〈刊行記念インタビュー〉

『ほんまに「おいしい」って何やろ?』

村田 吉弘

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村田吉弘さん

村田吉弘さんインタビュー

『ほんまに「おいしい」って何やろ?』(9月26日発売)

この本の著者は、京都の料亭、菊乃井の三代目主人、村田吉弘さん。京都・八坂神社の近く、高台寺の深い緑につつまれて静かに佇む菊乃井本店は、大正元年に料理屋として創業し、15年連続ミシュラン三つ星に輝く日本料理の名店です。伝統的な味を守りながら、新しい味を生み出し続けてきました。
一方、村田さんは、2004年に「日本料理アカデミー」を設立し、2013年の「和食」のユネスコ無形文化遺産への登録に尽力するなど、日本料理を世界に発信するリーダー的存在としても知られています。
そんな村田さんの料理人生と料理哲学の集大成ともいうべき新刊『ほんまに「おいしい」って何やろ?』が集英社から刊行されました。この本には、フランスを放浪した若き日の失敗談から、京都の先達たちの教え、そして辿り着いた「おいしい」の神髄までが綴られています。
インタビューでは新刊とともに、村田さんが食の未来のために取り組む注目のプロジェクトについても伺いました。「シーベジタブルファーム」構想に、新たな鮮度保持技術である「ZEROCO(ゼロコ)」への支援など、村田さんの歩みは止まりません!


食の未来を熱く語る村田さん ©畑中勝如

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◆80歳のおばあちゃんに「これも京料理」と言ってもらえるかを考える

――新しい料理を考えているときが一番楽しい、と書かれています。G7広島サミット2023の料理を担当されたときは、地元の食材を使った「冷やし広島レモン味噌汁」や、お好み焼きを取り入れた日本料理を考案し、首脳たちのみならず、広島の人たちを喜ばせました。衰えることを知らない食への情熱の原動力はなんでしょう?

村田
結局ね、自分がうまいもんを食べたいんですよ。料理人としては、食べるのが好きなのは絶対条件でしょうね。フランス料理を食べてもイタリア料理を食べても、どうやってできてるんやろうとか、こうやったほうがもっとおいしくなるんちゃうかとか、いつも考えているんです。
そうやって考えてつくった料理に、お客さんからお金をいただいて、おいしかった、ありがとうとまで言ってもらえる。何とハッピーな仕事をしているんだろうと思いますね。

――村田さんは常に新しい料理法を求め、菊乃井で修業されたことのあるレストラン「ノーマ」のレネ・レゼピ氏をはじめ、世界の一流料理人たちとも深く関わってこられました。伝統と革新のバランスをどう考えていらっしゃいますか?

村田
それが難しいんです。日本料理の伝統を守るには、革新を続けなければいけないんですが、無国籍料理をつくってはダメなんです。その境目がどこにあるかといえば、京料理を食べてきた80歳のおばあちゃんが、「私らは知らなかったけど、こういう京料理もあんねんな」と思ってくれるかどうか。
新しい料理を出してそう思ってもらえたら、オーケーやと思います。「奇妙なもん出てきたわ」と思われたら失敗です。「妙やけど、これも京料理やな」と思ってもらうためには、新しいものをつくったときに、昔からあるようなスタイルに仕立てるのが重要やと思っています。

――味は新しく、見せ方は古く、なんですね。

村田
この頃ね、見せ方を新しくする料理ってけっこうあるんです。簡単な例でいえば、平皿にはもを盛って梅肉かけて、「鱧の梅肉ソースがけ」などと言うんです。昔からある京料理の「鱧の落とし」とほとんど同じやのに、ネーミングや盛り付けで妙に新しく見せようとする。
僕のやり方は反対で、料理自体を斬新にして、見せ方は古い形を踏襲するんです。世界中の人に、日本料理はすごいなあと驚いてもらうと同時に、京都で生まれ育った80歳のおばあちゃんにも「おいしい」と言ってもらえるような料理に仕立てたいと考えています。


