『孫と遊んで若返る!
老化予防82の秘密』
池田紅玉
学びながら、伝える。人生後半の新しい役割
人生の折り返しを迎えるころ、ふと「この先の人生を、どんなふうに歩いていこう」と考える瞬間があります。何かを始めるにはもう遅いのではないか、と感じる人もいるかもしれません。
けれど、人生の後半には、若いころとは違う豊かさがあります。長い年月の中で身につけた知識や失敗した経験。その一つひとつが、これから誰かの役に立つかもしれません。
長年、英語教育に携わり、今もオンラインで講師として教えながら、自らも学び続けている池田紅玉先生に、「教える」ということ、そして人生後半の新しい学び方について伺いました。

池田紅玉先生
◇誰もが持っている「教える」力
――英語を教える仕事は、いつごろから始められたのですか。
英語を教え始めたのは、もう50年以上前になります。塾の講師や家庭教師から始まり、大学で教え始めたのも45年以上前です。
これまで小学校、大学、生涯学習センターなど、さまざまな場所で英語教育に携わり、1万人を超える方々に英語をお伝えしてきました。
なかでも印象深いのは、筑波大学附属小学校で小学2~3年生の研究授業を担当したことです。子どもたちが声を出し、手を動かしながら楽しく英語を学べるよう工夫しました。その経験は、現在取り組んでいる「紅玉式 英語そろばん」にもつながっています。
専門である英語音声学や朗読、スピーチコミュニケーションなどに関する著書も35冊を超えました。大学の教壇を離れた今も、オンライン講座を通じて、子どもから大人まで幅広い世代に教えています。
昔は「教える」といえば、学校や教室など決まった場所へ出向くのが当たり前でした。今はパソコンやタブレット、スマートフォンがあれば、自宅にいながら遠くの人ともつながることができます。自分の経験や得意なことを生かして、人に何かを伝えられる。便利な時代になりましたね。

『ちびまる子ちゃんの英語教室』
紅玉先生が、生涯実践している楽しく学ぶ英語の参考書。姉妹本『小学生英語』と合わせてロングセラーとなっている。
――しかし、「教える」というと、専門家でなければできないという印象があります。
私は、必ずしもそうではないと思っています。
自分が知っていること、試してみてうまくいったこと、ときには失敗から学んだことを、まだ知らない人に分かる形でそっと手渡す。それも立派な「教える」ことではないでしょうか。
どんな人の歩みの中にも、たくさんの“教材”があります。パソコンでも、料理でも、旅の準備でも、暮らしの工夫でもいいのです。
「こんなことが誰かの役に立つのかしら」と思うような経験を、実は今まさに必要としている人がいるかもしれません。
人生の後半は、新しいことを学ぶだけでなく、これまで身につけてきたものを誰かに分ける楽しさも味わえる時期なのだと思います。

◇家庭の中にも「教える」はある
――先生のご子息は、バイリンガルだそうですね。どのように英語を身につけたのでしょうか。
息子は小学校に上がるとき、日本にあるインターナショナルスクールに入学しました。当時は今ほど情報もありませんでしたが、これからは英語が大切になるだろうと考えて選びました。今思えば、夫と私にとっては「覚悟の選択」でした。
その後、小学校の途中から高校まではアメリカで学び、大学は日本へ。卒業後は再びアメリカのロースクールで学び、弁護士資格を取得しました。現在は日本で弁護士として働いています。
日本とアメリカの両方で学び、英語と日本語の両方を使えるようになりました。もちろん、本人の努力があってこそです。環境を整えれば、すべてが思い通りになるというものではありません。
それでも、英語を生活で使う言葉として感じられる環境を作ることができたのは、英語を習得するための支えになったのではないかと思っています。
子育てを振り返ると、環境の影響は言葉に限った話ではありません。人は誰かと関わる中で学び、身につけたものを、今度は自然に誰かへ伝えていくものなのですね。
――先生のご専門が英語だったから、お子さんも英語が得意になった、という単純な話ではないのですね。
そうですね。英語についてはインターナショナルスクールに通っていたので、基本的には学校にお任せしていました。その分、家庭ではむしろ日本語を大切にしようと意識しました。
本を読むこと、きちんと挨拶をすること、年上の人への言葉遣い、季節の行事に触れること。そうした何気ない日々の積み重ねが、その人の土台になると思っていたからです。
また、週に何度か近くに住む私の両親に預かってもらい、日本の昔の遊びを教えてもらうこともありました。母は言葉遣いやしつけには厳しい人でした。でも孫には、何かを教え込むというより、一緒に遊びながら自然に所作や言葉遣いが身につくように接してくれていました。
今思えば、それも大切な“教える”時間だったのですね。
年長者から若い世代へ、暮らしの中で自然に受け継がれていくものがあります。それは家族だけでなく、職場や友人同士、地域の集まりでも同じです。誰かの何気ない一言や、そばで見せてくれたやり方が、いつか別の誰かを支えることになるかもしれません。
そして今は、私自身が祖母になりました。近くに住む孫と遊んでいると、「教えるつもりはなくても、伝わっていくものがあるのだな」と感じます。一方で、私が孫から教わることもたくさんあります。
世代を越えて、教えたり教えられたりする。その時間を、今はとても大切にしています。

