【対談】作家・川端裕人さん×『広辞苑』編集者・平木靖成さん

「色覚」をめぐる言葉とその変遷

岩波書店『広辞苑』編集者の平木靖成さんは、P型(1型)というタイプの少数派の色覚の持ち主であり、当事者団体でもある「NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構〈CUDO〉」では色の検証などに携わっています。幼い頃からの色覚体験、「色覚」に関する言葉についての思いなど、「集英社学芸の森」の連載「いろいろな人のいろいろな色~色覚多様性をめぐって~」の著者・川端裕人さんとお話しいただきました。

<撮影=石井康義(千代田スタジオ)>


平木靖成さん(左)と川端裕人さん(右)。

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■自分の色覚の仕組みを知る

―――平木さんは、NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構〈CUDO〉で色覚少数派当事者として、色の検証などに関わっていらっしゃいます。その経緯を教えてください。

平木
2003年に伊藤啓先生(理学博士、CUDOの設立者の一人)が毎日新聞で「色の見え方は人さまざま 色盲と色弱のはなし」という連載をされていたのを、実家で母が切り抜いてくれていたんですが、それを読んで目からウロコだったんですね。色覚はこういう仕組みだったのかと。
私は伊藤先生と同じくP型(1型)強度というタイプなのですが、色覚について誰かと共通の感覚がもてるという体験が初めてだったので、すごく印象的なことでした。
それまでも、自分が色覚異常、色盲だということは特に隠さないで親しい人にはしゃべっていたのですが、それ以降、自分の特性を具体的に説明できるようになったので、カミングアウトではありませんが、より積極的に周囲に話すようになりました。
時がたちまして2014年、たまたまCUDOさんのホームページを見て、検証員募集というのがあって、これは当事者として何かお手伝いできるのかなと思い申し込みフォームに書いた。それが最初ですね。今は賛助会員という立場です。
川端
平木さんの年齢(1969年生まれ)だと、自分が当事者だと周りに気軽に言えた人と言えなかった人が、たぶん半々ぐらいに分かれていると思います。さらにもっと前だと、色覚異常と周囲に話すと不利益になることが多くて、親友にだけ明かすとか、できるだけ分からないようにしているという人が多かったのですが、平木さんが割とオープンにする側になったのは、何かいきさつはあったのですか。

平木
色覚異常だと最初に分かったのは、よくあることだと思いますが、幼稚園で絵を描いたときに柴犬を緑色に塗って、先生から話がいったのか、母が「何だ、これは」と。この子は目が人と違うということで、いろいろ気を遣ってくれるようになりました。
その後、小学校1年生と4年生のときの色覚検査で石原式色覚検査表を見せられ次々にページをめくられ、教室の衆目の中で「分かりません、分かりません」と答えてクラスメートからは「何で分からないの?」と言われる経験をして。そんな中で色盲という言葉を知って、「俺、色盲だから」みたいに普通にしゃべるようになっていました。
川端
石原表の検査を受けることで、仮に何かネガティブに感じる要素があったとしても、そんなにマイナスにならなかった。
平木
ええ。
川端
本当に人によるんですよね。ものすごく嫌だった人もいる。
平木
幼稚園でのことがあったので、小学校で石原表が分からなくても、自分自身は当然だろうなと思っていました。自分の中でそう言語化して理解できていたかは分かりませんが。
川端
お母さんを含めて、周りの受けとめ方がネガティブではなかったのでしょう。
平木
いや、母の内心は分かりませんけどね。近年になって色のシミュレータアプリができ、色覚少数派の見えている世界を疑似体験できるようになって、母に見せました。私としては「俺がこんな風に見えてるっていうのを、やっと伝えられるようになった!」と嬉しくて見せたのですが、「こんな汚い色しか見えてないの」と泣いていました。
(編集部注:シミュレーションができるアプリは、さまざまなタイプの色覚の「色の区別のしづらさ」を疑似的に体験できるようになっているが、2色覚者の見ている色と色の差の近さを体験するにあたり、あえて地味な印象の色を選択しており、実際にその色に見えているわけではない。「いろいろな人のいろいろな色」第14回参照
川端
僕もいろいろな人から話を聞いたのですが、お母さんがやきもきしているケースはありますね。ただ、表向きはポジティブに受けとめようとしている人が多いですね。
今、成人している当事者に聞くと、親が全然深刻に捉えていないようだったから自分も特にそう感じていなかった、という人が結構いるんです。親の内心の部分までは、子どもですしなかなか察するまではいかない。だから、お母さんたちと色覚の話をするとき、ポジティブに捉えることはすごく大事なことだと思いますよ、と言うようにしています。
ところで、平木さんは編集者という職業上、色校正(編集部注:出版物の編集作業のひとつで、印刷での色の刷り具合を校正紙でチェックすること)などでトラブルがあったり、工夫が必要というようなことはなかったのですか。
平木
自分は色校正は全く関知しません。それもオープンにしてしまって、自分は色校分からないので、あとは決めてくださいみたいな形でやっています。
入社したときに宣伝部に配属されたんですけれども、当時の岩波の宣伝部は、新人は広告を作る仕事から始まっていました。最初は新聞広告のサンヤツという白黒の小さいスペースのものから担当し、大きいものもだんだん作るようになっていく。
配属された初日に当時の上司から、「いずれはこういうカラーのパンフも作ってもらうことになるから」と話をされて、「私は色覚異常なんですけど」と言ったら急にバタバタ慌て出されてしまいまして(笑)。当時は入社試験に色覚検査もあったんですけどね。
それが一番の原因か何か分かりませんけれども、すぐに宣伝部から辞典部に異動になって、それ以降は色校みたいなもの、表紙のデザインとかそういうものはお任せしますというか、何も口出しせずに来ています。


