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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

煩悩

更新日:2016/04/27

 冬山の魅力は人それぞれだろうが、私の場合は、山も探検もその部分はさして変わらず、未知を発見したときや、未知状況に身をおいたときに覚える興奮に最大の面白味がある。特に近年はその傾向がつよくなってきた。昔は探検や登山という行為に内在する困難や危険性に魅力を感じていた気がするが、最近はそれよりも未知性のほうが断然面白い。私も不惑の年齢となり、ようやく探検の本来の魅力がわかってきたということだろうか。
 登山の場合で最高なのは、ある山を登りにいったときに偶然目にした岩壁のなかに一筋の魅力的な氷のラインが頂上直下まで伸びていて、その後の登山でその氷のラインの登攀に成功するというパターンだろう。ことのほか登攀行為の苦手な私がこのような僥倖に恵まれることは滅多にないが、それでもまったくないわけではない。その意味で、登山もまた自然をめぐる個人的な巡礼行為に近いのではないかという気がする。
 ある登山で魅力的なルートを発見したら、当然そのルートは自分だけのルートとなり、自分の世界を構成する要素となり、せっかく発見したのだから是非とも自分で登りたいという欲求を生み出す。その欲求が、そのルートを登るための次なる登山をもたらし、その次の登山でまた新しいルートが見つかり、さらに次の登山を生み出していく……。
 この巡礼行為としての登山は一つの発見が次のプロセスを生産する駆動力となるため、たとえば日本百名山登山やガイドブックのルートを次々と踏破してそれが達成されたら虚しく終了というような直線的なマニュアル登山とはちがい、終わるということがない。円環的であり、登れば登るほど次々に発見があり、自分の世界が膨らんでいくので、それこそ自分の身体が動かなくなるまで無限につづいて永劫回帰的に死滅と誕生をくりかえす。きわめて自律的で、自由な行為だ。
 三月に穂高の、とある岩壁を登りにいったとき、隣の山の岩壁にかかる見事な二本の氷のルンゼ(岩溝)に目が奪われた。ルンゼの上部にはキノコ雪が連続的に張り出した細いナイフリッジ(鋭く切り立った尾根)がつづいており、いつの日か、春の状態のよいときに、このルンゼとナイフリッジを登って穂高の頂上に立つときのことを私は夢想していた。
 こうしてまた一つ、私のなかに小さな煩悩が生まれた。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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