- 和田
- 連載の最初にお訪ねしたのは、鎌倉の円覚寺です、JR北鎌倉駅の目の前で、便がいいですね。
- 村松
- 実は今の北鎌倉駅がある場所も、以前は円覚寺の境内でした。お寺の正面から線路を渡ったところにある池も、円覚寺の池なんですよ。

線路の向かい側から円覚寺方面を臨む
戦死者を弔うためのお寺
- 和田
- 円覚寺は鎌倉幕府の8代執権・北条時宗が1282年に建てた禅宗のお寺ですが、ここの仏像を第1回目に選ばれたのは、どんな理由ですか?
- 村松
- 円覚寺のご本尊は禅宗寺院独特の珍しい仏像なので、それを多くの方たちに見ていただきたいんです。円覚寺はそもそも「元寇(蒙古襲来)で亡くなった人を敵味方問わず弔う」ことが建立目的の一つだったと伝わっています。時の権力者がお寺を建てるときは、国を守ることを目的にする場合が多い。戦死者を弔うためのお寺というのはあまり例がないので、北条時宗は心根がやさしい人のような気がします。
- 和田
- 円覚寺のご本尊は、仏殿に安置されている宝冠釈迦如来像ですね。

宝冠と胸飾りがゴージャスな宝冠釈迦如来像
- 村松
- そう、和田さん、ここの宝冠釈迦如来像、今までご覧になってきた釈迦如来像と何か違った点に気づかれましたか?
- 和田
- はい、お釈迦さまは悟りをひらかれた如来なので、装飾品などをつけず質素な姿で表現されますよね。でもこの釈迦像は宝冠をつけているし、まだ修行中の菩薩像みたいに胸飾りをつけていてゴージャスだから、最初に見たときは観音菩薩像かと思いました。

頭上に光り輝く宝冠
- 村松
- そこがまさに宝冠釈迦如来の特徴で、この像は釈迦如来像であると同時に廬舎那仏でもある、という表現なんです。
中国で最先端の仏像表現
- 和田
- えっ、釈迦でもあり廬舎那仏でもあるって…どういうことですか?
- 村松
- もともと仏教は釈迦が開いた宗教ですが、そこから派生した大乗仏教が発展していくと、『華厳経』という経典の中に宇宙全体を守る廬舎那仏という仏さまが登場するんです。廬舎那仏はサンスクリット語でヴァイローチャナ、日本語で「光輝く仏」といった意味になります。中国で唐から宋にかけて広まった禅宗は『華厳経』の思想に近く、「釈迦と廬舎那仏は異名同体である」という考えが生まれたんです。そこで釈迦に宝冠を被せ、瓔珞という胸飾りをつけることで廬舎那仏の輝きを表すという宝冠釈迦如来像がつくられることになりました。
- 和田
- ということは、円覚寺の宝冠釈迦如来像も中国の影響を受けた仏像なんですか?
- 村松
- まさしくその通りです。円覚寺は宋の禅僧・無学祖元を招いてつくられた寺院なので、中国の禅宗文化が取り入れられました。

観音像のように長く豪華な胸飾り
- 和田
- この宝冠釈迦如来像は、完成当時、中国で最先端の仏像表現だったわけですか?
- 村松
- 最先端と言っていいと思いますね。円覚寺が創建されたとき、お隣の宋では禅宗が最先端の仏教で、それがそのまま鎌倉に入ってきたんです。胸飾りは観音像もつけていますが、この像の飾りはそれより更に長く豪華で、廬舎那仏の輝きを表しています。仏像が身につけている衣装(袈裟)を法衣とも言いますが、坐像の場合、台座から法衣の裾を垂らしている「法衣垂下」も宋代に流行った表現です。

台座から法衣の裾が滑る落ちる要素もエレガントだ
- 和田
- たくさん飾りをつけていても、顔の表情や裾の表現が綺麗で、エレガントな雰囲気がありますね。
大火を潜り抜けた宝冠釈迦如来像
- 村松
- ただ、この釈迦像は頭部だけが鎌倉時代のオリジナルで、体部はのちに補修されたものなんです。
- 和田
- 釈迦堂自体も新しい感じがしますが、火事などの被害に遭ったのでしょうか?
- 村松
- その通り、永禄6年の大火で本尊の頭部だけが救出されたのですが、補修された体部も建立された当時のままの表現だそうです。