深い赤と黒はほぼ同じ色に見えるため、
赤字で書いたり赤で印刷されたりした箇所は
赤いフィルムを重ねて確認することもあるという。
(フィルムを重ねて見えなくなれば赤い色ということ)

■『広辞苑』での「色覚」関連項目の変化

川端
平木さんはいつぐらいから『広辞苑』の編集をやっていらっしゃるのですか。
平木
広辞苑編集部があるわけではなくて、辞典編集部で広辞苑を作っています。といいますか、辞典と名の付くものは何でもやるのが辞典編集部なんですけれども、1992年入社で、1993年から辞典編集部にずっといます。
川端
『広辞苑』第一版(1955年刊行、最新版は2018年刊行の第七版)からの各版の色覚関係用語の項目を送っていただいたんですけど、これがすごく面白くて。時代を反映しているんですよね。
最初の頃は明らかに、単純に間違っている知識が載っていたり。たとえば第一版では、【色覚】の項目に「脊椎動物は一般に、赤・橙・黄・緑・青・菫を区別し得る」と書いてあるけれども、これに当てはまるのは実際には人とお猿さんぐらいなんですよね。同時に、この版では【色弱】のところで「色盲ほど烈しくはないが、健全な眼よりは~」という表現が出てきている。つまり、「色盲」も「色弱」も健全ではないと、認識として明確に示されているわけですね。あと最後に「遺伝的関係があって不治である」と。本来は治さなければいけないのに治せないという、非常にネガティブなメッセージがあったり。
1955年は我々が生まれる前ですからね。そういう時代だったのだろうな。さぞ住みづらかっただろうという気がいたしました。
平木
『広辞苑』では、第四版(1991年刊行)から第五版(1998年刊行)で色覚関係の項目の書き方ががらっと変わっています。私は1992年入社ですけれども、辞典部に異動になってしばらくして当時の上司から「平木君は色盲だよね。色覚異常だよね」と言われて、「この記述を見てどう思う?」とか、「実際にはどう見えるの?」とか聞かれた記憶があるんです。おそらく外部から何らかの指摘を受けて、このままではいけないと判断され、大幅に直さなければいけないということを辞典の部課長で認識したのでしょう。
川端
第四版では、【色盲】「色覚の欠如(全色盲)または不完全なもの(部分色盲)」という表現があったりしますが、第五版では関連項目含めて「不完全」という記述はなくなっていますね。
(編集部注:最新版である『広辞苑』第七版の【色覚異常】の項目は同第五版をほぼそのまま引き継いでおり、「色彩の弁別の異常。先天性と後天性とがあり、先天性色覚異常は日本では男子の約五パーセント、女子の約〇・二パーセントに発現。一色覚(全色盲)・二色覚(部分色盲)・異常三色覚(色弱)に分類されるが、一色覚は極めて稀で多くは非遺伝性。赤色または緑色の弁別障害が普通で、いずれも赤と緑とを混同する。独自の色覚を持ち、日常生活には支障のないものが多い。ドルトニズム。」とあり、【色盲】【色弱】項目には「「色覚異常」参照。」とある)