菊乃井本店の厨房スタッフ ©畑中勝如

◆フランス料理人になるはずが……、フランスで日本料理に目覚めた理由

――この本は、村田さんの食と職の履歴書にもなっています。跡継ぎという立場に半ば反撥し、料理人にはなるけれどフランス料理をやろうと、21歳のとき、単身、フランスに旅立ちます。初めてのチーズにワイン、異国の人の優しさと挫折……若き日の放浪記に笑い、ほろりとさせられます。

村田
お金がなくて、ソルボンヌ大学の学食に潜りこんだりしていました。当時学食は、2フラン、120円ほどだったんです。おいしかったですね。さすがフランスやと思いました。
そんなふうに通っていたソルボンヌ大学で、のちに僕、講義をしたんです。僕らが和食をユネスコの無形文化遺産に登録してもらおうと頑張っているとき、日本政府はほとんど協力してくれなかったんですが、アラン・デュカス(フランス料理界を代表する名シェフ)が力を貸してくれたんですね。フランスのホテル・プラザ・アテネのデュカスの店にヨーロッパ中のメディアを招いて、僕が日本料理を振る舞うというイベントを開いてくれました。そのとき協力してくださった一人が、高名な地理学者で、ソルボンヌ大学の学長もされたジャン=ロベール・ピット先生。ピット先生の奥さまは日本人なんですよ。
そうしたご縁もあって、後年、ソルボンヌ大学で日本料理についてお話ししました。学食を食べていた頃は、そんな未来が来るとは思いもよりませんでしたが。

――フランス料理を学ぼうとヨーロッパ武者修行に旅立った村田さんでしたが、日本料理が欧州であまりにも理解されていないと知り、むしろ日本料理への思いを強くしていきます。

村田
ちょうど僕と同じ頃に、「オテル・ドゥ・ミクニ」の三國清三(きよみ)君もパリにいたんです。彼のように「フランス料理のジャポネーズ化を考える」ということを、僕は発想できなかった。なんやかんやいっても、日本料理屋の三代目、つまり“ぼん”やったということでしょう。

――その京都の老舗店の“ぼん”のパワーやネットワークが、日本の経済や社会、文化を動かしていることもこの本でよくわかります。“ぼん”の強さとはなんでしょうか?

村田
“ぼん“はね、”ぼん“であることを卑下しがちなんです。”ぼん“はひ弱で、たたき上げの人には勝てへんって思っているんです。でも、そうやないって僕は言っています。
京都の“ぼん”ってだいたい、小さな車に乗っています。小回りが利いて走りやすいからそれで充分、というのが“ぼん”の価値観で、人から評価されたいとか偉くなりたいとはあまり思わないんですよ。その代わり、「面白いこと」だけしかやりたくない、と思うんです。だから誰も見たことがないような、斬新なものを生み出します。それから京都の“ぼん”たちは子どもの頃から仲がいい。経験もあるし、そこそこ学歴もあるようなぼんのネットワークが、文化の厚みをつくるのだと思います。


庭が美しい菊乃井本店のお部屋 ©畑中勝如

◆「おいしい」の本質は「残心」のある料理、「うまみ」がその鍵

――村田さんが交流するのは個性的な方ばかりで、京都の底力を感じます。なかでも天龍寺の平田精耕老師のエピソードは強烈で、印象に残りました。湯豆腐鍋の底の「〇(円環)」をどう解釈するか……難問ですね。

村田
天龍寺前管長の平田老師は、京大哲学科でインド哲学と仏教学を学び、ドイツに留学して哲学をさらに深められた方です。そんな偉い方に、あるとき僧堂に招待されて行ってみたら私一人。緊張しましたね。当然、老師に何か教えを頂戴するのかと思っていたら、「そんなことは考えとらん」とおっしゃる。
湯豆腐や酒をたらふくご馳走になったのですが、豆腐の入った土鍋の底に「〇(円環)」と書かれているんです。これは何の教えなのだろう……と、いまでもわかりません。でも、教えとは、そういうものなんだろうと思います。ずっと考え続けるものだということです。