- 和田
- 宝冠釈迦如来像は、円覚寺のほかでも見られるんですか?
- 村松
- 禅宗寺院で見られます。ただし、宝冠が取れている像が多いんです。宝冠釈迦如来像の髪の毛は、一般の釈迦像のように螺髪と呼ばれる巻き毛ではなく、宝髻と言って長い髪をお団子状に結っています。もしどこかで髪を高く結いあげている釈迦如来像を見かけたら、「もとは宝冠釈迦如来像かもしれないな」と推測してみてください。それと安置場所ですが、宝冠釈迦如来像は山門に置かれることが多いんです。
- 和田
- なぜお釈迦さまがお寺の門にいるんですか?
- 村松
- 山門は「門」と言っても建物で、上の部分はお堂になっています。禅宗寺院ではそのお堂の中央に宝冠釈迦如来像、その周辺に十六羅漢像とか十八羅漢像が配置されていることが多いですね。
- 和田
- 円覚寺の宝冠釈迦如来像はお寺の本尊として仏殿に収められ、両脇に2体の仏像が置かれていますね。

正面から見て右下に控える帝釈天像
- 村松
- はい、本尊の左右の仏像を脇侍と言いますが、円覚寺本尊の脇侍は梵天像と帝釈天像です。

梵天像
- 和田
- この円覚寺の宝冠釈迦如来像は大火を潜り抜けて、700年以上戦死者の霊を弔い続けていらっしゃるのですね。今回は禅宗ならではの像を拝観しましたが、禅宗には仏像づくり以外でもほかの宗派とは異なる特徴があるんですか?
トイレもお風呂も修行のうち
- 村松
- 修行の決まりごとがきちんと整っていることが、一つの特徴かもしれません。もちろんどの宗派も修行は大切にしますが、禅宗では日々の生活すべてが修行で、起床や食事、就寝時間や坐禅の時間などが「清規」という規則できっちりと決められています。

- 和田
- 食事や入浴の時間も修行ということですか?
- 村松
- そう、禅宗寺院は浴室とトイレも修行する上で重要な建物として認められていて、そこにも仏さまがいらっしゃるんです。
- 和田
- 修行するお坊さんたちも気が抜けないですね。
- 村松
- そうですね。それと、禅宗はその寺院の初代住職を非常に大切にして、その姿を仏像や絵画に残すんです。それを頂相と言いますが、円覚寺には初代住職を勤めた無学祖元の頂相彫刻があるんです。

開山堂へ向かう
- 和田
- 仏さまだけでなく、お坊さまの像もつくられるんですね。
- 村松
- そう、それもご本人そっくりにつくって、あたかも生きていらっしゃるかのように毎日食事を運んだり、お身ぬぐいをしているんです。
- 和田
- 円覚寺にはたくさんの建物がありますが、どちらにいらっしゃるんですか?
- 村松
- 開山堂で、「開山」とはお寺の創始者という意味です。次は開山堂に行って、無学祖元の頂相彫刻を拝観しましょう。
──続く──
今回訪ねたお寺
【円覚寺(瑞鹿山円覚興聖禅寺)】
鎌倉時代後半の弘安5年(1282年)、時の執権・北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師によって開山された臨済宗寺院。国家鎮護、禅の普及とともに、蒙古襲来による戦死者を敵味方の区別なく平等に弔う目的で発願された。幾度か火災に遭いながらそのたび再建され、現在も創建以来の七堂伽藍を伝え、坐禅会や法話会などが開かれている。

今回拝観した仏像
【宝冠釈迦如来立像】
円覚寺の本尊。
弘安5年(1282年)仏殿創建時に制作。像高260cm 木造 漆箔 玉眼
仏教の開祖・釈迦と『華厳経』の教主である廬舎那仏が「異名同体」である、という禅宗寺院独自の解釈でつくられた。基本は華美な表現をしない釈迦像が、宝冠や胸飾りをつけた姿で制作されている。

村松哲文先生の「拝観ポイント」
鎌倉時代の仏像と言えば運慶や快慶の像をイメージする方も多いかと思います。特に運慶は鎌倉幕府と強いつながりをもっていました。しかし、その鎌倉幕府ゆかりの寺院に、中国・宋の影響を受けた仏像が残っています。禅宗の一つである臨済宗・円覚寺に安置されている宝冠釈迦如来像です。光り輝く豪華な釈迦像と対面して、中国の影響が像のどこに表現されているのか探してみてください。
和田彩花さんの「拝観ポイント」
仏像は大きく分けて如来、菩薩、明王、天部と4つの種類に分けられ、その違いを覚えて拝観すると、楽しみも親しみも増します。でも、なかには「例外」的な仏像もあって、円覚寺の宝冠釈迦如来像もその一つです。本来は衣だけまとった質素な姿の釈迦如来像が宝冠や飾り物をつけていて、一見して観音菩薩像かと思いました。エレガントで美しいお釈迦さまですので、ぜひ会いに行ってほしいです。