◇教えることは、自分も学び続けること
――教えることは、家庭や学校だけでなく、いろいろな場面にあるのですね。
そう思います。そして、教えることは、自分自身が学び続けることでもあります。
私は今、オンラインで英語やAIの使い方、動画作成を教えています。同時に、「オンラインで、どうすればもっと分かりやすく伝えられるか」という教え方そのものも学んでいます。
45年以上の教師生活のほとんどは、対面形式の授業でした。ところがコロナ禍をきっかけにオンライン授業が身近になり、私自身も新しい教え方を学ぶことになりました。
画面越しですから、対面とは違った工夫が必要です。パソコンの操作だけでなく、話し方、資料の見せ方などオンラインならではの伝え方を、今も試行錯誤しています。例えば、相手に合わせて分かりやすく話すこと、一方的に話さず、きちんと聞くことは重要です。特に大切なのは、言葉以外のコミュニケーションで、笑顔でうなずくこと、カメラを目の高さにすること、光の向きを調節することなど、たくさんあります。
「もっと上手に伝わる方法はないかしら」と考えていると、自分自身の中にも新しい風が入ってきます。
誰かに教えるために、自分も学ぶ。そして学んだことを、また誰かに手渡していく。その循環が、毎日を明るくしてくれるように感じています。
――これから何かを教えてみようと思っている人へ、メッセージをお願いします。
私はたまたま英語を専門として教えてきましたが、振り返ってみると、教室だけが学びの場ではありませんでした。周囲の人との関わりや日々の暮らしもまた学びであり、それが今の「教える」ことにつながっています。
新しいことを学ぶのは楽しいものです。でも、自分が身につけてきたことを誰かに伝えることには、また別の喜びがあります。
自分の経験が、誰かの明日を少し軽くする。自分の言葉をきっかけに、誰かが一歩を踏み出す。その手応えは、人生の後半をあたたかく照らしてくれるかもしれません。
歩んできた道は一人ひとり違います。だからこそ、誰の人生にも、その人だからこそ手渡せる知恵や経験があるのではないでしょうか。
これまで歩いてきた道のりそのものが、これからの力になる。
いくつになっても元気に学び、これまで受け取ってきたものを、今度は次の誰かへ手渡していきたいですね。
イラスト/太田由紀


池田紅玉(いけだ・こうぎょく)
本名・池田和子。英語の生涯学習を支援する「紅玉式」代表。カリフォルニア州立大学大学院修了。東横学園女子短大(現東京都市大学)助教授、ハーバード大学客員研究員を経て、帰国後は青山学院大学英語英文学科、日本大学英文学科、学習院生涯学習センターなどで教鞭を執る。現在は著述業、講演活動、英語そろばん&朗読コンテストを主宰。専門は英語音声学、英語朗読法、バイリンガル子育て。「紅玉式 英語そろばん」開発者。7万部のベストセラーとなった『満点ゲットシリーズちびまる子ちゃんの英語教室』(集英社)他著書多数。
紅玉式 公式サイト https://ikedakogyoku.com/
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