『広辞苑 第七版』(岩波書店/2018年刊)

次にバージョンを変えるときには、もうちょっと違う説明もできるのではないかな。「色覚」=「色を感じる感覚」と言ってもいいのではないかと思うんですけど。
たとえば味って、僕らはそう感じているものはこういう味なのだというのと同じように、色もこう感じているのだからこういう色なのだというニュアンスが、そこからにじみ出るといいかなと思っていて。【味覚】だと、「味覚器官に化学物質が刺激となって生じる感覚」とありますね。こういう言い方が許されるのだったら、「網膜に光が作用することによって生まれる感覚の一つ」とか。
平木
「光が刺激したことによって」とか。
川端
感覚のうち、色として感受されるものみたいな。でも、そうしたら「色とは何ぞ」というところで、ちゃんとフォローしなければいけなくなってしまうんですよね。
平木
そうなんですよね。
川端
まさに堂々巡りになってしまいますね。
平木
言葉の意味をどう説明するかは難しくて。『広辞苑』は百科事典と国語辞典を合わせたジテンで、コトテン(事典)と呼ばれる百科事典的な書き方とコトバテン(辞典)と呼ばれる国語辞典的な書き方はアプローチが異なるのですが、百科事典では科学的に定義ができても、日常的な言葉の捉え方を説明すべき国語辞典ではそれができない。国語辞典的な書き方であっても、味とか色とか音とか五感で感じる言葉については、自分と他人の感じ方は共有できないので、「甘い」は「砂糖をなめたときの味」、「赤い」は「血や炎を見たときの色」など、その感覚をもたらす原因を書くしかない。一方、「味」や「色」などという言葉は、生理学的・光学的には書けても、なかなか国語辞典的には書きようがないところがあります。
川端
味覚だと「砂糖をなめたときの」みたいな言い方すら、誰にとっても同じ感覚か難しいところがありますよね。色覚だと、血を見たときに感じる色といっても、個々人で感じ方が違うかもしれないし、そもそも血が常に一貫して赤いかどうか問題があります。静脈血だったら赤黒いだろうし、時間がたてば赤さは失われて、もっとくすんだ色になるだろうし。
平木
我々から見ると、動脈血でもたぶん濁ったというか、茶色に近い色に感じているのでしょう。

