NHK連続テレビ小説「ばけばけ」がスタートしました。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻のセツにスポットライトが当たるストーリーが展開され、小泉八雲に改めて注目が集まっています。1890年に来日し、島根県松江市で暮らし始めた八雲は、日本の神話や神話が伝わる風景のどのようなところに魅了されたのでしょうか。そして、現代に生きる私たちにとっての神話の楽しみ方とは?
神話学者で、アイルランドやギリシャでのフィールドワークを続ける平藤喜久子さんがご案内します。

古代の物語が生きている
神話の“現場”を歩く
第1回
小泉八雲を魅了した日本神話と出雲の情景
更新日:2025/10/08
- ラフカディオ・ハーンが見た神話の風景
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出雲を訪れるたびに、まず「雲が多いな」と思います。そうだ、ここは「八雲立つ 出雲」なのだと実感する瞬間です。「八雲立つ」とは、日本神話の神、スサノオによる歌のはじまりの言葉。雲がもくもくと立つ様子をいいます。スサノオもまた、この土地で同じように雲の多い空を見上げていたのかもしれない、などとつい空想をします。出雲ではこのように自然と神話が身近に迫ってくるようです。
「この浜で国譲りの交渉が行われた」、「神が遠くから土地を引いてきて、この形ができた」。出雲には、こうした神話の舞台が数多く伝えられています。現代の風景に神話を重ねながら歩けること、それこそがこの土地ならではの魅力です。
出雲の空は雲が多く、神秘的な風景が広がる-
今からおよそ130年余り前、日本の神話に魅せられ、出雲に神話の風景を訪ね歩いた一人の外国人がいました。彼は日本に帰化するとき、新たな名として出雲神話ゆかりの「八雲」を選びました。小泉八雲。もとの名はラフカディオ・ハーンといいました。
ラフカディオ・ハーンが生まれたのは、豊かな神話で知られる国ギリシャのレフカダ島です。そして2歳の時に、軍医であった父の実家があったアイルランドで大叔母のもとに引き取られます。アイルランドもまた、ケルト文化の神話や伝説、昔話が色濃く残る土地です。彼はそこで幽霊や妖精たちの物語を聞きながら育ったのでしょう。彼の想像力には、ケルト世界の神話や伝承が深く刻まれていきました。たとえば、アイルランドには、日本の浦島太郎に似た「オシーン」の神話もあります。英雄が海のかなたの常若の国〈ティルナノーグ〉へ赴く物語です。人魚との異類婚の話も伝わっています。妖精や幽霊との関わりが人々にとって身近な土地柄といっていいでしょう。
やがてハーンはアメリカに渡り、そこでイギリスの日本学者チェンバレンによる英訳『古事記』に出会います。そこに描かれる神話世界に強く惹かれた彼は、日本行きを決意しました。
最初の赴任地となった出雲・松江で、ハーンの「日本神話を歩く旅」が始まります。その旅の記録は『日本の面影』(『新編 日本の面影』池田雅之訳、角川ソフィア文庫など)にまとめられており、私にとっても神話を歩く際の手引きとなっています。
彼も訪れた松江市佐草の八重垣神社は、スサノオゆかりの場所です。ここで印象的なのは、やはり「鏡の池」でしょう。スサノオがヤマタノオロチを退治する際、のちに妻となるクシナダヒメがその姿を映したり、水を飲んだりしたと伝わる池です。この池では今も多くの人が和紙にコインを浮かべ、その沈むまでの時間や場所によって縁を占っています。
ハーンの心にも、八重垣神社の縁結び信仰は強く刻まれたようです。彼はスサノオのヤマタノオロチ退治の神話をチェンバレンによる英訳を引きながら紹介し、恋をしている人なら誰もが八重垣神社を訪れるのだと記しています。そして森の奥にある鏡の池へと進み、そこでの占いの様子を描写しました。ハーンもまた、今の私たちとほとんど変わらない風景を目にしていたのです。ただ、現在はコインを和紙にのせますが、彼の時代には紙で作った小さな船を浮かべていました。些細な違いこそあれ、スサノオとクシナダヒメの恋の神話に人々が思いの成就を願う姿は変わりません。そこには、今も昔も同じ神話の風景が息づいているのです。
縁結びを願う人でにぎわう八重垣神社の鏡の池
和紙の上に硬貨をのせて、池底に沈むまでの時間と沈む場所によって縁を占う-
出雲を歩いていると、このように「ハーンも同じ景色を見たのだ」と感じる場面にしばしば出会います。その一方で、彼だからこそ見ることができた風景、今の私たちでは見ることができないものもあります。