――村田さんは「おいしい」とは何だろうと考え続けてこられました。日本料理は「料理3割、サービス3割、あとの4割は空気」とあります。「おいしい」はファジーの世界であり、さまざまな調和によって生み出されることがわかります。

村田
ほんまにおいしいというのは、口の中だけがおいしいのではなくて、ハートがおいしくならないといけないわけです。そのためには仲居さんの立ち居振る舞いからサービス、建物、庭、部屋のしつらえ、料理の器まで含めた、いわば総合力が関係してくるということです。

――最近は「おいしい」という言葉の大安売りで、「おいしい」が巷にあふています。それだけに、「残心(ざんしん)のある料理を作れ」というお父様の言葉が重く響きます。「残心」とは何でしょうか?

村田
ちょっと控えめにするんです。いっぱいいっぱいにしないことで、「ゆとり」や「余裕」の生まれる料理、それが「残心」のある料理です。
この残心の考え方は日本料理に限ったことではなく、日本文化全体に言えるのではないでしょうか。日本文化が求めてきたものは「節度」と「品位」だと思います。棗(なつめ)に桜の花がいっぱい描いてあるよりも、一片の花びらが描かれているほうが、より春を感じることもあるよ…という話です。

――味に関して言えば日本料理の特徴は「うまみ」にあり、「うまみ」や、うまみをベースにした「出汁」が、世界の料理に大きな影響を与えているんですね。

村田
世界のほとんどの料理は「糖質と脂質」を中心に構成されていますが、世界に一つだけ、「糖質とうまみ成分」で構成されている料理がある。それが日本料理です。だから海外の人は、ものすごく不思議がるんですよ。きれいな色をした、カロリーの低い食べ物が、なんでこんなにおいしいんやろうと。
今、世界の料理人のあいだで「UMAMI(うまみ)」は通用します。それから「発酵」の技術も世界で注目されていますね。こうした世界に類をみない食文化を持っていることを、日本人はもっと誇りに思ってほしいし、それを未来へと守り伝えていくことが、自分の使命だと思っています。


秋の懐石から「霜月の八寸」 ©久間昌史

◆お金儲けだけでものごとを判断すると、絶対に間違う

――若き日にフランスで決意した「日本料理を世界の料理に」を実現するために、京都大学の学者らと組んで料理を科学的に研究する「日本料理アカデミー」を設立するなど、日本料理のために尽力してこられました。なぜ、ご自身の店の枠を超えた活動ができるのでしょうか?

村田
誰かが言い出さないことには、ものごとって動かないんです。革命というのは一人から起こるんです。そこからだんだん広がっていくわけですが、最近は損得を考えて、言わないほうが得、と考える人が多くなりましたね。
仕事でも自分の人生でも、損得だけでものごとをはからないことが重要やと僕は思っています。損してもやらなければいけない仕事ってありますし、損得だけ、もっというとお金儲けだけでものごとを判断すると、絶対に間違うと思います。

――そうした村田さんの思想は、「料理屋や料亭はその街の『公共』」という言葉にも表れています。非日常を提供する料亭は、ハードルが低い場所ではなくとも、誰にでも開かれた場所であるべきだと。だからこそ、一人5万円以上するような東京の鮨屋の在り方に、疑問を示されています。

村田
料理屋を含め、電話帳に載るような商売というのは公共であるべきなんです。それが「普通の人が一生かかっても行けないようなところ」になっているというのは変な話で、変なものは、長く続きません。普通の人に支持されないものは、長い歴史のなかで、存続できたためしがないんです。