■色名を記憶して絵を描く

平木
これは以前、CUDOの「ひとつの色世界2021」というイベントのときに描いた絵と、元にした写真です。


画像提供/平木靖成

このときは久しぶりに色覚多数派(3色覚)が感じているであろう色を意識せず、自分が感じたままの色を塗りました。
川端
写真と比べると、お節料理の紅白かまぼこが3色覚の目には水色に塗られていたり、そのあたりが3色覚とは違う感じ方をされていると分かりますね。
平木
色鉛筆に色の名前が書かれていない場合、一度箱に戻してしまうと、さっき取ったのはオレンジだったかもしれないけれども、今は黄緑を取ってしまっているかもしれない、となったりします。
川端
多数派の3色覚の中で作られた色名のシステムに合わせろと言われているのだから、分からなくなって当然なわけで、画材もそれを基準に作られているじゃないですか。それが本当、面倒くさいところですよね。
平木
自分が3色覚の人に不自然さを感じさせないように絵を描くとなると、色名は記憶するしかないので。柴犬は茶色なんだ、樹皮は茶色なんだ、でも、樹皮と同じ色に見えてもツバキの葉っぱは緑なんだと一つ一つ。同じようにお節のかまぼこは紅白なんだ。じゃあ、赤や桃と書いてあるので塗ればいいやと。要は、言葉から色を選んでいるだけなんです。
川端
でも、全て言葉から選んでいるわけではなくて、3色覚の色使いと一致する部分もあるから(編集部注:P型の場合、青や黄は3色覚の感覚と一致する部分が多い)、一致する部分と言葉で選んでいる部分とが、本人でもある程度の知識がないと分かりにくいじゃないですか。
平木
分かりにくいですね。
川端
だから、3色覚の見え方ですでに作られてしまったこの世界をサバイバルするためには、知識も必要なのかなと思ったりもする。
平木
「CUD友の会」(CUDO賛助会員の有志の会)で、当事者の子どもの保護者の方と話をするような場では、「何でもいいから、これは何色だよと教えてあげてください」と言っています。子どもの側にも、「信用できる人であれば、これは何色、これは何色と聞いて覚えておくと、意外と便利だよ」みたいな話をするんです。
もちろん、美術作品ならどんな色で描いてもいいのだと思います。文学作品ならば、文法が破綻していても独自な文学的表現だと言えるみたいな、それと同じで。だけど、日常的なコミュニケーションを取るためには、やはり多数派がどんなものかは知っておいたほうが損はない。
川端
これが世にいう緑というものだとか、世の中ではこれは赤というらしいとかは、知っておいたほうが日常生活の中で不便が少ないわけですね。こういうのは、当事者同士の情報交換があることの大切さですね。
とはいっても、学校の先生には、子どもが緑の柴犬を描いたら怒るとか、そういうのはやめてほしいです。
平木
それはやめてほしいですね。
川端
美術の時間などで、それが自分の世界を描くようなテーマのときには、今は怒る先生はさすがに少ないと思うのですが、見たとおりに描きましょう的なテーマのときがあるじゃないですか。そのときに樹皮を緑に塗ったりすると、ふざけているのかと思う先生が今でもいるらしいのです。
平木
そこは伊藤先生の毎日新聞の記事にもありましたが、学校はちゃんと勉強してほしい。
川端
本当ですよね。
平木
自分も子どものときは不自由さを感じたり、「これ違うよ」と友達から笑われたりという経験があるわけですが、ある年齢以上になると何かに不自由したっていう記憶があまりないのです。世の中に適合するように、知恵を付けてしまった。
川端
それは本人の努力が大きいでしょうけど、周りの環境もあるのでしょうね。多数派との細かい不整合があっても、美術の先生がそれぐらいのことを気にしない人であれば何も言わずにスルーだったかもしれないし。

■よく使うのは「色覚少数派」

―――川端さんの連載「いろいろな人のいろいろな色」第8回<色覚をめぐる言葉の整理>で、色覚をめぐるさまざまな言葉について書いていただいています。「色覚異常」というのは今も診断名として使われているとのことです。「色盲」「色弱」は眼科では現在では使われていないとのことですが。

平木
伊藤先生の新聞連載のタイトルは「色盲と色弱のはなし」でしたね。
川端
日本眼科学会が眼科用語集を改定したのが2005年度だったと思いますので、連載されていた頃(2003年)はまだこれが正式名称だったのでしょう。眼科用語の改定のときの理由には、当事者団体が嫌がったのがきっかけと書かれています。
一方で、本当に難しい問題ですが、言葉を変えるときに、当事者の中でも、「自分は色盲(という言葉)でいいんだ」と言っていた人たちはいました。「自分はこれでいいのに。むしろ変えないでほしい」と。
平木
私は言いやすさとして、「色盲」を今でも使います。いろいろ説明するのが面倒くさいときに。ただ、時代的に通じにくくなってきていますかね。色盲の「盲」が、世の中が白黒に見えていると勘違いされがちなので、白黒ではない2色覚などのいわゆる「色覚異常」「色覚障害」を「色盲」と一言で言うと、分かってもらいにくい面もあります。だから、「色盲」が嫌な人もいれば、私みたいにそれでいいという人もいるということです。
川端
20世紀の最後の頃には「色覚特性」という言葉があったり。保健の先生とか養護教諭の世界では一時よく使われていたので、今でも使うことは結構あると思います。「色覚障害」もそうだし、「色覚異常」もそうだし、「色覚マイノリティー」とか「色覚少数者」とか、いろいろな言葉がそれぞれの文脈で違っていますが、こういうのは長いこと見ていると、ある程度収束していくんですかね。
平木
私は「色盲」という言葉も使っていますが、大抵「色覚少数派」と自分を表現しています。「色覚異常」も、「異常」という言葉がイヤという方も多いようですが、私は慣れてしまっているだけなのかもしれませんが、今も特に抵抗なく使っています。

