羆文学の金字塔を打ち立てた直木賞作家、キャンプにハマる【前編】
──河﨑秋子さんのソロキャンプ密着記

聞き手 中村計(ノンフィクションライター)

明治後期の山奥に一人暮らす猟師とボス羆の対決を描いた『ともぐい』で直木賞を受賞した、作家・河﨑秋子さん。時に現実を上回るほどのリアリティで北海道の自然を鮮烈に描いた作品の数々に触れた後、実は彼女自身もかつて、牛や羊を育てる酪農に従事していたのだ、と知って首肯した読者も多いはずだ。
そんな河﨑さんが近ごろ、猛烈にハマっているのがキャンプ、いわゆるソロキャンプだ。北の大地にテントひとつ、作家は大自然とどんな向かい方をしているのか。

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クマに出くわしたら、逃げるか戦うしかない

――ここのキャンプ場は電気柵に囲まれているんですね。昨今、頻発しているヒグマによる事故のニュースを聞いていると、北海道中、どこでもクマが出没しそうな気がしてきてしまいます。河﨑さんはキャンプ場でクマを見かけたなんてことはあるのですか?

河﨑 キャンプ場ではないです。ただ、どこでも出る想定でいた方がいいと思います。実際に去年、川べりのキャンプ場で1人になってしまって、車中泊に切り替えたことがあるんです。怖がり過ぎかなとも思ったのですが、今年、同じキャンプ場にクマが出て一時期、閉鎖になっていたので。やはり危機管理は大事だと思います。

――十勝エリアはクマの出没情報は少ない方ですけど、この周りにもいることはいるんでしょうね。

河﨑 いるでしょうね。とても鼻のきく生き物なので、向こうは人間の存在に気づいていると思います。


よく整備されたキャンプ場のすぐ近くにも、北海道ではヒグマの息遣いを感じる

――河崎さんの小説にはヒグマと対峙する人がたくさん出てくるので、クマに対して割とデンと構えている方なのかなと思ったので少し意外ですね。

河﨑 実際と創作は別です。クマに出くわしたら、逃げるか戦うしかないですからね。でもテントを襲われたらもう逃げられないし、戦おうにも勝てないのは明かじゃないですか。農業をやっていたので自分よりも筋肉量の多い生き物がこっちに向かってきたときの怖さは想像できるんです。乳牛でも500キロぐらいになりますからね。突進されたら、ひとたまりもない。たまに家畜の世話をしているときに事故で亡くなる方もいるくらいので。

――意外と知らない人もいますけど、北海道は国内で唯一のヒグマの生息域なんですよね。ツキノワグマはいない。ヒグマは大きいですから。怖がり過ぎて悪いということはないんでしょうね。

河﨑 そうだと思います。

角焼きが終わったら、家族で焼き肉が習慣だった

――そもそも河﨑さんがキャンプにはまったきっかけは何だったのですか。

河﨑 新型コロナが流行していた頃、YouTubeで焚き火の映像が延々と流れる動画にはまってしまったんです。山中とか、ロッジの中とか、海辺とかで火が燃えている動画を仕事中に流していると、なんかいい感じだったんです。

――パソコン画面の隅っこに映しているわけですか。

河﨑 いえ、テレビでYouTubeが観られるので、テレビで流しています。パソコンで執筆しながら、目の片隅で火を眺めている感じでしょうか。あとはソロキャンプの技術や料理を雑誌や漫画で学ぶようになって。おもしろいな、と。

――『ゆるキャン△』とか。

河﨑 読みましたね。女子高生がキャンプのいろはを身につけていくというのが入門編としてものすごくわかりやすかったです。炭になかなか火が付かないとか。あ、ありえそうだなという感じがして。


慣れた手つきで薪割りを進める河﨑さん

――自然が豊かな北海道に住んでいるのなら、わざわざキャンプ場に行かなくてもキャンプみたいなことはどこでもできてしまうようなイメージもあるのですが。

河﨑 今は十勝の住宅街に住んでいるので、庭で自由に火を起こすことはできないんです。実家で農家をしていた頃は何ヶ月かに一度、角焼きという作業があって。子牛の角が出てくる部分に熱い鉄の棒を押しあてて組織を焼いちゃうんです。そうすると、大人になっても角がはえてこない。そのときに必ず火をおこすので、作業が終わったあとは大抵、家族で焼き肉をしていました。

――その火で?

河﨑 そうです。だから火の扱いは比較的、慣れている方だと思います。

何が何でもキャンプに行くんだ!

――キャンプ道具を買い集めるのが楽しいというのはなかったですか。

河﨑 それもありました。ホームセンターなどへ行ったら、キャンプ道具が思っていたよりぜんぜん安かったんです。手始めにテントを買ったんですけど、それが安かったというのが決定打になりましたね。

――そのシングル用のワンタッチテントですか。

河﨑 そうです。ワンタッチ式なので、手間がかからないのもいいんですよね。

――いくらだったのですか?

河﨑 9800円です。やっぱりブームになると、エントリーモデルが充実してくるじゃないですか。ハイエンドブランドのものしかなかったら二の足を踏んでいたと思うんですけど。

――もう20回ぐらい使っているんですか。

河﨑 いえ、キャンプを始めたのは去年からで、まだ3、4回くらいしか行ってないんです。今年は今回が初めてなので、まだ5回目くらいです。でも行きたくて行けていないキャンプ場がまだまだたくさんあるので、これから開拓していく楽しみがあります。


あっという間に設営完了、長い夜の訪れを楽しみに待つ

――作家は1つの作品が書き終わっても、次のものが始まるだけなので終わりがないですもんね。相当思い切らないと休みを確保できないのではないですか。

河﨑 そうなんです。なので、この日に何が何でもキャンプに行くんだくらいのつもりで日程を立てて仕事をしています。それで仕事が終わって、さあ、キャンプに行こうとなればカッコいいんでしょうけど、実際は、なかなかそうはならないんですよね。

――それこそキャンプ場で本物の火を見ながら仕事をしたら、さらにはかどるんじゃないですか?

河﨑 でも仕事のご褒美というか、仕事を忘れるためにきているところもあるので。ストレスを解消しにきているのにストレスをため込んでしまっては逃げ場がなくなってしまうじゃないですか。

協力 スノーピーク十勝ポロシリキャンプフィールド

──後編はこちら──

プロフィール

かわさき・あきこ

作家。1979年北海道生まれ。大学卒業後、実家の牧場で酪農従業員として働きながら養羊も行う。2012年「東陬遺事」で第46回北海道新聞文学賞を受賞。2014年『颶風の王』で三浦綾子文学賞を受賞しデビュー。同作でJRA賞馬事文化賞を受賞。2024年『ともぐい』で直木賞受賞。著書に『肉弾』(大藪春彦賞)『土に贖う』(新田次郎文学賞)『清浄島』など。2025年上旬、集英社新書より『父が牛飼いになった理由(わけ)』を刊行予定。

プロフィール

なかむら・けい

ノンフィクションライター。1973年千葉県生まれ。『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』(新潮社)で第18回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』(集英社)で第39回講談社ノンフィクション賞を受賞。

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