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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

浮き氷とジャコウウシ

更新日:2016/01/20

 昨年夏、グリーンランド北西部をカヤックで旅していたときの一枚。
 このときは冬におこなう予定だった「極夜の探検」のため、世界最北の村シオラパルクから海岸線をたどりカナダとの国境間の海に面した無人小屋に大量の物資を運びこむつもりだった。ところが、途中のイータという昔の集落跡地で強烈な西風に吹かれて、沖を流れていた浮き氷が全部、われわれのいる海岸線に押し寄せてきた。
 グリーンランドとカナダのエルズミア島との間の海峡は狭いところで幅がわずか四十キロ程度しかなく、海は冬の間にがっちりと凍りつき、例年、六月下旬になるとバラバラに砕けて海流に乗って南の暖かい海に流れていく。ところがこの夏は寒かったのか、海氷の崩壊が例年より遅れ、七月下旬になってようやく浮き氷が流れはじめた。そこにタイミング悪く強い西風が三日三晩吹き荒れて、イータでキャンプしていたわれわれの周りを取り囲んでしまったのだ。
 運が悪かったとしか言いようがない。衛星画像のデータを見ると、このあたりの海は八月になると浮き氷がきれいに解けて海が開く傾向が強い。それを見込んで村を出発したのだが、予期に反して大量の氷にとりかこまれて、われわれは身動きを取れなくなってしまった。
 西風が止(や)むとしばらくは快晴無風の日がつづき、そのあいだ海も完璧に凪(な)いだ。しかし目の前の浮き氷に囲まれて、われわれは船を漕ぎだせない。航海日和なのにテントで悶々と海を眺めるしかない不条理。浮き氷の厚さは二メートルも三メートルもある。来る日も来る日も近くの丘の上に登り、遠くの海を見渡した。部分的に海が開き、明日には出られるのではと期待が高まるが、翌日になるとまた沖から新たな浮き氷が運ばれてきて、われわれの道をふさぐのである。
 思わぬ停滞で手持ちの食料に不安が生じた。小屋までの道のりはまだまだ遠く、用意した食料すべてに手をつけるわけにはいかない。われわれの窮状を救ってくれたのは、いつもの旅と同じように、またしてもジャコウウシだった。イータ周辺は沢山のジャコウウシの群れが棲息しており、そのなかから手ごろなサイズの子牛を一頭撃ちとめて、肉が傷まないように砕いた氷の脇に保管した。それからというものジャコウウシの肉を食べては丘の上に偵察に行き、落胆してテントに戻り、また牛の肉を食べるという毎日がつづいた。

 わずかな氷の隙間を見つけてイータを脱出したのは、到着から十三日目のことだった。すでにジャコウウシの肉はほぼ食いつくしていた。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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