「色覚障害」については、また次元が違うと思うんですけれども、ある新聞記事の見出しで「色覚障害者」と使われているのを見たとき、「俺、障害じゃないよ」とイラっとしたんです。それなら色覚異常のほうがいいと。
川端
僕の考えとしては、「色覚障害」と「色覚異常」は言っていることが違って、「色覚異常」は診断名であって、「色覚障害」は色覚に関して何らかの解決すべき困りごとを持っていることであり、そういったことを持っている人をあえて言うなら「色覚障害者」でしょうと。
特に不便さを感じていないならば障害ではないわけですが、でも、そういうことではなく、単に「色覚異常者」の言い換えとして「色覚障害者」が使われるようになったようなところもありますね。21世紀の初めぐらいからですかね。
いまよく使われている「色覚多様性」という言葉が提案されたのは、2017年の日本遺伝学会の、新しい遺伝学の用語集の中でのことですね。それが100%受け入れられているわけではありませんが、遺伝学の言葉として色覚多様性という概念を出してきた。
背景としては、いろいろな方面で実際に多様性についての認識が熟成してきたこともあると思います。
平木
それで言うと、色覚は「多様だよ」と言われて傷つく人は、たぶんいないですよね。たぶんであって、勝手に決めつけてはいけないのかもしれませんが。

■「コンプレックスはないと思っていたけど」

平木
日常生活を送る中で、そりゃ分かりづらいことはたくさんあるんですけれども、それほど深刻でもなく適当に生きてきてしまったなと。たとえば電気機器の充電が終わったらランプが赤から緑になるとか、そんなのは全然分かりませんけれども、3時間たったからいいかというそんな感じでした。
幼児の頃は、母からはよく「靖成はちゃんと文字が読めてできているからいいけども」というような言い方をされていました。文字や言葉を覚えるのが早くて、色が分からなくても言葉で理解できていたので、困り具合が少なかったということはあったのだと思います。ですのであまり不自由なく過ごして、学校やクラスでもいじめられていたわけでもないので、カミングアウトすることに抵抗もなく、コンプレックスなく過ごしてきたと自分で思っていたんです。分からないなら「分からない」と言ってしまっているし。
でも、CUDOの仲間たちというか同類の人たちと出会って、何の気兼ねもなく色について普通に話ができる。これは思いがけず嬉しいことでした。
それから、D-15でしたか。
川端
パネルD-15テストですね。
(編集部注:「いろいろな人のいろいろな色」第9回参照
平木
あれをCUDOで試す機会があったんですけど、どうせちゃんと並んでない……ちゃんとというか、色覚多数派に見える通りのグラデーションには並んでいないだろうと思いながらやってみて、「はい、できました」と(理事の)伊賀さんに見せたら、「ああ、きれいに並べましたね」と言われたんです。それが涙が出るほどうれしくて。コンプレックスはないと思っていたけれども、多数派との違いにあきらめたり悔しかったり感ずるものはあったのかと、CUDOと出会って思いました。
当事者同士がつながれる場所があるというのは、自分が子どもの頃には考えられないことでした。「色覚異常はどうやって治すか」なんて言われていた時代でしたからね。
プロフィール

川端裕人(かわばた・ひろと)

1964年生まれ。小説家・ノンフィクション作家。東京大学卒業後、日本テレビ勤務を経て作家活動に入る。色覚に関する著作に『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)、『いろ・いろ 色覚と進化のひみつ』(中垣ゆたか・絵/講談社)がある。<集英社学芸の森>で「いろいろな人のいろいろな色~色覚多様性をめぐって~」を連載中

平木靖成(ひらき・やすなり)

1969年生まれ。編集者。東京大学卒業後、1992年岩波書店入社。1993年より辞典編集部に所属。『広辞苑』第5版・第6版・第7版のほか、『岩波国語辞典』『岩波世界人名大辞典』などの編集に携わる。三浦しをん著『舟を編む』(光文社)の取材協力者の一人である。「辞典」「ことば」などをテーマにした講演活動も行う。

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