――菊乃井は日本人客のために、外国人客を4割以上とらない、という制限をもうけていらっしゃるんですね。

村田
地元のお客さん、日本人のお客さんが入れないお店は、やっぱりおかしいと思うんですね。昔、フランスの三つ星のタイユヴァンに行ったら、お客さんが全員日本人だったことがあります。そういうお店は、客にとっても、あまり心地よくないなあと僕は思ったんです。
店の儲けを考えたら、外国人客をどんどん入れたほうがいいんですよ。でも、それは誰のための、何のための儲けなのか、って思いますね。


秋の懐石から「鱧の豊年椀」©久間昌史

◆昆虫よりは、海藻を食べたほうがいいでしょう?
~未来の子どもを飢えさせないために

――村田さんは日本料理のみならず、「食」全体の未来を見据えていらっしゃいます。今、取り組んでいることを教えてください。

村田
一つには、「シーベジタブルファーム」構想があります。日本の海には1500種類もの海藻があって、それらにはミネラルやタンパク質が豊富に含まれているんです。将来の食糧危機を昆虫食が救うと言われていますけど、昆虫よりは、海藻を食べたほうがいいでしょう? と考えて、日本の海の環境を整えてシーベジタブルファームにする取り組みを始めています。
海藻が増えると、水がきれいになります。水がきれいになると小さな動植物が増えて、それらを食べにやってくる大きな魚が増えます。海が豊かになる上に、海洋植物はCO2を吸収してもくれるんです。海洋国家である日本はこうしたことを進めていくべきだと思って始めたら、北欧でレネ(・レゼピ)も同じようなことをやってるんですよ。歴史をみても、新しいものごとが興るときは、同時発生的に興るものなんですね。
それから新しい鮮度保持設備の「ZEROCO」にも関わっています。

――冷蔵庫とも冷凍庫も異なる、第三の鮮度保持技術を持つZEROCOの利点とは何でしょうか?

村田
ZEROCOは「湿度」に注目した技術で、庫内の温度が0℃で、湿度が100%弱です。バラをZEROCOに入れると、1か月咲いてると言われています。だから、たとえば中東には葉物野菜が育たないから、空輸して輸入しています。でもZEROCOに入れておけば、フレッシュな野菜が長く食べられるだろうというわけです。
鮮度を保ったまま長期保存ができるようになれば、フードロスも減るだろうし、物流の在り方なども変わってくるだろうということで、最近、急速に関心が高まっていますね。
それから「米粉」と「枝肉」。米粉を増やし、和牛の枝肉を活用していくことも課題だと思っています。

――「食」の危機と、ご自身の専門である「日本料理」の未来が、これからのテーマですね。

村田
未来の子どもたちを飢えさせてはならん、という思いが強いです。日本の人口減少は止められない上に、農業従事者は減っています。地球温暖化は進み、世界で戦争も起きています。飽食の時代が終わることは誰しもわかってるのに、政治家や官僚が何か対策をしているかといえば、なかなかそうなっていない。
だったら自分でできることをやるしかないんです。未来の子どもたちが飢えないためには、食に関してできること、良いと思うことは、全てやりたいと思っています。


サロンドカフェ「無碍山房」のお弁当 ©畑中勝如

©畑中勝如

著者プロフィール

村田 吉弘(ムラタ ヨシヒロ)
京都老舗料亭「菊乃井」三代目主人。立命館大学在学中にフランス料理研究のため渡仏。帰国後、日本料理の継承と発展をめざし、1993年父親のあとを継いで「菊乃井」三代目主人となる。現在、「菊乃井 本店」、「露庵 菊乃井」、「赤坂 菊乃井」、「無碍山房」、デパート各店での出店などを統括する。「ミシュランガイド」では、京都、東京で併せて7つの星を獲得している。海外での日本料理の普及活動、地域の食育活動など、料理人の育成、地位向上の為に精力的に活動を行い、2012年「現代の名工」「京都府産業功労者」、2013年「京都府文化功労賞」、2014年「地域文化功労者(芸術文化)」、2017年「文化庁長官表彰」を受賞、2018年「黄綬褒章」を受章。同年、「文化功労者」に選出される。

『ほんまに「おいしい」って何やろ?』

村田 吉弘

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