海のほうに走って逃げた。崩壊した雪は斜面の麓で止まって堆積し、私も犬もとくに怪我はなかったが、よく見ると橇のランナー材が完全に折れて、内側に倒れてしまっているではないか。
 私は、なぜこんなことが起きるのか、と三十分ほど茫然としてしまった。強風と極低温で雪が硬化したこの地で雪崩事故など聞いたことがないし、村の人からも雪崩の危険性などさとされたことはない。一瞬、気持ちが切れそうになった。この橇は昨年、一カ月もかけて作ったもの。同じ労力をかけてまた一からやり直さなければならないのであれば、春に予定している長期犬橇漂泊行にはもう間にあわないだろう。そもそも橇を作る材料が今年は手許にない。根拠地であるシオラパルクの村にはないので、隣町のカナックまで行かなければならないが、こんな橇でどうやって行けと言うのか……。
 だが、冷静になってよく見ると、橇の他の部分はまったく無傷なので、壊れたランナー材だけあらたに作り直せばなんとかなりそうである。いずれにしてもこんな橇では百キロ先のケケッタに行くのは不可能。オヒョウ釣りは中止とし、ひとまず村にもどって態勢をたてなおすことにした。
 それにしてもこれまで日本の雪山登山で三度雪崩に遭い、埋没して死にかけたこともあるが、まさか四度目を北極で経験することになるとは想定外の事態であった。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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