そのことを記すのが「杵築(きづき)―日本最古の神社」という章です。外国人教師として島根尋常中学校に着任したハーンは、土地の人々にとても歓待されました。出雲の神話を読んで以来ずっと念願であった出雲大社(杵築大社)の本殿に参拝するという機会にも恵まれます。
出雲大社本殿(後方)-
神話によると、地上の主であったオオクニヌシは、天の神に国を譲った際、「わたしの住む御殿を、太い柱で天にも届くほど高く壮大なものにして欲しい」と条件を出します。その約束に従って建てられたのが出雲大社の起源とされます。現在もその約束を思わせるように、本殿は壮大な姿で八足門(やつあしもん)の内側、御垣内(みかきうち)に鎮座しています。もっとも、御垣内での参拝は機会が限られており、本殿に昇って(昇殿して)参拝することは、今ではほとんど不可能です。
しかしハーンは、その本殿に昇殿し、内側に入り、宮司と対面するという貴重な経験をしています。その筆致からは、特別な場に立ち会った彼の高揚感が生々しく伝わってきます。私たちは本殿を見上げながら、ハーンの眼差しを通して、その内部の姿を想像することができるのです。
美保神社-
そして、松江から足をのばした美保関についてのエッセイも印象的です。美保関は、コトシロヌシを祀る美保神社を中心に栄えた港町。地上を治めていたオオクニヌシの息子コトシロヌシは、ここでは漁業の神「エビスさん」として信仰されています。『古事記』によれば、天の神に国を譲るよう求められたオオクニヌシは、美保で釣りをしていたコトシロヌシに意見を問い、その返事を了承としたと伝えられています。漁業、コトシロヌシ、美保関の結びつきは、神話の中にも色濃く刻まれているのです。
ハーンは、この町に伝わる「美保の神様は卵が嫌い」という伝承に強い関心を寄せました。コトシロヌシと鶏、卵の話は、『古事記』には出てきませんが、さまざまな伝承があります。ハーンが伝えている話では、コトシロヌシは夜に出かけることが多かったものの、雄鶏が帰宅時間に必ず鳴いて時を知らせていました。しかし、ある朝、鶏が鳴くのを忘れてしまい、コトシロヌシは急いで船で家に帰ろうとしたために、途中で櫂をなくし、手で水をかいたところ、その手も魚にかまれてしまうというひどい目に遭いました。そのためコトシロヌシは鶏が嫌いになったというわけです。
こうした伝承のため、美保関には鶏はおらず、卵もない。卵を食べたら、翌日まで美保関にを訪れることもできないといわれているとか。その風習はハーンの関心を引いたのでしょう。ハーンは、旅館の人に卵がないかと聞いてみるなど、フィールドワークをする民俗学者さながらに伝承を記し、確認をしています。
今は松江から美保関へは陸路で向かいますが、ハーンの時代には海路が一般的でした。浦から浦へと船で渡り、ようやく美保へと辿り着いたのです。かつては船着場からすぐに参拝できた美保神社も、現在は少し奥まった場所に移されています。ハーンの目に映った光景は時を経て変わってしまいましたが、変わらないものも残っています。古い宿屋や、参詣道として人々が行き交った青石畳通りに立てば、往来の気配とともに、ハーンが目にしたであろう風景の一端を追体験することができるのです。
美保関では、コトシロヌシの神話の風景を、一人の外国人であるハーンのまなざしを通して感じ取る、という面白さを味わうことができます。
ハーンが暮らした時代と変わらない趣を保つ青石畳通り-
「神々の国の首都」と題されたエッセイには、松江の日々の暮らしのなかに見え隠れする人々の信仰生活が描かれていますし、「日御碕にて」では、アマテラスとスサノオの姉弟を祀る日御碕神社訪問の様子が詳しく伝えられています。
出雲で、ハーンの体験と神話の重なり合いを探しながら歩く。そんな旅に出かけてみませんか。
第2回アイルランド編へ続く。
『古事記・日本書記の物語を体感できる風景・神社案内
「神話」の歩き方』(集英社)
神話学を専門とする著者が、神話の伝わる土地、神話を感じる神秘的な風景を訪ね歩く喜びについて語る。自ら撮影した写真とともに、出雲・日向・対馬と3つのエリアの見どころを紹介。
- 著者プロフィール
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写真・文 平藤喜久子
國學院大學教授。専門宗教文化士。専門は神話学、宗教学。日本神話を中心に神話や神々が研究やアートなどの分野でどう読まれてきたか、神がどう表現されてきたのか、というテーマに取り組んでいる。神話の風景を探しながら写真撮影を行うことをライフワークとする。現在、ロンドン大学SOAS校で在外研究中。
著書に『人間にとって神話とは何か』(NHK出版)、『「神話」の歩き方』(集英社)、『〈聖なるもの〉を撮る』(山川出版社)など。